鹿×獅子
□シアワセ色の花
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0.
僕は彼女が好きだった。しかし、付き合っていたわけではなくて、僕の一方的な想いだった。
そして彼女は、どう思っていたのかは分からなかった。先輩はきっと、あの人のことを好きだったはずで。
僕と先輩は、どうしようもない想いのまま、知らず知らずのうちに、互いに駆け引きをしてしまっていたらしい。
先輩。彼女。僕。
僕らの想いは交差しながら、真っ黒い闇の中に緩和してゆく。
1.
僕が初めて彼女を見たのは、大学の講義室であった。なんとなく、その場の雰囲気に飲み込まれてしまいそうな彼女は、長い栗色の髪を、ふわふわと巻いて、笑顔が可愛いひとだった。
僕には友人とよべるものが決して多くはなかったので、紹介してもらえる程のネットワークを持ち合わせてはおらず。
彼女に初めて話しかけたのは、大学一年の秋だったと思う。
ねぇ、これ、君のペンだよね?授業中にころか転がってきたのだけれど。
彼女の柔らかそうなぽってりとした唇がそう言ったとき、僕は今日で寿命が終わるのではないかと疑った。
あぁ、そうです。すみません、ありがとう。
照れ隠しをするために、少し俯いて彼女に答えると、彼女は柔らかく微笑んで
そう。それならよかった。
そうして、僕達は始めて言葉を交わしたのを記憶している。
君は常に友達を纏った。僕にも何人か、親友とよべる友達がいるのだが。それでも、女子だらけの集団に埋もれる君に近づく術はなかったのである。
2.
先輩とは、大学の講義室で会った。
初めて先輩を見たとき、僕はものすごく昔から彼を知っていた様な気がした。
それと言うのも、先輩は二つ学年が下の僕らのあいだで有名だったからだ。先輩の容姿は人目を惹きつけずには居られなかった。
ぱっちりとした大きな二重の瞳に、風さえも駆け巡りたいとねがうであろう金色の髪の毛。おもわず口づけをしたいと思ってしまう鮮やかな唇。程良くついた筋肉。随分鍛えている様なのは、洋服の上からでも充分に解できる。
何故、あれ程までに完璧な人間を神様は作ったのだろうか。
とにかく、僕は昔から先輩を知っていた様な気がした。
また、先輩は友好的であることでも有名で有った。
誰にでも分け隔てなく接し、常に笑顔に溢れ、誰からも好かれた。
僕とはまるで対極にいる人間。
それが、ジェジュン先輩。
3.
僕はあの日、図書館に借りていた本を返しに行っていた。返却口へ並ぶ僕の前に立っていたのが先輩であった。
僕はすぐに、あ、ジェジュン先輩。などと心内に想い、また、先輩をこんなに近くで見るのははじめてだった。
首筋は露わになっていて、半袖をきた上半身からはすらりとした筋肉がつく腕が伸びる。
なんとなく、その腕に触りたい衝動に駆られた。
しかし、そんなことをする訳にもいかず、僕はその雑念を取り払おうと、ひとつ、ゴホンと咳払いをした。
そのとき、驚いたことに、目の前にいた先輩が振り返ったのである。
噂どうりのしろい滑らかな肌。艶々とした唇にしばし見とれてしまいそうになる。
ぼくはもうびっくりして、何も言えずに目を逸らした。
先輩は何か言いたそうな顔をしていた。
なんだろう。咳払いがそんなに嫌だったのだろうか。それならば、謝らないと…
しかし、先輩の順番がきて、彼は返却口へと向かってしまった。
なんだかすごく残念な心持ちであった。別に、先輩と話せるような立場でもないのに。なのに、もしかしたら、を考えてしまう。
やがて先輩は本を返して、何処かへ行ってしまった。そして、次は僕の番だった。
簡単な遣り取りを終えて、本を返して、僕は図書館を後にしようとドアを開けた。
「ねぇ、君、シム・チャンミンでしょ。」
突然の声に驚いて振り向くと、それはジェジュン先輩だった。
先輩は、ドアのすぐ横の壁に寄りかかっていて、腕を組み、僕を見つめた。
「違うの?」
何も言わない僕に、先輩がふたたび問うた。
はっとして、僕は、はい。そうです。と冷静に返した。先輩は、やっぱり。と、言って微笑んだ。
「チャンミン。俺と仲良くしてやってくれないかな。」
先輩が噂以上の愛嬌のある笑顔を僕に向ける。
どうしてですか。と、質問したくなったが、なぜか、それは聞いてはいけない気がした。
僕は、なんとなく頷いて、先輩のサラサラの髪の毛を見ていた。
大学一年の夏の事だった。
4.
それからは、まるで先輩の話術にはまってしまった様だった。
飲み会に、サークル、そして居酒屋でのバイト等。先輩は僕を至る所に連れ回した。そして、僕を自身に同化させた。
一瞬の内に、僕のセカイは拡張した。
先輩は、自分の仲間に僕を紹介した。先輩の友達は、皆、先輩と同じ雰囲気を纏った人々だった。
その中で、僕はある人と仲良くなった。それは、ユチョン先輩であった。
ユチョン先輩は、ひどく大人びていて、一つしか違わないのに、僕よりもはるかに歳上のような気がした。
ユチョン先輩は、ジェジュン先輩とは違って、愛嬌を出したり、誰とでも仲良くやって行くようなひとではなかった。どちらかと言えば、僕に近い性質を帯びていた。
ユチョン先輩には、同性の恋人がいた。僕はそれを、サークルの飲み会の席で明かされた。同じ大学の人らしかった。そして、一緒に住んでいるとも言っていた。
恋人のことを告白されたとき、僕は然程驚かなかった。ユチョン先輩はそれを嬉しいと言ってくれた。それがどういうことなのか僕にはよく分からなかった。
僕とユチョン先輩が二人でいることを、ジェジュン先輩はあまり嬉しくおもわない様だった。
「何の話をしてるの?」
ジェジュン先輩はいつもこうして、僕とユチョン先輩の間に入ってきた。
「チャンミンと秘密の話してた。」
ユチョン先輩は、不敵に笑いながらそう言った。
別に、人らしかった。話なんてものはしていなかったのだけれど。
「なにそれ!俺にも教えてよチャンミン!」
先輩は笑いながら僕とユチョン先輩の間に座った。
「だーめ。俺とチャンミンだけの秘密。」
「はぁ?」
「違いますよ。先輩、秘密の話なんてしてませんから。」
「もー、チャンミンダメだよバラしちゃ。」
「すみません。」
僕がそう言うと、ジェジュン先輩は僕をみつめて微笑んだ。
「チャンミンはジェジュンに甘すぎる。」
ユチョン先輩が、酒を口に運びながら呟いた。
いいんです。だって、ジェジュン先輩は可愛いんですから。僕は甘やかさずにはいられないのです。
ぼくは何だかんだいいながら、たぶん、ジェジュン先輩の要求することは全て応えていたような気がする。
それは何故だかは分からなかったけれど、先輩が僕の名前を呼ぶたびに、僕は喜びに満ちた。
5.
ある日、サークルに彼女が入ってきた。
彼女は、もう一人、友達を連れてこのサークルに入りたいと、先輩に言っていた。僕達はそれを受け入れた。サークルの責任者はジェジュン先輩だった。僕らのサークルは大規模なものだった。それも全て、ジェジュン先輩の友好関係によって成り立っていたのだけれど。
彼女は、僕を見つけると、まるで良く知った仲のように話しかけてきてくれた。
「君、ここのサークルにいたんだね。」
「うん。夏前くらいから。」
「そうなんだ。私もね、友達がジェジュン先輩に近づきたくて、入りたいって言ったから、頼まれて一緒に入ったの。」
「随分な動機不純だね。」
「ふふ。そうかもね。だからね、私はおまけのつもりで今日来たの。だから、あまりサークルには顔を出さないつもりだったんだけど。」
「けど?」
「君がいるなら、ちょくちょく参加しようかな。」
彼女は、何を考えているか、いつも不明確でした。
思わせぶりなのか、天然なのか。僕には分からなかった。とにかく、彼女と少し近付けたような気がした僕は、それから彼女によく話し掛ける様になった。
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