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□ピクトリヱル/アナトミカ 2
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俺と奴の共同生活が始まって、一週間ほど経った頃。
深夜、仕事から帰宅すると。
灯りも付けず。ソファの上で身体を丸めている、隆一の姿があった。
眠っているのかと思い。起こさないように、そっと近付いた。
隆一は、眠ってはいなかった。
繰り返される、まばたきに合わせて。暗闇の中でもわかるほど大量の涙が、頬を伝い、クッションに染み込んでいた。
「どうした。」
驚いて肩に触れると。切羽詰まった様子で、首元にすがり付いてくる。
「俺がここにいるってこと。誰にも、言わないで。」
お願い。
「絵が完成したら。出ていくから。」
それまでは。
「ここに、いさせてください。」
哀願と表現するには、あまりにも弱々しい。
今この刹那にも。存在そのものが、かき消えてしまいそうな。
そんな、声だった。
何も。言ってやれなかった。
俺に、できるのは。
ただ。その背を強く、抱き返すことだけだった。
それから毎日。俺達は、同じベッドで眠った。
セックスをしない時も。寄り添うことで伝わる互いの体温に、安らぎを覚えた。
その後、何度か。隆一の所在を尋ねる電話がかかってきた。
相手が誰であろうと。知らないと、答えた。
隆一の、望み通りに。
俺は。隆一の、望む存在でありたかった。
奴が、俺にとってそうであるように。
お前にとって、誰が一番必要なのか。
証明したかった。
隆一は。何も言わなかった。
絵を描くために、仕事を放棄した俺が。事務所からの電話で、口論になっていても。
何も。尋ねてはこなかった。
ただ、奴は。
静かに笑って。俺の傍にいる。
もしかしたら、隆一は。
既に。心が壊れているのかもしれない。
「絵を。描いてほしい。」
そう、頼んできた時から。
こいつの、かかえている闇は。
想像よりずっと、深く暗いのかもしれない。
だとしても。
抱きしめてやりたかった。
過去と未来の、隆一を描くこと。
奴の深淵を、受け容れること。
俺にしか、できないのだと。
信じたかった。
だから、俺も。尋ねることをやめた。
無意味だと、気付いたからだ。
隆一に何が起こったのか。俺は知らない。
聞いたところで、知ったところで。それが、何になる。
隆一は、今この瞬間。俺を欲している。
傍にいてほしいと、望んでいる。
それで、充分じゃないか。
この瞬間を生きられないなら。未来など、ほしくない。
そう。
いつの間にか。俺も、願い始めていた。
この絵が。永遠に完成しなければいい、と。
インターホンが、鳴っている。
けたたましいペースで、何度もしつこく繰り返されるそれに。否が応でも、叩き起こされるしかなかった。
ベッドサイドを見遣れば。時計の針は、13時を回っていた。
ここのところ。昼夜逆転生活が、すっかり板に付いてしまった。
そればかりか。仕事を休んでからは、ほとんど外出しない日々が続いていた。
明け方までの、激しいセックスの名残が。身体のあちこちに染み着いている。
インターホンは、鳴りやまない。
これだけの音にも関わらず。腕の中の隆一は、かすかな寝息を立てたままだ。
よほど疲れたのか。単に図太いだけなのか。
覚悟を決めて、ベッドから抜け出ると。下着とジーンズだけを身に着け、玄関へ向かった。
一体、誰だ。
モニタを確認して。意外な訪問者の正体に、驚く。
ドアの外に立っていたのは、井上だった。
「何の用だよ。」
インターホン越しに、話しかけた。
突然、訪ねて来るなんて。
今まで。一度として無かったのに。
「いいから。ここ、開けなよ。」
「なんで。」
「『なんで』?」
井上の口調が、一気に剣呑さを帯びる。
サングラスを外した目元に、あからさまな不機嫌が漂って。
たじろいだ。情けないことに。
「お前こそ、『なんで』仕事さぼってるわけ?」
「さぼってねえよ。休んでるだけだ。」
「レコーディングもツアーもキャンセルして。活動休止かよ。」
ぐっと詰まってしまう俺に。
井上は、畳み掛けるように言った。
「隆ちゃん。いるんだろ。」
結局、それか。
わけのわからない、笑いの衝動が込み上げる。
「さあな。知らねえよ。」
「みんな、心配してんだよ。もう一ヶ月も・・・」
「お前が、過保護すぎんだろ。あいつも、子供じゃねえんだから。」
「小野瀬。」
モニタの中で。
真剣な顔をした井上と、眼が合った。
「隆ちゃん。いるんだよな?」
そこに。
井上が訪ねてきたことは。隆一には、明かさなかった。
余計な心配を、させたくなかった。
いや。
本当は。隆一の関心を、自分以外の奴に向けたくなかったからだ。
俺は、恐れていた。
外部からの干渉で。完璧な調和を保っている俺達の生活が、破綻してしまうことを。
特に、井上は。
どういうわけか。この部屋に隆一がいることを、確信している。
彼の、鋭利で冷淡な目つきに。寒気を覚えた、俺は。
誰が来ても、決してドアは開けないように。インターホンが鳴っても、無視するようにと。隆一に伝えた。
奴は、素直に頷いた。
「でも。潤が一緒にいてくれるのが、一番安心する。」
「悪い・・・明日はちょっと、出かけねえと。」
絵の具が何色か、底を突きかけていた。
画材屋へ行って、仕入れてこなければならない。
ついでに、食べ物も。
「夕飯、ビーフシチューでいい?お前、好きだろ。」
「うん。好き。」
潤のつくるビーフシチューが、すき。
そう言って、無邪気にくっついてくる頭を。抱き寄せた。
「なんか。えっちしたい。」
「さっき、したばっかじゃん。」
「潤のこれ。ほしくなっちゃった。」
そう嘯いて。スウェットの布地越しに、下腹部を緩くなぞられた。
まるで。
いつかの。夢のように。
「おおきいね。」
隅々まで舌を這わせながら。隆一は、うっとりと眼を細めた。
そのまま。射精まで、導かれる。
注がれたものを、全て飲み尽くした後。
口元を濡らした隆一は、潤んだ瞳で俺を見上げた。
「潤の、こどもがほしい。」
「女になりてえの?」
「うん。」
解体されたい。
子宮がほしい。
生まれ変わりたい。
「今のままで、いいんだよ。」
そう願ってるお前が。いとしいから。
他愛無い空想に。引きずり出された答は、真実で。
照れくさくて。言葉にできない気持ちを伝えるように、頬を撫でた。
隆一は、自分で下着を足首から抜くと。ソファに座る俺の腿に跨り、両手を首に絡ませてくる。
剥き出しの下半身が、擦れ合う。
もっと強い快感がほしくて、腰を引き寄せ密着させた。
掠れた吐息が、耳元をくすぐる。
「あした。早く、帰ってきてね。」
待ってるから。
うだるような、夏の夕暮れのことだった。
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