儚き狼 本
□第3幕
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「ようこそおいでくださいました!」
屋敷に付いた途端、抱きついてくる珱を受け止める。
「さ、どうぞ!」
『……』
人間とは、本当におかしな生き物だ。昨日の今日で屋敷に招くなど……無防備にもほどがある。
『ここが珱の部屋か?』
「はい」
案内された部屋には、多くの着物がかけてあり、また多くの書物が置いてあった。
「今、お茶とお菓子をお持ちしますね」
そう言い出ていった珱。
『大きい、な…』
それでも、主に感じる気配は珱を含めてたった2つ。他は雇っている侍女達。それを含めても50に満たない。
この屋敷は舞の屋敷よりは小さいが、そこらの屋敷よりははるかに大きい。ざっと見積もっても、100人は住めるはずだ。
『人間ってのは、貧富の差が激しすぎる』
ここに来るまでに、何人もの飢えた人間を見た。その横を通り過ぎる裕福層の人間。同じ人間なのにもかかわらず、此処まで違うのだ。
確かに妖怪にも組に所属している者とそうでない者とでは差がある。しかし、此処まではない。
「お待たせしました!…あの、羊羹はお好きですか?」
『食べられないことはない』
「よかった……家に今、これぐらいしかなくて」
そう言って出されたものは、かなり上質な羊羹。その横で湯気を上げる抹茶も、上質なものに違いない。
『…なぁ、珱』
「何ですか?」
『道の端で倒れている人間…あれはなんだ?何故誰も助けてやらん』
「……助けられないから、です」
舞の目の前に座った珱は、視線を下に落とし、着物を握りしめた。
「あの方達は、皆逃げて江戸へとやって来た者達です。彼らに関われば、こちらの命が危うくなる…だから、誰も助けないのです」
『自分の命惜しさに見殺しにしているのか。惨いな』
「……数か月ほど前に、一人の男性と女性が侍に斬り殺されました。男性は逃げて来た方で、一人の女性に食料を分け与えてもらっていたんです。
規則を破った見せしめに、と、男性と食料を分け与えていた女性を、侍たちは大勢の人の前で殺しました」
『………』
「それからは、誰も近づかなくなりました」
『…やはり、人間など、皆同じか』
「…え?」
『いや、なんでもない。それより、その男はどうなった?死体をそのまま、という訳にもいかないだろう』
「それが…消えたらしいんです」
『死体がか?』
「はい。首を切り落としたところ、いつの間にか胴体と首が消えていたらしいです。
その事件があった頃からなのですが、近頃はよくこんな話を耳にするようになりました。男性が、蘇ったと」
きっと彼は妖になったのだろう。女性に恋い慕っていたのか、はたまた別の理由があったのか。
どちらにしろ、この世に未練があることは間違いない。じゃないと、妖になどなれないのだから。
『その男は何かをするのか?』
「はい、この頃夜明けとともに侍の死体がよく見つかるそうなんです」
男は自分を殺した侍を殺すために、この世に蘇ったというところか。
『その男は、どこに出る』
「川掘りでよく見かけると、聞きましたが…」
『そうか』
この近くの川掘りは一つしかない。今夜にでも行ってみようか。自然と右手が暁を握っていた。
『今日はこの辺でお暇する』
「あ、はい!とても楽しかったです。また明日も来てくれませんか…?」
『時間を見つけて行くとしよう』
外もだいぶ薄暗くなってきたころ、舞は珱の屋敷から出た。屋敷から出るとき、一人の男性からの視線が痛いほど突き刺さった。
きっと珱の父親だろう。珱には不思議な力があると、風の噂で聞いた。それを父親が利用して、金儲けをしているとも。
『…自分の商売道具に、手を出すなとでも言いたいのか』
「何がですか?」
『…金か。護衛などいらないぞ』
「睡蓮さんから頼まれたんですよ。総大将は目を離すとすぐどこかに行ってしまいますから」
『私は迷子になどならないから大丈夫だ』
「そういう問題ではないのですよ…」
幼子がやって来たと思ったら、それはここでは珍しい金髪金目の幼子。舞の知る中で、京にそのような容姿の者はいない。
となると、屋敷に置いてきたはずの金しか思い浮かばないのだ。
「総大将」
『なんだ』
「京に、奴良組が来るそうです」
『奴良組…?聞いたことのない組だな』
「何でも、百鬼夜行の主になるため全国を回って強い妖を集めているらしいのですが…その組が、今月中にでもここに到着するようです」
『何情報だ』
「珊(さん)が言っていたので、間違いないでしょう」
珊は雄の猫妖怪。情報収集能力にたけている。彼がそう言うのなら本当なのだろう。
「仁義のない奴らを締めるため、強い妖怪を集めるため、それと…この京を手中に収めるのが目的らしいです」
『京を手中に…』
途端、舞の纏う雰囲気が変わった。彼女から溢れる力は日が沈むのと比例して、徐々に大きくなっていく。
『私の居場所を奪うようなら……容赦はしない。皆に警戒態勢に入るよう伝えておけ』
「すでに伝えております」
『そうか』
久しぶりの組員総出での出入りになるかもしれない。そう思うと、不覚にも楽しみに思う自分が居た。