夢の足跡

□2011.02頃〜
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メールの着信音に気付いて枕元の携帯に手を伸ばしたのは
ようやく外が白み始めた時間だった。




『こっちきて』




タイトルもなく本文はそれだけ。





一抹の不安が過ぎってまだ睡眠をとりたいと思っていた脳はすっきり覚醒してしまった。




寝惚けていたって忘れるはずがない。
今日は久しぶりのデートのはずだったのだから。





『どっか遠出しよ』




昨夜、そんな風に言ってきたのはけんちゃんの方。



電話の向こうの彼は酔っているのかいつになく陽気で。
外で会うこと自体いつぶりなんだろうと
わくわくする気持ちを抑え切れずに
二つ返事でOKしたことまでを瞬時に思い出しながら
ベッドから起き上がってカーテンを開けると
予報とは裏腹に、今にも雨が降り出しそうなどんよりとした空が広がっていた。





「ああ、だから…」





鮮明に覚えてる風景にはいつも、空を見上げる彼の姿がある―――。



















けんちゃんの家に着いた頃にはもう大粒の雨が降りはじめていた。
合鍵を使って中に入るとリビングは静まり返っていて、人の気配などまるで感じられない。




”寝てんのかな”





もし、この部屋が暖かくTVや明かりがついていたなら
どれだけ安心できただろう。


寝室をのぞく前に、途中で買ってきた食材を冷蔵庫にしまう。


”やっぱりね”


サラミとチーズしかない冷蔵庫に苦笑いしながら寝室へと重たい足取りで向かい
ドアを開けると足元にひんやりとした空気が流れてきた。





部屋の中心に置かれたベッドの上
丸まった布団の向こうから紫煙がゆらゆらと立ち昇る。




”…起きてるんだ。やっぱり眠れなかったのかな”







どうしよう、なんて声をかけようか。


こんな日のけんちゃんへの対応には未だに困ってしまう。





そう思った矢先
けんちゃんの方が先に声を発した。




「ごめんなー…」




緊張がゆるんでほっとしながら
謝るだけ余裕があるなら案外大丈夫なのかも、と思う。




「いいよ…雨で寒いし、今日はおうちでゆっくりしよ」




けんちゃんの負担にならないよう、のんびりした声を演出して言ってはみたけど
やや間をおいて深いため息をついたけんちゃんが
あたしに返事をするというよりは独り言のように沈んだ声で続ける。




「なんかさー、雨の日って…外から遮断されてる気がするよね」



けんちゃん。そうじゃないよ。
世界がけんちゃんを拒んでるんじゃなくて
けんちゃんが世界を拒んでるんだよ。



そう思っても声には出さず
何を言えばいいものか考えあぐねていると



”こっちきて”


と、メールの文面と同じことを言いながらこちらを見もせずに布団を捲くった。







隣にもぐりこむとけんちゃんがあたしを抱え込んできたから
あたしもけんちゃんにしがみついた。






「…ねえ、ずっと一緒におって」


「うん」


「やくそく?」


「うん、ずっとそばに居るって約束するよ」


「……」





今までにも何度か繰り返した戯言。


あたしが本気でそう思っていても
けんちゃんがそれを望まなくなる日がくることを
あたしは知っている。


けど、分かっていても。



これで彼が眠れるなら
1日中、抱き枕になっていてもいい。それでいい。




しがみついたまま縋るように上を向けば
少しだけ腫れてるように見えるけんちゃんの目は宙を見つめていて
やがてその瞼がそっと閉じられた。




ゆるい呼吸音がやがて寝息にかわって
あたしの目頭は熱くなった。






けんちゃんはたまにこんなふうになる。
まるで充電でもしてるかのように
感情も身体も、全く動かなくなってしまう。



始めのうちは戸惑ったけど
今ではすっかり慣れた…つもり。



こんな時は
彼が必要とするものだけを与えてあげればいいんだ。
それ以上でもいけないし、間違っても引っ張りだそうとしちゃいけない。

理解しようとしてもいけないんだ。



”絶対”とか”約束”とか
けんちゃんはそういう言葉を使わない。


例えば、ずっと一緒にいたいと言っても
答えは”そうやね”
TVを観ていて”ここいつか一緒に行こう”なんて言っても
”行けたらいいね”




彼は断言をしない人。




なのにあたしにはそういう言葉を求め、約束をさせたがる。



上辺は人懐こいのに
その奥底でどうしてこんなにも人間不信なんだろうと
知りたくなって手を伸ばすけど全然及ばず
その輪郭すら見えてこない。


手探りなまま、ただ彼を甘やかす。




これが正しいのかは分からない。

単なるエゴなのかも知れない。







『止まない雨なんてないって言うけどさ、でもまた必ず雨は降るよね』






頭を霞めたのは、いつかの彼のセリフ。




ネガティブなことはふざけた時しか言わない彼が
時折、雨じゃない日に空を見上げてそう言うのが印象的で
そんなとき私は理由も聞けず頷くばかりだった。



”励ましの言葉なんて虚しいだけで、もう全部疲れたんだ”



そうとしか取れなかったから。






傘が欲しいなら傘になってあげるよ。



使い捨てられようとかまわない。







そんなふうに思ってしまうあたしをどうか許して。





明日晴れたらまたいつも通り。











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