Novel3

□八月三十一日の線香花火
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「さて」


 閉店間際。
 最後の客を見送った直後、ドアベルの音を背景にカオルさんが呟いた。


「花火でもやろうか」









 さっきまで真っ白なクリームをあわ立てていた銀色のボウルに水を張り、僕はそっとそれをカウンターまで運んだ。
 カランカラカンとベルが鳴り、マコトくんがふらふらと入ってくる、両手には、コンビニのビニール袋。
 ドアのすぐ後ろのテーブルで、ろうそくに火をつけて器用にソーサーの上に立たせていた後藤さんを見つけると、マコトくんはきっと顔を上げて一気にまくしたてた。
 コンビニとスーパー八件ハシゴしただとか雨が降ってて足元ずぶ濡れだとか寒いだとか車持ってるカオルさんが買出しに行けば何の問題も無かっただとか弾丸のように愚痴を並べるマコトくんを、ジャンケンだから仕方が無いよとやわらかくなだめる後藤さん。
 レースカーテンの向こう側の窓から、すっかり暗くなった外の様子が見える。マコトくんが言ったとおり、結構ひどい雨が降っていた。窓を伝う雨粒をちょっとだけ眺めてから、カオルさんに言われた通りに射光カーテンをした。
 ついこの間までうだるような暑さが数週間も続いていたというのがまるで嘘みたいだ。ここ最近は比較的涼しくて、日が沈んでからは冷房がいらないくらい。今日みたいに雨なんかが降れば、Tシャツ一枚だと鳥肌が立つくらい気温が下がる。
 壁の照明のスイッチの前に立って今か今かと待ち構えていたケンちゃんが、カオルさんの許しが下りた途端、三つあるスイッチを一気に押した。ふっと店内が暗くなる。ソーサーに立てられた二つのろうそくの光だけが唯一の光源だった。
 マコトくんが持って帰ってきたビニール袋の中には、線香花火が大量に入っていた。


「何よ、つまんないわね。吹き上げは無いの?」

「吹き上げなんかこんな天気なのにできるわけないでしょカオルさん」

「でも線香花火だけってのも無いと思うけど。これはシメにやるもんでしょうが」


 カウンターの上に小さめの金属ボウルを置いて、僕はカオルさんと一緒にじっと自分の持つ火の玉を眺めていた。
 テーブル席の方では他の三人が賑やかに楽しんでいる。あ、マコトくんがクロス焦がした。


「でも、最近の線香花火って変わってるのねぇ。ほらこれ、三色花火だって。黄色と赤と緑」

「緑ぃ?なんか嫌だなそんな線香花火・・・あ」


 しゅっ、と音を立てて、オレンジ色の小さな光がボウルに張った水の上へと消えていった。


「よっしゃ、アタシの勝ち」


 カオルさんが小さくガッツポーズをした。カオルさんの花火はいよいよ見頃で、ばちばちと火花を上げ始めている。僕は二つの花火をねじり合わせながらそれを見守った。


「最後までやり切ると、願いが叶うとか言うけどさぁ」


 ボウルがいくつもの火花を反射して、少し眩しい。僕は目を細めながら訪ねた。


「カオルさんて、何か願い事とかあるの?」


 すっ、とカオルさんの白い左手が線香花火をかばうように伸びた。オレンジの光が隠されて、僕からは見えない。


「あるわよ」


 カオルさんが小さく呟いた。その目はすごく真剣だった。先週受注したウエディングケーキのトップを飾る、チョコレートの花びらを作っているときくらいに。
そのときカオルさんはこう言っていた。新しい家族ができる、人の人生の一大イベントに加わることができるのって、素晴らしいことだと思わない?


「それって結婚とか?」

「はずれ」

「じゃあ商売繁盛」

「ヒロアキ、ちょっと黙っててくれる」


 ぴしゃりと言われて僕はおとなしく口を閉じた。
 反射される光がどんどん薄くなっていっても、カオルさんは手元を睨みつけていた。
 こういうおまじないなんか、信じなさそうな人なのに。意外、だなぁ。
 カオルさんの目に映る小さな光が揺れて、それがまるで目が潤んでいるように見えて僕はぎょっとした。ちがう。そんなわけない。
 気がついたら光は無くなっていた。そっと外されたカオルさんの手元には、燃え尽きた線香花火が小さく煙を上げていた。
 カオルさんが小さく笑って、用済みの花火をボウルへ落した。


「さみしいわね」

「・・・え」

「夏が終わるのって、さみしい」


 黙って頷いた僕に、カオルさんも満足そうに笑った。
 ああそうか。気分がこんなにもやもやするのは、夏が終わっちゃうからか。


「さー、みんな一段落したらスイカ食べよーっ」


 伸びをしながらカオルさんが高らかに告げた。年少組二人が歓声を上げる。
 業務用冷蔵庫に冷やしてある大玉スイカを切って持ってくるのはどうせ僕の役目なんだろうなぁと思いながら、ねじった三本分の線香花火に僕は火をつけた。これ、最後まで落ちなかったら、三つ願い事が叶ったりして。


 カーテンの向こうの開け放たれた窓からひんやりとした夜風が入り込んできて、僕は慌てて花火を手で覆った。いつの間にか雨音は止んでいた。
 夏が、終わる。






End.
 

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