誰よりも好きです、好きです

□誰よりも好きです、好きです
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……あ、



……走ってる、浜くんだ。





それは、部活終わり。

下駄箱に脱いだ上履きを入れて、いつも通り自動販売機に寄って飲み物を買って。
受け取り口から出てきたピンク色のパックジュースにストローを刺して口を付けると、中に入っている甘い液を吸った。
自分の好きな苺の味が口の中にじわっと広がる。
その甘ったるいけど飲み慣れた味と香りに、今日も一日早かったな…と感じて安堵の息をついた。


そして、何を思った訳でもないけれど。
カバンを持ち直して、それとなく薄暗いグラウンドのほうを見ると。
こんな遅くまでグラウンドに残っている部活は、陸上部や野球部くらいだった。



陸上部…



思わず目線は陸上部のほうへ。
そこにはグラウンドの片隅で何人かと走っている、浜くんの姿。
その姿が目に入って、何故か少しだけ足を止めて。




こんな遅くまで、すごいな……。




たまには寄り道をしてもいいかなと思って、家路とは反対側に身体を向ける。
…なんて事ない、ただ単に興味が湧いただけ。
きっともう薄暗いし、静かにしていれば彼に私の存在が分かることもないだろうと思った。
少しだけグラウンドのほうに足を進めると、頬を赤く染めた制服姿の女の子達がチラホラと居る。
制服姿ってことは、…そうか、きっと彼女達はお目当ての人の姿を見ているのだろう。

お目当ての人って…、誰だろう。
もしかしたら、浜くんのことが好きな子もいたりするのかな。

そんな考えが頭にフッと浮かんだもんだから、慌ててそれを払拭するように首を振る。
彼女たちのいる少し後ろの方で、目立たないようにそっと静かに佇んで、真剣に走っている浜くんを見ていた。




……浜くんって、足、あんなに速いんだ。


……陸上部だから、あたり前か……。




ボーっと、くだらないことを考えながら走る姿を眺めていたからか。
私に近付いてくる足音にも気が付かなかった。



「わっ」



ポンッと軽く右の肩に手を置かれて、自分のすぐ上の方から低い声が聞こえて。
反射的にギュッと右の手に持っていたパックジュースを強く握りかけて正気に戻る。
幸い中身が出て来なかったから良かったけどこんなところで一体誰、なんて思ってびっくりした顔で振り向くと。



「……悪い、驚かせた。」

「…さ、三郎くん、……どうしたの」



後ろに立っていたのは、同じクラスで席が後ろの彼。




ーー私も好きって言ったら、名前はどうする?




そう、この前私によく分からない質問をしてきた鉢屋三郎くんだった。



今いろんな意味であまり会いたくなかった人物の登場に驚いて慌てて、バレないように目の端で浜くんがいる方のグラウンドを見る。
幸い、遠くにいる彼は私達に気がつくことも無く変わらない真剣な表情で走り続けていて。
自分の心臓がドキリと跳ねたことが、目の前の彼に分からないように話を続ける。



「部活、おわり……?」

「……いや、生徒会の終わり。」



ああ、…気まずい。

彼は私と話していてそう感じていないのだろうか、無表情のままそんな答えだけ返される。
そして表情も変えずに、ただ静かに私のすぐ隣に移動して、じっとグラウンドを眺めていて。
何を考えているか分からない彼に、私の心臓の音はうるさくなった。



「ホラ。」

「えっ、」



私の目の前に持ってきたのは、大きくて骨ばっている手。
それとは対照的に長くて綺麗な指をピッと出して、差した先はグラウンド。



「八左ヱ門に用があって。」



その指の先に、一瞬まさかと思ったら。
三郎くんは浜くんの前の方で走る、同じクラスのハチくんの方を指さしていた。
あ。そうだ、三郎くんはハチくんと昼を一緒に食べているくらい仲が良かったんだっけ…。
……変な杞憂だったと、そう思って身体の力が少し抜けた。



「…名前は、」



きっとその後に続く言葉は、誰を見ていたの?そんな質問だろう。
自分でそれを予想しておいて、瞬発的にうっと息が詰まる。
……とてもじゃないけど今の三郎くんに浜くんを見ていましたなんて言えない。



「わたし、たまたま通りかかっただけだから…」



たまたま通りかかるようなところじゃないのに、そんな見え透いた嘘をついた。



「……そう。」



勘がいい三郎くんなら、きっと私がいる理由には気がついているだろう。
でも、私のついたそんな安っぽい嘘にも何も言ってこない三郎くんに。興味の無さそうなその発言に。
やっぱりあの時のあの質問は、何を思っていた訳でもなくて、ただいつもみたいにからかって言っていたんだと思った。



「足、速いね。…みんな。」

「なー…。」



珍しく自分から別の話題を振るけど、それが全部裏目に出ていそうで緊張した。
すると、先頭を走っていたハチくんが三郎くんのことを見つけたのか。
足を止めて、ブンブンと両手を三郎くんのほうに振るハチくん。



「三郎ー!悪い悪い、待っててな!」

「おー…。」



三郎くんも、そんなハチくんにスッと手を挙げて合図していた。
ハチくんと待ち合わせてるって本当だったんだ。



「……じゃあ、私、…かえるね」

「……ああ、そう。気をつけて」

「うん。」



三郎くんの前をすり抜けるように後にして、また右手に持っていたジュースのストローに口を付けて歩き出した。
……明日なにか聞かれなければ言いけれど。
そう思いながら数歩足を進めた、そんな時。



「先輩!名前先輩ー!」



聞きなれた呼び方に、でも彼しかしないこの呼び方に。
私はグラウンドの方を振り向いた。



「あ、浜…くん、」



浜くんは、走りながらこちらに近付いて、手を振っていた。



「先輩ッ、この前いただいたやつ!美味しかったですー!本当に!!」



恥ずかしかったけど、その言葉が単純に何より嬉しくて顔が赤くなる。
きっとここからじゃ私の声は聞こえないから、何度かうなづいて伝えた。
そんなに大きな声ださなくても聞こえてるから大丈夫だよ、浜くんらしいね、と言う代わりに私は自然と笑っていた。
そんな浜くんを連れ戻しに来たハチくんに小突かれて、手を引かれ戻されていた。
それでも嬉しそうに笑いながら、大きく手を振る浜くん。



「名前」



三郎くんに名前を呼ばれてようやく、あっと思った。
三郎くんは、じっと私の方を見ている。



「…なに…?」







「……三郎、くん?」

「名前。そこに立ってると、危ない。」

「ごめん……、わっ、」



何故かそう言いながら私の方に近付いてきた三郎くんに、左腕を掴まれて。
何が危ないか分からなかったけど、言われるがまま引き寄せられるがまま三郎くんのほうへ、一歩、近づいた時。







私の世界は、暗転した。















あれ、



一瞬世界が真っ暗になって、それから。



それから、わたし、どうなったんだろう。







気が付くと、私はグラウンドの冷たい砂利の地面に座り込んでいて。
肩にかけていたバッグも地面に転がっていて。




気がついた頃に聞こえたのは。




「おいッ!浜!!!」



ハチくんが浜くんの名前を呼ぶ声。
呼んでいると言うより、……怒っている声?
ねえ、ハチくん、どうして、浜くんを怒っているの?



「………痛いな。」



その言葉でパッと顔を上げると、すぐ目の前で三郎くんもしゃがみこんでいて。
でも三郎くんは私と違って、自分の左頬を手で押さえていて。
唇を切ったのか、口の端から血が滲んでいて。


痛い、どうして

なんで、三郎くんが怪我してるの。

ねえ、私が飲んでいたいちご牛乳、どうして三郎くんがもっているの?



疑問でいっぱいの頭だったけれど、自然と答えを探すために三郎くんがじっと怖い顔で見つめている先を辿る。
見えたのは、ハチくんに後ろから羽交い締めにされている人。
息を荒くして三郎くんに掴みかかろうとしている、浜くんの姿。






周りの女の子達は、何があったの、分からない、とザワザワ話していた。
その中には、悲鳴のような声も聞こえた。








それでようやく私にも、浜くんが三郎くんの顔を殴ったんだとわかった。






「……浜、おい。浜!…落ち着け。」

「離せ!この…ッ!名前先輩に…っ、」





え?わたしに?


あ……、と自然と自分の口元に手が行く。


遅れて思い出したのは、すぐ近くにあった三郎くんの整った顔と。
自分の唇の端にある三郎くんの唇の感触だった。




残っていた陸上部員も、どうした、喧嘩か、と言いながらザワザワと集まってきていて。
ハチくんがそれを何でもないから!と笑いながら追い返している。




「…竹谷先輩、離してください……」

「浜……。今のお前は冷静じゃないだろ、離してどうするんだよ。」

「いいからッ!離せって!」






浜くん。

浜くん、だめだよ。

だめだよ、だって、こんなことで揉め事なんて起こしたら、浜くん。

部活が、今まで一生懸命やってきた努力が。





「……はま、くん」

「…名前先輩っ!」



「…浜くん、……怒ん、ないで、」





「………ッ!!」




その時は素直にそう思った。
だって、今の彼はいつもの浜くんじゃなくて。
手を離したら今にも三郎くんを噛み殺してしまいそうなオオカミのように、我を失っているみたいで。

そんな彼の敏感になった耳には、私の小さい声もしっかりと聞こえたみたいで。
私の方を向いた浜くんは、私の言葉に信じられないと言うかのように目を見開いていた。






「……!だったら…っ、」






「だったら…、なんで!」




「……え、」




「なんで、名前先輩は泣いてるんだよッ!!」








初めて浜くんに、怒鳴られた。


浜くん、わたし、泣いてるの?


外気に冷やされた頬に手を添えると。
指先に確かに濡れた感触が伝わる。
そう言われるまで、自分が泣いていただなんて分からなかった。
ああ、…泣くなんて、いつぶりだろう。





「そんなところ見たら、俺…、俺!放っておけないに、決まってるじゃないですか…!!」






そうだ



だって、


だって、浜くんは


わたしのこと、好きだって、あれだけ言っていて。



そんな人が、目の前で。


それを見て彼は、私の代わりに、こんなにも怒ってくれているのに。







ごめん、ごめんね


わたし


浜くんが、泣かないようにって



あの日から、ずっとそう思っていたのに


結局いつも、私のせいで浜くんを傷つけてばかりだね




浜くんの名前も知らない時、初めて会った時の貴方の真剣な顔と。
会う度に見せてくれた無邪気な笑顔と、好きと言う度に見せる緊張した顔と、本気で怒ってくれた顔と。
今みたいに、泣き出してしまいそうな顔。



全部、思い出して。


そうしていたら、急に頬にあたたかいものが伝った。





ーー誰よりも、好きです、好きなんです先輩が









「……浜くん、ごめん…、」





私も好きだよって、ずっと、言ってあげられなくて、ごめんね






自分一人で立ち上がって、手や足や制服についた砂利も払わずに。
ハチくんにまだ後ろから強く羽交い締めにされている浜くんの方にゆっくりと近付いて。




浜くんの硬く握りしめた手を、怒りで震える右手を、ぎゅっと握った。





それを見たハチくんは、何を言う訳でもなく、そっと浜くんを掴む手を離してくれた。







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つぎで完結予定です

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