IR続き物

□ D チェリーパイ/1
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ソファの両端に男が二人。黙々と、カットされたチェリーパイを咀嚼する。

一歩引いてみるとかなり気持ちの悪い光景だけど。チェリーパイに罪は無い。

何層にも重なった生地は香ばしくてサクサクで、洋酒の香を纏ったダークチェリーがバニラビーンズ入りのカスタードの甘みと溶け合って、それはすこぶる美味だった。

ふんだんに盛られたチェリーの黒ずんだ赤が、照明を弾いてきらきらして。どこかグロテスクだけど、ルビイみたいできれいだなあなんて、ぼんやり考えた。そんな余裕が生まれるくらい

静かだ。

言葉を交わさずにいる今。もやもや、どろどろした汚濁の渦に呑み込まれてた時がまるで嘘のように、静謐な時間が俺と君との間に流れている。

余計なことを喋らなければ、君の隣はこんなにも心地良いものなんだと気付く。

自分に関しては言うまでも無いけど、君だって本当は、それほどお喋りなわけじゃない。

なのにどうしてか、二人になると、俺達はいつも過剰に、闘うみたいに言葉を交わそうとしていた。

まるで沈黙を恐れているみたいに。

ふたりの間に確かに存在する、この静謐な空気にずっと、気付きたくなかったみたいに。





ねえ、いのちゃん。





俺のこと、すきなの?





振り向くと、目が合った。

君がこの部屋に来て初めて目を合わせたことに、今更気付くなんて。

馬鹿だ。





君はすっかり静謐な空気を身に纏って。この部屋に、俺の隣に馴染んで。いつもの君と少し違う。

薄く微笑んだその仕草は、切り裂かれるように残酷だ。

君は、ひどい。

これまで散々、自分の意志を貫いてきたくせに。なんだって一人で決めてきたくせに。

最後の最後に、タクトを投げ捨てるなんて。

世界を、俺の手に委ねるなんて。





隆一が、俺の奏でる音を待っている。

誰も近付けない湖面のように凪いだ目をして。何も期待せず。疑わず。

俺がもし、この前のは全部冗談だったってごまかせば、君はそれを受け容れるんだろう。

二人で大笑いして。あの時俺が告げたことも。君が応えたことも。

君といる時だけに訪れる息苦しさも苛立ちも。泥の渦のような感情も。君のあどけなさも、せつなさも、哀しさも。

壊して。全部、未来の笑い話にして。

君も俺も、もう大人なんだ。そうするのが、本当は正しい。

今更、世界を変える必要なんて。





君の唇の端には、パイ生地の欠片がついている。いつかのチョコレートみたいに。

肩を押して、ソファの隅に君を閉じ込めた。

何かを諦めたように。ゆっくりと。君の薄い瞼が降りる。

かすかに震える細い睫毛が、プロモーションビデオのワンカットみたいで。

俺は初めて君を、きれいだと思った。

あれは、なんの曲だったっけ。思い出せないままに






その欠片を、舌で舐めた。







君の粘膜は、甘い涙の味がした。










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