Novel3

□ドリーの見る夢
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 きっかけはほんの些細なことだった。


「後藤さんって、右利きだったっけ」


 閉店後、後藤さんはよく、こっそりと紅茶を淹れてくれる。お店の茶葉を勝手に拝借しているので、カオルさんに見つかると良い顔をされないのだ。そういうカオルさんだってしょっちゅう業務用のリキュール使ってカクテル作ってるくせに。
 右手に持った白い陶器のポットをテーブルに置いて、後藤さんは客椅子に座った。


「両方使えるよ」

「ふーん。昨日、日誌書いてるとき左手でペン持ってたからさ、左利きなんだと思ってた」

「昨日?・・・ああ」


 ほこほこと湯気の立つ三つのカップの内、一つを取り上げた後藤さんは思い出したように頷く。
 俺も用済みの布巾をテーブルに放って木製の椅子に腰かけ、後藤さんと向き合った。そして砂糖壺に手を伸ばす。手前のカップに角砂糖一つ、奥のカップには角砂糖五つ。ティースプーンで手前のカップをかき混ぜていたら、後藤さんが苦笑いを零した。


「マコトくん、怒るよ」

「大丈夫大丈夫、あいつ甘党だから」

「へえ。男の子なのに、やけにケーキたくさん食べてるなぁとは思ってたけど」

「え、あいつそんなにつまみ食いしてたっけ」

「いやいや。廃棄の商品、家によく持ち帰ってるみたいだからさ」

「あー。それはマコトじゃなくて、マコトの姉さんがあいつに頼んで、持ち帰ってるんだって聞いたよ」

「お姉さん思いなんだねえ」


 じみじみと後藤さんは言って、カップを口に運んだ。知ってるかな後藤さん、それって世間ではシスコンって言うんだよ。
 でも後藤さんだから、そういう俗っぽい言葉とは無縁な感じがしてならない。今だって、イタリア製の無駄に高級なこの店指定の制服を嫌味なく着こなして、この前テレビで見たみたいに渋谷や池袋あたりのコアな喫茶店で「お帰りなさいませお嬢様」とか言ってた方がしっくりくるんじゃないかっていうくらいに、こう、落ち着いたオーラを身にまとっている。いわゆる紳士ってやつだ。


「ケンくんは、きょうだいとかいないのかい?」

「一人っ子だよ。後藤さんは?」

「弟と妹が一人ずつ。ここだけの話、よく弟に間違われるから大変なんだよ」

「へー、似てるんだ。会ってみたい」

「や、もう何度か会ったことあるはずだけど」


 後藤さんはきょとんとした俺を見て、くすくすと笑った。何がそんなにおかしいのかわからない。しかし笑い方までお上品なんだなこの人は。
 そしてずれた眼鏡を押し上げて、後藤さんは爽やかに言い放ったのだ。


「昨日お店に来てたのは、僕の弟なんだよ」


 俺は紅茶をかき混ぜる手を止めて、後藤さんを見た。この人、今何て言った。


「それは・・・客として?」

「いや、店員として」


 僕昨日体調悪くてねえ、どうしても行けなかったから弟に代打頼んだんだ、と、後藤さんは爽やかな笑みを崩さないまま続けた。


「それは・・・つまりその」

「双子なんだ、一卵性の」

「それは・・・あの、カオルさんはそのこと知って」

「知ってるよ。言った覚えはないけどね。さすがカオルさん」


 感心したように後藤さんはカップの中身を飲み干した。さすがで済まされる問題なんだろうかこれは。
 冷めた紅茶をすすりながら、昨日の『後藤さん』を思い出してみる。丁寧に挨拶する後藤さん、女性客から遠目にきゃぴきゃぴ騒がれる後藤さん、優しくドアを開けて客を見送る後藤さん、左手で日誌を書く後藤さん。
 まぁ見てくれはほとんど同じわけだから、カオルさん的には問題無いんだろうけど。


「そういえば、女性にはあまり間違われたことないかも」

「あぁ・・・女の人ってそういうの敏感だって言うもんね。でもさぁ」

「何?」

「・・・なんでもない」


 昨日の後藤さんは、なんとなく、本当になんとなくだけど、女性客のあしらい方が妙にこなれた感じだったのだ。きゃぴきゃぴ率だって、いつもより高かったような気もする。
 つまり。昨日の『後藤さん』は。


「あーまぁっ!」


 いつの間にか厨房掃除から帰ってきていたマコトが、そんなうめき声を上げた。



end.
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