空式恋愛

□青と始まりまで
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時給の良さと、賄い付きという宣伝文句に、これだと決めて電話を掛けたのも、もう随分前のように感じる。
繁華街のオープンして間も無い居酒屋が、俺のアルバイト先だ。
売り上げは好調らしく、平日でも人の途切れることが無いくらいの店は、休日前には予約客で席が埋まることもある。
接客業にも随分慣れて、以前は窮屈だった前掛けも幾らか腰に馴染むようになってきたように思う。
ジョッキを割ることも無くなったし、先輩達ともそれなりに打ち解けてきた。

「高坂ー!23卓のバッシングお願い!」
「了解です」
「それ終わったらおしぼり補充しといて!」
「はい!」

ここでは俺が一番経験が浅く、体が大きい分雑用を任されることも多い。
しかも自分とタメなのが厨房の鈴原一人だけで、あとは全て年上だ。
こういう時、部活動で扱かれていて良かったと思う。
まあ、ホールスタッフはまだましな方で、以前鈴原の愚痴を聞いたことがあったが、接客を希望しておいて本当に良かったと思ったほどにすさまじいらしい。
職人気質の人が多いせいもあるのだろうが、やはり作業へのこだわりや気配りは流石だと思う。
手先の細かい作業が苦手な自分には、到底無理なことをこなす彼を励ましつつ、いつもは優しい店長の恐ろしい剣幕を見ることがないように願うばかりだった。

「いらっしゃいませー!」

スタッフの声と共に明らかに団体の来客を予感させるざわめきが耳に残った。
座敷に案内する先輩スタッフの後ろに大学生と思われる客が続く。
忙しくなるなあ、なんて考えていると、無意識に一人に目が止った。
背の高い男の肩越しに青い頭がちらりと見える。
学生でも訪れやすいリーズナブルな店とあってか、若い客もかなり多い。
しかしこうして知り合い―とは言えないが―が来客するのは初めてのことだった。
多分サークルか何かの集まりなのだろう、思ったよりも大人数で彼らは座敷の席四つを満員にした。

「とりあえず生ー!」
「おい、もうちょっと詰めて座れよ!」
「おしぼりくださーい」

学生特有のテンションと、幹事の通る声が座敷の仕切りを越えて耳に届く。

「忙しくなるなー」

バックヤードから誰のかも解らない呟きが聞こえて、伝票の通る機械の音が続いた。
何のサークルだろう。自分の見知った顔は青い髪の彼以外無かった様に思う。
でもきっと文化系のそれでは無いだろう。青い髪が紛れ込むのには相応しいくらい色とりどりの頭が覗いている。

「高坂、ファーストドリンクお願い!」

若干、嫌そうな顔が隠しきれなかったのだろう、ポンと背中を叩かれる。
確かにあの雰囲気の中に入って行くのは少し戸惑う。
まぁ仕方が無い。それにもしかしたら知り合いもいるかもしれないし。
淡い期待を抱きながらジョッキを抱えて座敷に向かった。

「失礼致します」

自分の声がかき消えるくらい、座敷はその団体の喧騒で溢れ返っていた。
良く見まわして、やはり自分の知った顔は一番手前に座る青い髪の彼しかいない。

「オレンジジュースのお客様ー」

生ビールとウーロン茶を配り終えて、最後に一つ残った色の違うジョッキ。
それは必然的に青い髪の彼の前に置かれる。

「どーも」

小さく呟く様に吐き出された声は、嫌に鼓膜に残る擦れた音だった。

 
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