儚き狼 本
□第5幕
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『珱』
「舞様!」
珱の家に侵入し、物音をたてないように部屋へと入った。
『もう行くのか?』
「はい。もうそろそろ迎え…是光様が来ると思います」
『是光…?誰だ、そいつは』
「花開院家のも者で、今度から私の護衛をしてくれる方です」
『そうか』
ス…、と目を閉じると、舞の周りを何処から出てきたのか煙が包み込んだ。その煙が晴れた時、舞は一匹の黒い狼になっていた。ちゃんと尾は一本にしてある。
「え……。舞、様…?」
『ああ。そうだぞ』
「お、狼が…狼が居ます!」
『その狼が私だ。……人がくる。くれぐれも私の名を呼ぶなよ』
舞が黙った瞬間、珱の部屋の襖の前から声が聞こえてきた。
「珱姫様、お迎えに上がりました」
「あ、今行きます」
珱は立ちあがり、舞の方を見た。その視線に頷いてやる。
「是光様!」
「何でございましょうか」
「その、この子も連れて行ってもいいですか?」
襖を開けた珱姫が私のことを指さした。
「お、狼、ですか?」
「はい。言うことをよく聞くいい子です」
「…珱姫様がそう仰るのなら」
是光は狼となった舞を一瞬睨むようにして見ると、珱の前を歩いて行った。
『(…私が妖だということに気づかないのか…?バカだな)』
舞も先に行った珱の後を負い、屋敷を後にした。
―花開院家屋敷―
「着きました」
牛車の入口が開かれると、目の前には珱の屋敷とさほど大きさが変わらない屋敷がそびえ立っていた。
「ここが花開院家ですか。大きいですね」
「珱姫様の屋敷と比べたら…」
恭しく頭を下げる是光。人間ってのは本当に上下関係が厳しいのだな。
「さ、こちらです」
前を歩く是光の後に続いて屋敷に入った途端、方々からの視線が突き刺さった。
「(何でしょうかあの黒いのは)」
「(狼だわ!)」
「(やはり珱姫様は我々と格が違うな…。飼い馴らす動物さえ格が違うぞ)」
「(流石大名の娘様だ)」
『(聞こえているぞ。と言うかこの私が人に飼い慣らされるわけがなかろうが)』
狼となった今、舞の視覚・聴覚・嗅覚は普段よりもずば抜けたものになっている。コソコソ話しているつもりでも、全て聞こえているのだ。
「少々お待ちください」
大きな広間に連れてこられた2人はそこで待つように言われ、是光は出入り口で一度頭を下げると、誰かを呼びに行った。
「舞さ」
『(名を呼ぶな!)』
名前を呼ぼうとしていた珱の頭を、尻尾で軽く叩き、牙をむき出して唸った。途端、ハッとする珱。
「すみません…」
返事をしてやりたいところだが、ここは腐っても陰陽師の家だ。殺される気はないが、あまり殺したくもない。
それに今は珱を連れている。純粋すぎにもほどがあるこの娘の前で殺しは避けたいところだ。
「珱姫様、秀元をお呼びいたしました」
是光が再び現れた。横にはもう一人、目の細い男が立っている。この軟弱そうなのが秀元…?
「お初お目にかかります珱姫様。13代目秀元いいます。以後、お見知りおきをぉ」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
頭を下げ合う二人を見て、人間関係というものが面倒なものだということを再確認した。と言うか秀元、口調が軽すぎやしないか。
「それで、渡す物とは一体何なのでしょうか…?」
「あぁ、これや」
珱の目の前に差し出されたのは、一本の退魔刀だった。