□甘美な誘惑
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働いて、働いて、人生の半分以上を仕事に捧げた

よく言えば、仕事熱心
悪く言えば、仕事馬鹿、取り柄なし

それが俺、長谷川泰三だ。
俺はもともと天涯孤独で、周りの奴らは同情の目と優越感の目で俺を見る────。

うんざりだ…
『頑張ってね。』と言われることも
『偉いね。』と褒められることも尊敬されることも

何をどう頑張ればいい?
これ以上なにを頑張ればいいんだよ…

偉い、偉くないの問題じゃない。
生きるために仕事をしてるんだ。
褒められても、腹はいっぱいにはならない
尊敬も要らない。

そんな不確かなものは要らないんだ。


「ん……。」

重く閉ざされていた瞼を上げる。
霞んだ視界に真っ暗な空間が広がる

ここはどこだろう…。

ぼーっとする頭で記憶を巻き戻ししていく。


確か…仕事が終わって家に帰ってる途中だったよな…?
…あれ?記憶が…曖昧で上手く思い出せない。


目が闇に慣れてきたのか、自分が今居る部屋の間取りが分かるようになってきた

自分が寝ている大きめのベッドの他に、アンティーク調の家具が置かれている
ベッドから少し、体を起こし、部屋をキョロキョロと見渡す



「…やっと起きたのか。」
「っ!!だ、だれっ!」

ドアの開く音も無く、急に現れた男に驚く。
男は、無表情に俺を見るとすっ、と手を顔に近付けてきた
近付いてきた手は、目尻に優しく触れた

「何を…泣いてた?」
「え……?」

言われた言葉に、きょとん、としていると男はメンドクサそうに「涙がたまってる、…それに涙の筋があんだよ。」と言った。

自分で目尻に触れると、確かに、涙をためていた

「…もう一度聞く。なにを泣いてた。」

有無を言わさぬ態度と声色に、タジロいでしまった。
答え以外、何も求めていない。そんな感じがした。

「…夢を。怖い夢を見てしまって…そ、それで。」

理由が見つからなかったので、妥当な答えを言った。
男は、じっと俺を見ていたが、俺はその視線に耐えきれず目線を下に泳がせていた

「まぁ…いいだろう。お前…名はなんだ。」
「あ、長谷川…長谷川泰三です。」
「泰三……泰三、泰三。」

何度も連呼される自分の名前。
そんなに人の名前を覚えるのが苦手なのだろうか?



「…よし。覚えた。オレは、高杉晋助だ。晋助でいい。」
「あっはい。」

自分は、と言おうとしたが、恐らく自分は晋助から呼び捨てされるのだろう。と思い、口に出すのは止めた。
…だって、確実に呼び捨てフラグ立ってるからさ?

「で、泰三…俺と契約しろ。」

ほら…って、え?契約?
…………………………KEIYAKU!!
なんだぁ〜、なんかのバイトかなんかなのかなぁ?
ん〜…、でも最近、不況のせいか稼ぎ悪いしなぁ…まぁ、いっか!!



契約がなんの意味を持つのか
このあとに待っている残酷で不条理な運命が待っているなんて考えもせず簡単に出してしまった答え…

浅はかだと
愚かだと

心の隅で、理性が警告音を出していたのに
それに、気付きもしないで契約を承諾した。



"これは序章に過ぎない"

冷たくなっていく躯、薄れ行き意識、霞む視界

すべてが作り替えられようとしている中で、月の光にぼんやりと照らされ妖艶に笑う漆黒の衣服を纏った男が、小さく、小さく呟いたような気がした。
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