short story

□青い月にて
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 目を覚ますと目の前は夜空が広がっていました。足下も夜空で、宇宙の空間に浮いている感覚がしました。どうしてこんな所にいるのでしょう。あたしにはそんな力がないのです。
 すると、遠くからあたしの事を呼ぶ声がしました。『蘇芳、蘇芳』と弱々しく。あたしは名前を呼んでいる場所へと走りました。尚も『蘇芳、蘇芳』という声が響き渡ります。でも、どこまで走っても人なんていないのです。
 あたしが辺りを見渡していると、また声がしました。今度は何か言われました。
「……がい」
「へ?」
 微かに聞こえた声は、とても声が小さくて消えてしまうくらいでした。あたしはもっとよく耳を澄ませます。
「お願い……あたしを……」
「どうしたの?ちゃんと言ってくれないと分からないよ?」
 やっぱり聞こえにくかったのであたしは優しくそう言いました。すると何故か目の前の空間が歪みました。そこから手が出て来たのです。
「……あたしを……あの子の元へ……!」
「ふえ?」
 誰かが苦しそうに叫ぶとその手はあたしの腕を強く握られたのです。そしてそのまま強く引っ張られ歪んだ空間の中に連れていかえてしまいそうです。あたしは怖くて必死に叫びました。てっちゃん、クロちゃん、青ちゃんっていろんな人の名前を叫びました。
 だけどそんな努力も虚しく散り、どんどん引きずり込まれてしまいました。異空間に入ると同時にぴかっと瞬時に目を瞑る程の光に当りました。少しの間、全く目が開けれずにされるがままに手を引かれていましたが、やっと目を開けると
「あ、おはようございます蘇芳」
「……おはよう」
 そこはいつものてっちゃんと一緒に暮らす家でした。もう眩しいくらいの朝日が家の中に入っていました。
 てっちゃんは朝早くから洗濯物を干しています。遠くから風鈴の音が鳴っていて暑さが和らぎます。
 いつも通りの朝の風景、いつも通りの日常が始まります。
 だけど、今日はいつもの日常を過ごす事が出来ないんじゃないかと思いました。
 


 夕暮れから夜に変わる時間帯。周りは、華やかに輝きだした屋台で彩られていた。
「今日は花火日和ですね」
「曇らなくて良かったわね、青雨男だから」
「そうそうオレは雨男……って何言わせてんだ」
 オレは藍鉄とクロにそう言うと屋台を見渡した。どこからともなくいろんな食べ物の匂いが溢れていて、匂いを嗅いだだけでお腹の音が鳴る始末だ。
 今日は夏祭り。8月31日にやる祭りなんてどこを探してもないと思うが、DIVAでは夏の終止符をする為にこの日に祭りがあるのだ。花火も上がるらしい。そもそもこの祭りはモジュール同士交流を深める為の祭りだったりする。
 そして今日は何故か月が『月の廃墟』よりも大きかった。よく分からないが、それは祭りをもっと鮮やかにしてくれているようだった。
 相変わらず隣で藍鉄とクロはオレをからかってくるのだがどうするべきなのだろうか。全くあいつらは……と隣にいる蘇芳を見ると、蘇芳はいつもみたいに笑いかけてくれなくて、無表情で遠くを眺めていたのである。何かおかしい。だがだんだんと暗くなる空がバックでオレの目に映し出される蘇芳のこの表情がとても綺麗だと思ってしまったが、落ち着けオレ。蘇芳が様子がおかしいのに呑気にそんな事考えるなよ。
 オレは強く首を横に振ると蘇芳の肩を軽く叩き呼んだ。
「蘇芳?」
「ひゃっ!あああ青ちゃん……!」
 予想以上に蘇芳が驚いていたので内心心が痛んだが、恥ずかしいのでそれを隠しながら口を開いた。
「蘇芳こそどうした?いつもだったらイベント事のははしゃぐのにさ」
「ええ!?だ、大丈夫だよ!あたしいつも通りだよ!」
「ふーん?」
 オレはただただ不思議そうに蘇芳を見ていた。
 蘇芳がこんなに慌てたのを見たのは初めてなのである。初めの頃はまあいいとして、いつもはしゃいで逆に人を慌てさせる奴なのに。ぼけーと考えていると蘇芳はオレの右裾を掴んだ。
「楽しみだね、お祭り」
「あ、ああそうだなあ、蘇芳は初めてなのか?」
「うん、初めて!しかもこんなお月様が大きい日にお祭りって凄いよね!」
 蘇芳はそう言いながらにこっと笑った……やっと笑ってくれた。オレはその笑顔にほっと安心して「そっか」と返した。何だか握られた裾がくすぐったい。嬉しいのと恥ずかしいのが混ざった感覚なのかなと思った。
 ああ、とても幸せだ。
 そう幸せに浸っていると、遠くから風の音がした。普通の風のまるで違う音。
「おや、どうしたのでしょうか」
「食べ物の中に砂が入らなきゃいいんだけど」
「まーたクロは食いもんばっかだな」
「青、蹴るわよ……?」
 よく分からない異変でもいつも通りに話すオレ達だったが、いきなりオレが震え出した。いや違う、震えているのはオレじゃない。
 ずっとオレの右裾を握っている蘇芳が震えていた。その振動がオレにまで伝わってきたようだ。蘇芳の顔色があからさまに悪い。
 オレは蘇芳に声をかけようとしたがそれと同時に風が勢い良くこっちに突進してきたのである。それに巻き込まれたオレは思わず蘇芳から離れてしまった。近くからクロと藍鉄の叫ぶ声が聞こえたので二人も飛ばされたのだろう。蘇芳の様子がおかしいというのになんてタイミングの悪い風なんだろうか。
「だ、大丈夫か……?」
「僕はなんともありません」
「私も平気……なんだったのかしら……」
 すぐに先に立ち上がり藍鉄とクロが徐に体を起こすのをオレは確認して辺りを見渡した。とりあえず屋台などは全く被害はないと分かった。何故オレ達だけ飛ばされなくちゃいけないんだ。
 オレはポリポリと頭を掻きながらもう一度辺りを見渡した。やはりオレ達だけが飛ばされただけで何も変わらない……と思ったが、ある光景を目にした。
 蘇芳がその場で倒れ込んでいたのだ。蘇芳は飛ばされた訳ではないのに。思わずそこに走り寄った。さっきの飛ばされたのが原因か、膝が少しだけズキッと痛んだ。
「蘇芳……!」
 オレはその場に辿り着くと、しゃがみ込み倒れている蘇芳を抱き寄せた。いつもだったら『抱く』という行為に緊張してしまうがそんなの今はどうでも良かった。
 蘇芳の体はぐったりとしていて「蘇芳」と何度呼んでも目を覚める事はなかった。しかも蘇芳の衣装がみるみる白から黒に変わってきていた。一瞬夕暮れだからそう見えているのかなと思ったが目を凝らすとやはり布が真っ黒で。どうしてだ……?
「蘇芳!大丈夫ですか!?」
「なんで真っ黒になってるのかしら……」
 こんな状態のオレの横に藍鉄とクロが来て倒れている蘇芳の様子を覗き込んだ。それでも蘇芳は目覚めない。藍鉄は徐に蘇芳の顔を触ったが、結局原因は分からなかった。そんな時だった。
「ごらああああああ悪戯狐めええええ!」
 遠くからでも普通に聞き取れたくらいの怒声がした。隣にいた藍鉄は驚いたのだろうか少しだけ肩をびくりとさせていた。その声は大人びた『鏡音リン』の声。
「陽炎!?」
 オレが振り返ると同時にクロが名前を呼んだ。
 そこには片手で刀を持ち全力疾走したのか息切れをした陽炎がいたのである。何かに怒っているのか見開いていた瞳は充血していた。すると陽炎は倒れている蘇芳を見ると、先程とは打って変わって静かな声で「そこに隠れているのか」と呟き、蘇芳に人差し指を向けた。
「お前らそこを退け」
 陽炎は吐き捨てるようにオレ達に言うと、小さくぶつぶつと何かを呟き出した。微かに聞こえたが、オレには理解出来ない様な言葉だった。
 そうしていると抱きかかえていた蘇芳は「ううう……」と唸り声をあげた。やっと目覚めたか、オレは安心して蘇芳を見たが、それは大きな勘違いと分かった。
 蘇芳は苦しそうに目を固く瞑りながら唸っていたのだ。首をぶんぶんと横に振り、苦しみから逃れようとしている。
「蘇芳……?」
 クロは恐る恐る蘇芳の名前を呼んでも、蘇芳は目を覚ます事なくただただ唸っているだけだった。
 しかし、一瞬だけ蘇芳の表情が和らいだ。オレは何事かと陽炎の方を見ると、藍鉄が陽炎の手を掴んでいた。
「陽炎様何をしているのですか!これは妖を消滅させる術です!何故蘇芳に」
「お前はまだまだ修行が足りんな、蘇芳の中に妖が取り憑いているんだよ、悪戯好きな狐がな」
「ですが妖は……わっ」
 藍鉄は何かを言いかけたが、鋭い眼差しを向けた陽炎に飛ばされた事によって最後まで言う事が出来なかった。そして陽炎は人差し指を蘇芳に向け直すとと呪文のようなものをまた唱え始めた。さっきよりも苦しく唸る蘇芳の声が響き渡った。
 これは蘇芳の体には影響はないのだろうか。いくら妖が取り憑いたと言っても、蘇芳も苦しんでいるのではないのか?
 しかし未だに妖は蘇芳から出てこない。だんだんと「苛つく……苛つくぞ」と陽炎の本当に苛ついた声が聞こえた。陽炎が短気なんて事はモジュール中に知られていた。あいつがどんな手段でも苛つかせた者を消滅させられる事も知っていた。そして苛ついたままの陽炎はもう片方に持っていた刀を苦しんでいる蘇芳に構えた。
「陽炎……お前何する気だ?」
 オレは陽炎を睨みつけて聞くと、陽炎は当たり前のようにこう言った。
「妖を蘇芳ごと切ってやるんだ。青月、そこを退け」
「なんでそうなるのよ」
 それを聞いたクロは信じられないかのように言いながら、オレが抱き締めている蘇芳に覆い被さった。クロは勇敢な行動をしたが、振動がこちらにも伝わって来て震えているのが分かった。……別に無理しなくてもいいのに。クロの意地に思わず笑ってしまいそうになったが、今はそんな空気じゃないのでぐっと堪えた。
「退かぬならお前らごと切ってやる」
 陽炎は一回溜め息を吐くとそう言い、刀を構え直すと大きく振り下ろした。オレは咄嗟のクロごと抱きかかえると目を瞑った。
 ……これで終わりなのか。そう思ったその時、カキンと刀が何かとぶつかった音がした。しかも切られていない……?オレは目を開けると
「お止め下さい陽炎様」
 目の前でどこから持って来たのか分からなかったが藍鉄が刀で陽炎の刀を受け止めていた。
「妖がいるのは分かりましたが、無理矢理妖を出そうとしても出てこないというのはご存知ですよね?妖は優しい言葉に釣られて出て来るのですよ。ましてや倒れている者と力のない者に刀を向けるなんて陽炎様のやるべきことではありません」
「黙れ藍鉄!」
 正当な事を言われて、陽炎は少しだけ目が泳いだ。しかし、パワーは墜ちる事なく刀同士がぎりぎりと鳴っていた。
 すると、技が解けたのか蘇芳がぴくりと体を動かしたのである。クロもそれに気付いたのか蘇芳の顔を覗き込んだ。
 蘇芳はだんだんと瞼を開いた。オレとクロは揃って「蘇芳」と名前を呼んだが
「……人間嫌い!」
 オレ達の顔を見た蘇芳は慌てて無理矢理オレの腕から脱出するとそう言い捨てて、混雑し始めた祭りの中へと一瞬で消えてしまった。
「待て蘇芳!」
 オレはそんな蘇芳をいつの間にか追いかけていた。
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