企画作品集


□ホットケーキを巡る構想
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いかに上手にホットケーキを焼くかとか、私の人生におけるホットケーキの重大性とか、君は何一つ知らないのでしょうね。



「このへたくそ」

罵る声に顔を上げると、不機嫌そうに眉間に皺をよせた君と視線がぶつかった。

「これ、難しい」

言い訳のようにそう言って肩を竦めると、君はため息を吐いた。

「せっかくのホットケーキが台無しだよ」

かして、と言われたから素直に場所を譲る。
君は真剣にフライパンを覗き込むと、鮮やかな手つきで俺が失敗したホットケーキをひっくり返した。

「うまいじゃん」
「当たり前のこと言わないで」

相当機嫌を損ねたらしい君は、俺の顔を見もせずにバターとハチミツを出せと呟いた。

「あ、バターないや。マーガリンも」
「何それ」

冷蔵庫を覗いた俺に、心底呆れたといった声を出した君は、俺を押し退けるようにして同じく冷蔵庫を覗き込む。

ないものはない。

「バターなしで良いじゃん」

俺の言葉にいやいやをしながら頭を上げた君は、再びフライパンへと戻る。

「ハチミツならあるよ。メープルシロップも」

無言。

「じゃあ、テーブル片付けとくから」

無言。

背を向けると、ホットケーキをひっくり返す軽い音と、君が何かを低い声で呟くのが聞こえた。

「何?」
「まるでバターのないホットケーキ、って言ったの」
「うん、確かにバターはないけど」
「そういうことじゃなくて」

首を傾げていると、君はチラリとこちらを見て、皮肉な笑みを浮かべた。

「ホットケーキの重要性を教えてくれた人が、昔言ってたんだ」
「ふーん」
「他にもあるよ、ホットケーキの慣用表現」

皿を並べながら、さっきのはどういう意味なの、と尋ねる。

「味気ないモノの例え。たとえば、君みたいな男のこと」
「あ、それ傷付いた」
「傷付いた時に使うのは、まるでぐちゃぐちゃになったホットケーキってやつ」
「うん、そこまでは傷付いてない」

君は薄く、自嘲気味に笑うと、君はホットケーキみたいに軽いね、と呟いた。

「それは誉め言葉?」

僕の問い掛けには答えずに、君は新しいホットケーキを焼き始める。



小さなテーブルに並んだおもちゃみたいなホットケーキ・セット。

君は少し不満気にそれらを見渡すと、諦めたように食べようかと言った。
少しは機嫌が良くなったらしい。

「バターもマーガリンもないけど」

君はホットケーキを切り分けながら、ぼんやりと呟く。
僕はフォークの先でホットケーキをつつきながら、黙ってうなずく。

「バターもマーガリンもないけど、」
「うん」
「ホットケーキは好きだし、ホットケーキみたいに軽い君のことも好きだよ」

僕は君にホットケーキの重要性とホットケーキの慣用句を教えてくれた人を知らない。
君が、どれだけその人を慕っていたのかも。

けれどそんなセンチメンタルなことには、今は気が付かなかったフリをしておこう。

「ねえ、今にピッタリの新しい慣用句を思いついた」
「なに?」
「ホットケーキみたいに甘い」

君は驚いた顔をすると、それはどんな意味、と尋ねる。

「ただただ甘いだけのモノの例え」





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