短編

□僕らはただの誤差でしかない
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今日も太陽が眩しい。
しかしそんな事を感じる暇もなく、目の前で「ソレ」は唐突に始まった。

「日本の人口は現在1億2691万人。けどそれはおおよそでしかなくて、今この瞬間も増減を繰り返している」
社会科の授業で聞き齧った知識を、彼は両手を広げながら雄弁に語る。

「こうしている間にも、ある場所では一人生まれ、またある場所では一人死んでいるんだ」

一呼吸置いて、大袈裟に空を仰ぎ見る。
僕は彼の独りよがりの演説を体育座りをして眺めている。

此処は校舎の屋上。
なぜそんなところに一般生徒が入れたかは、思い返すと長くなるので止めた。

そんな思考を巡らして彼から気を逸らしてしまった一瞬の間に、彼は何を思ったのか、転落防止用に設けられた柵まで駆け寄っていた。
そしてその柵にもたれ掛かりながらも下らない口上を続けている。

「例えば今この瞬間、僕がここから飛び降りて命を落としたとしても、それはすぐに人口には反映されない。
僕らはこの世界のただの誤差なんだ。ちっぽけな一人の存在なんだ」

そう言い、さらに柵に体重を預けた。
鉄製のそれがギシッという音を立てる。
真上に昇りかけた太陽は、彼に多くの影を落とさなかった。

「そう、僕はただのちっぽけな存在でしかないのだ」

先ほどとは打って代わり、消え入りそうな小さな声で呟く。


僕は彼の呟きの本当の理由を知っていた。
だから何も言わず、ただ彼の下らない馬鹿げた、そうちっぽけな誤差の主張を聞いていた。

「……」

ジリジリと照りつける太陽がほんの少しだけ憎い。
ワイシャツの袖で額の汗を拭うと、言葉を発するのを中断した彼に向かって問い掛けた。

「誤差でしかなくたって、現に僕らはここに存在している」

彼はもたれ掛かった姿勢のまま動かない。

「確かに誰にも見つけてもらえないほどのちっぽけな存在かもしれない」

別に世界を牛耳りたいわけじゃない。
別に有名人になって名前を世間に知られたいわけじゃない。

「それでも、屋上から見ているこの瞬間の景色が消える訳ではないだろう?」

僕らはただの誤差でしかないけれど、それでも確かに存在していることを認識してほしくて。

黙ったままの彼。
西に傾きはじめた太陽。
校舎全体に鳴り響くチャイムの音。

「さあ、行こうよ。午後の授業が始まる」

立ち上がりそっと手を差し伸べる。
彼はこちらを向き、少し迷ってから僕の手を取った。
そして互いの存在を確かめ合うように、手を握り合ったのだ。

僕らはいつか誰かに認められるよう、今日という今を確かに生きている。


※注釈:人口の数値は、2015年3月1日現在の概算値

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