mini2

□声
1ページ/1ページ





 君のことを愛している。

 口に出してしまうと消えてしまいそうな心細さを感じて、僕はいつも沈黙の中にいる。そんな僕に寄り添うように、君はいつも僕の傍にいた。

 君の声は春の桜のように淡く柔らかだった。

 無口な人だね、君は初めて会った時に笑って僕にそう言った。僕は、言葉にすると本当に心が感じているものが逃げていってしまいそうだから、なるべく黙っているんだ、と答えた。そんなことを言う人は初めてだと君は笑った。

 君の瞳は夏の空のようにどこまでも澄みきっていた。

 どうして君が僕を選んだのかは解らない。君はとても美人だし、君に釣り合う男はこの世の中に何人もいた。尋ねはしなかった僕の心を読んだように、君は僕のことを愛していると言った。

 君の笑い声は秋の風のように軽やかだった。

 先に沈黙を破ったのは君の涙の溢れる音だった。夜の闇に犯され始めた部屋で、君は静かに涙を零した。僕に出来ることは、その涙を拭って君を抱きしめることだけだった。

 君の温もりは、冬の陽射しのようにあたたかだった。

 もう戻れないよ、そう言ったのは君だった。そう言わせたのは僕だった。愛し合っていた。言葉なんかじゃ伝えきれないほど深く愛し合っていた。君には僕が必要だったし、僕には君が必要だった。

 どこで何を間違えたのだろう。愛しているのに、どこかで何かの拍子で何かが崩れ、それはまるでダムが決壊するように全てを壊し、全てを流していった。

 愛している。それだけでは駄目だったのだろうか。世界中の人類全てを失うよりも、君を失うほうが怖かった。それでも、そんな大事な言葉さえ、もう僕の口からは出てこなかった。

 愛している。君はそう言って僕のことを抱きしめた。ぽろぽろと涙を流す君に、僕は何をしてあげられただろう。

 叫んでも、もがいても、瞼を腫らしても、僕は君のことを離せない。

 君のことを愛している。どうしても伝えたかったその言葉も、音にはならずに虚空に消えていった。






[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ