小説

□気持ち
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この気持ちを「ひと」はなんと呼ぶのだろうか




「おーい、玉藻?」
己が呼ばれたことに気づき、玉藻は重い瞼を上げた。
「珍しいな、お前がここまで近づいても気づかないなんて」
覗き込む形で見てくる男は少し探るように聞いてくる。
「…別に気づいて無かった訳じゃないですよ。但、少し面倒で」
「それって俺の相手がって事か?」
さぁどうでしょう、などと言いながら軽く笑う。
そこでふと、自分の行動に気づく。
昔はこんなに自然に笑うことなど滅多に無かった。こうやって笑うように成りだしたのはこの男、鵺野鳴介と関わりはじめてからだ。ならば周りが言うように自分は変わったのだろうか?そしてこの男と関わるようになって、今まで感じなかったものを胸に感じるようになった。
これは…

「なぁーたまちゃん、聞いてる?」
鵺野はわざわざ玉藻の首元へと腕を回してくる。

「あぁ、聞いてませんでした。って言うか仕事中なんでベタベタしないで下さい」
鬱陶しそうに腕を払おうとするが相手の力の方が上回りできない。
「お前が話し聞かないのが悪いんだろ。」
その言葉に諦めてため息混じりに聞き返す。
「で、なんですか?」
「またお前ん家で夕飯食っていい?」
悪びれず聞いてくる態度になかば尊敬の意さえ感じながら言葉を発する。
「またお金無いんですか」

その質問に答え辛そうに言う。
「…いやぁ、一応まだ給料はなんとかあるんだけどさ、玉藻と一緒に食いたいな…と。駄目かな?」
胸の辺りにじわりと広がる何かを感じたような気がした。
「……別に構いません」
「マジで!じゃあ帰ろう、もう仕事終わったんだろ?」
「分かりましたから、少し待って下さい。」
子どものように急かす鵺野を宥め、帰り仕度をはじめる。
その時ふと、先程胸を過った温かいもの。あれは何だったのだろうか。
確かどこかで耳にしたことがあったはずだが思い出せない。


−なんと言ったか…−




「あぁ、"幸せ"か」
「へ?」
隣を歩く相手がいきなり予想もしないような事を口走るものだから素っ頓狂な声を上げる。
「いきなりどうしたんだ?」
鵺野の発言で自分が口に出してしまっていた事に気づいた玉藻は少し慌てたように言葉を返す。
「すみません、なんでも無いので…」
「あ!!俺と一緒にいる事がか♪」
玉藻が最後まで言うより早く鵺野が言葉を重ねる。
この人物は何故こうも自分の良い方へ考えられるのか。
「もういいですよ。それで」
なかば投げ遣りのように感じられる言葉を発しながら車の鍵をポケットから取り出す。
燃えるような、けれども優しい夕日が車に乗り込む二人の影をそっと包んだ。








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