IR続き物

□ E チェリーパイ/2
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こんなことは急すぎて。

ふたりで並んでチェリーパイを食べた。さっきまでの静謐な空気はどこへ行ってしまったんだろう。

嵐のような衝動に理性が追い付けない。

自分はホモじゃないのに。君だってホモじゃないのに。ましてや君なんか結婚してるのに。妻帯者なのに。

そんな最近やってないわけじゃないし。年も年だし。君に勃ってしまうくらい欲求不満だなんてありえないのに。

いろんな考えがごちゃ混ぜになって。ただ駆け抜けて。過ぎ去って。

隆一の白い指先が、俺のベルトをはずして。些細な音でも立てちゃいけないみたいに、静かに。慎重にジッパーを下ろして。

今日のパンツ、変なのじゃなかったっけ。なんて普通女の子が考えるような、くだらない心配をしてみたりして。

ふたりとも。馬鹿みたいに息を詰めて。

君なんて、自分から言い出したくせに。指がかすかに震えちゃって。真っ白な顔色して。目なんか合わせられないって感じで。俯いて。

君のつむじがかわいくて。

おかしくて。笑い出しそうになる。

怖いなら、嫌ならやめればいいんだ。

きっと後悔する。

君が自分でやると決めたことに関しては恐ろしく、たまに若干引いてしまうくらい頑固だったりすること。そのくせ、やってしまってから時々人知れず後悔している。そんな脆さがあることだって。

俺にはわかってる。全部わかってるから。無理しなくていいのに。

そう言ってやりたいのに。優しく髪を撫でてやりたいのに。

両腕は何の役にも立たず、ただくっ付いているだけで。これが現実じゃないみたいに。自分がここにいないみたいに。

ぼんやりと、両脚の間に跪く君を見ていることしかできなかった。





当たり前だけど。君は全然うまくなかった。むしろへたくそだった。

こんな馬鹿げたことでも一旦やると決めた君は、懸命に唇と舌を使って。俺のを口いっぱいに頬張って。その顔がいつもの君よりかなり不細工でおかしくて。本気で俺をいかせようとしてるんだってのが伝わってきて。頭の後ろが痺れて。それはそれで泣き出しそうなくらい気持ちよくて。でも

結局口じゃいけなくて。

君は相当疲れていたと思うけど、文句一つ吐かず、俺がいいよと言うまでは絶対に諦めなさそうだったから。

肩を押して、君の拙いフェラをやめさせた。

「ごめん。気持ち良くなかったね。」

君が悪く思う必要なんてこれっぽっちも無いのに。目を伏せたまま、傷付いた声を出されて動揺する。

「違うって。口の中に出すの嫌だから。手貸して。」

慌てて取り繕うと、君の手を俺のに導いて握らせた。

最後は君の手の上に、自分の手も添えて。慣れたペースで擦り上げて。

それで、ようやく終わらせることができた。





手のひらから溢れた精液を呆然と、穴が開くほど見つめている、君の手首を掴んでティッシュで汚れを拭ってやった。

君はなんだか魂が抜けてしまったみたいに無表情で。

不安を感じたけれどこのまま黙っているわけにもいかないので、バスルームで手を洗ってくるように促す。

素直に立ち上がる背中を見送って、自分はキッチンの方で手を洗う。勢いよく皮膚を打つ水の冷たさが心地良い。

一時、隆一と離れることで、なんとなく冷静になれた気がする。

と同時に、完全に覚醒してしまった頭にさっきまでの自分の行動やら興奮やらが、大波のように一気に押し寄せてきて。

なんて言うか。もう消えるしかないんじゃないか。

当然だ。昨日までの仲間だった君と、あんなことをしてしまった。

あんな十代みたいな技巧も何も無い、ただ欲しがって吸い尽くして、奪うだけの口付け。

そればかりか、その程度のことで勃起して。挙句の果てには君に抜いてもらうなんて。

今更ながら死ぬほど気まずくて。と言うかもう死んでしまいたくて。あまりの恥ずかしさにどうしたらいいかわからなくて。酒を飲んでたわけでもないしうまいフォローも思い付かぬまま、ぎこちない動きでリビングに戻るしかなかった。

とても君と同じ空気を吸える精神状態じゃなかったけど。

戻った時には、既に隆一はソファの元いた位置にきちんと座っていて。キスしてる間、俺が散々に弄り倒したせいでぐしゃぐしゃになった黒髪を整えている。

そんな姿さえ生々しすぎて、まともに見れない。

隣に座るのも、もうマジで拷問かってくらいきつかった。無理矢理仕事のことを思い出したりして、得意のポーカーフェイスを装って。なんとか腰を下ろすことができた。

隆一は、俺の方を見なかった。

何やってるんだろ。ほんと。

こんなはずじゃなかったのに。

キスだけでやめておけば。いや、そもそも君を部屋に招いたりしなければ。こんなことにはならなかったんだろうか。

とりあえず何か言わなきゃいけない。苦し紛れの言い訳でも何でもいいから早く。そう焦るのに。

こんな時に限って、どんな言葉も浮かんでこない。

もし俺と君が異性だったら、こんなに四苦八苦せずに済むのかな。

キスをしたまま押し倒して。ベッドへ行って。セックスして。

好きだと言って笑い合って。裸のまま寄り添って。眠って。

それってこの場合は不倫関係で、俺が愛人の立場になるわけだけど。

清潔そうな顔をしていても君だって男なんだし。俺みたいないい女に迫られたらぐらっと来て、一度くらい浮気しないとも限らない。絶対。

いや、待て。男と女じゃなくたって。キスしてフェラして。これってもう立派な浮気なんじゃないのか。

キスを仕掛けたのは俺だけど、そうするように誘導したのは君のような気もするし。「口でする」なんて、到底君が言うとは思えない台詞で誘ってきたのは反則だし。でも先に勃起してしまったのは俺なわけで。

どちらが悪いにせよ、やましいことには違いない。難しい問題は後で悩むことにして、とりあえず誰にも知られるわけにはいかない。何があっても。それだけは事実だ。

隆一がこんなこと他人に言えるとは思わないけど。事が事だけに、一応、念のため釘を刺しておく必要があるかと。

意を決して、君の方を顧みたら。





突然君が、俺のすぐ隣、腕と腕の触れ合う位置に移動してくるから。





かっこ悪いけど、鳥肌が立って、思わず竦み上がってしまった。

また触ってこられたらどうしようかと思った。や、期待しているわけでは断じて無い。

隆一の行動にもたいした意味は無いようで、それから何をするでもなく。

テーブルの上に放置された食べかけのチェリーパイを見つめながら、ただ一つ、小さなため息をついて。

「まずいよね。こんなの。」

なんのことを指しているかはすぐにわかった。でも淡々と呟くように告げられたその言葉に、悲愴感や絶望的な響きは微塵も感じられなかったから。

なんだか少しだけ、肩の力が抜けて。

「うん。かなり。」

思いっきり素のまま正直に答えた俺に、人形みたいだった隆一の顔が崩れるように綻ぶ。

それは自嘲のようにも、泣き顔のようにも見えて。

曖昧で、滑稽すぎて、叫び出したくなるような感傷が胸に広がって。

俺と君との間に感じた静謐な空気と同じで、それは君にも伝導して、ふたりの体内に沁み込んでゆく。

君だけなんだ。きっと。





釘を刺すためにと用意した台詞は、結局言えずじまいだった。





隆一を玄関まで見送ってしまうと、彼がいた痕跡はテーブルの上のチェリーパイだけになる。

君は大好物だと言っておきながら、結局一切れしか食べなくて。俺も多くは食べれないから処分に困った様子を見せたら、最初から心得ていた風に

「少しなら日持ちするから。彼女と食べてよ。」

なんて言う。

屈託の無い笑顔はいつの間に戻ったのか。鬱陶しくなるくらい、完全無欠にいつもの君で。

ほんとに。なんだかもう。

あんな行為をしてからたいして時間も経ってないってのに。あっさりとそんな態度をとれてしまう隆一は、やっぱり致命的に鈍いというか、空気読めないというか。あるいはよっぽど計算高いのか。とにかくおかしな奴だ。

でも。

君のそういうところが嫌いじゃないなんて。むしろ気に入ってるだなんて。俺も君と同じくらい終わっちゃってる、変な奴なんだと思う。

だって。俺はもう知ってる。ふたりで奏でる不協和音の世界は、こんなにも理不尽で心地良い。

そう。気が狂いそうになるくらいに。





ほんと信じられない。

たったひとりの他人のせいで。世界が変わり、自分が変わるなんて。





君を汚してあげられるのが俺だけならいいのにと。

そんな大それた願いを、抱いてしまうなんて。








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