儚き狼 本
□第1幕
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『やっぱ外の空気は心地いい』
舞は京の出店に来ていた。ごったがえす人の波に身を任せ、あちこちを見て回る。
『活気あふれる町だ…』
人間は好きだ。でも、一定のラインを越えることはできない。信用できる人間など、この世の中に存在していなかった。
「いらっしゃい、お嬢ちゃん」
気がつくと、一軒の店の前に来ていた。そこには色とりどりの簪が所狭しと並べてある。
『…手造りか?』
「ああ、よく解ったね!そうさ、みんなワシが造ったもんさ」
自慢げに胸を張るのは、綺麗とは言い難い着物を着た男性。周りを見回せば、他の店主は皆綺麗な着物を着ている。
店の作りも、他の店と比べてボロ臭い印象だった。そのためか、こんなに綺麗な簪があるのに、客は自分以外誰一人いない。
『これ、1本貰おうか』
「あいよ!お嬢ちゃん別嬪さんだから、もう一本オマケだ。好きなの選びな」
『だが…』
「いーのいーの!こんなボロっちいワシの店に来てくれた礼でもあるんだからな!」
人の良さそうな笑顔。
『…すまない』
「いーってことよ!」
本当に嬉しそうに笑う店主に、一瞬心が揺れかけたが、あの人間の言葉で現実に引き戻された。
「またおいでー!」
後ろでそう言っている店主の言葉など、耳にも入ってこなかった。
―夜―
「やあ、お嬢ちゃん。また会ったね!」
睡蓮に言われた「暗くなる前に帰って来い」を実行することもなく、舞は夜の道を一人歩いていた。
そこへやって来たのは、昼間簪を一本おまけしてくれた店主。
「一人なのかい?帰る家は?両親は?」
執拗に聞いてくる店主。それを無視し、その場から立ち去ろうとする。
「ありゃ、いけないねぇ?質問は答えるためにあるんだよぉ?」
『…家庭内事情まで話すほどの仲じゃない』
「そうなのかい?ワシはてっきり心を開いてくれたもんだと思ってたのによぉ?」
昼間とは違う店主に、悪寒がする。コイツ…裏がある。
「嬢ちゃん、何度見ても綺麗だよ。ワシ、一目惚れしちまったんだ。
こう見えても、ここらじゃ有名な和菓子店の店主なんだよ。ワシの妾(めかけ)にならんか?」
やっぱり、ろくな人間じゃなかった。この世には汚れた人間ばかりだ。欲望のままに、自らを突き動かす。
優しい人間には裏がある。睡蓮がよく言っていた言葉通りになった。
「ワシを惚れさせておいて逃げるとは、罪な女だなぁ?」
近づいてくる男。
「さぁ、こっちへおいで。毎日贅沢できるよ?」
汚れた手が伸びてくる。
「ほぉら、おいで?」
寄るな、よるな、ヨルナ!
バシッ
気がついたら、男から買った簪で男の手を叩き落していた。
「…よくも、ワシの手を…!」
『……』
「素直にワシのもとへ来ていればいいものを…もう遅い。こうなったら実力行使だ」
男の右手が上がった途端、わらわらと湧いてくる人間。所詮汚れた人間の下に付く者達だ。
「やれ。出来るだけ無傷で手に入れろ。そのあとワシが………ムフフッ、フハハハッ!汚してやるよ、お嬢ちゃぁあん!?」
狂ったように叫ぶ男。もはや人間じゃない。それに付き従う者も。
『………屑にすぎん』
襲いかかってくる屑。それを……黒い尾で薙ぎ払った。
「は?」
状況が理解できていない様子の男。その場に血飛沫が飛び散る。薙ぎ払った男共に、既に息は無い。
『所詮、屑は屑だ』
「な、え、はゅ…?」
『お前も所詮そうなのだろう?店主』
赤くなった瞳。漆黒に染まる髪。そこから生える、人間の物とは言えない耳。そして、着物の裾からのぞく黒い尾。
「に、人間じゃない…!?ば、化け物ッ!」
『屑に化け物呼ばわりされたくはない』
その場に居た店主の部下は、全て消した。残るは……店主のみ。
「わ、悪かった!許してくれッ!」
『…』
無言で近づけば、焦ったように後ずさりする男。
「まってく『消え失せろ』はガゥッ!」
沈黙。
しゃべらなくなった男。
つまり、
死。
『やはり、つまらん』
「総大将…ずいぶんと、お遊びになられたようで」
『睡蓮か…悪い、枷が外れた』
「そうです、ね」
音もなく現れたのは睡蓮。きっと私の帰りがあまりにも遅いので心配してきたのだろう。
『睡蓮』
「なんですか?総大将」
『やはり人間など、信じるにすぎんな。後には、欲望にまみれた裏切りが待っている』
「そうですね」
皮肉にも、その日の満月も、綺麗に輝いていた。
→あとがき