短編集

□ボコ題
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弟:20 姉:22 




 ノックも無しに部屋のドアを開けて一言、


「あの女の子誰」


 と、きやがった。
 大きな目を吊り上げて眉間に皺を寄せる姉に心の中で悲鳴を上げながら、努めて冷静に俺は読んでいた雑誌を閉じて、ベッドから起き上がった。


「なんの話だよ」

「真琴が今日、バイト先で仲良さそうに話してた女の子。誰」


 今日女の子と仲良く話した記憶なんてこれっぽっちも無いのだけどっていうかいつ俺のバイト先に来たんだこの人。


「午後の講義中止になって暇だったから行ってみたの。可愛いお店ね。コーヒーもおいしいし」


 エスパーか、と俺がうなだれるのを尻目に姉はドアを閉めて腕を組んだ。
 お客様にその無愛想な態度は何、と言ってきた人物の顔が思い浮かぶ。姉はきっと、あいつのことを言っているのだ。


「で、あの女の子、誰?」

「・・・たぶん、高校の同級生」

「たぶんって何なのぉ?」

「いや、だってあれ、ちょっと言い合いしてただけで」

「仲良くした覚えは、無い?」

「・・・まぁ」

「仲良くない子と喧嘩できるほどまーちゃん器用じゃないもの」


 失礼すぎる台詞なのに反論できるはずもなく、頭を抱えたくなった。世の弟とはかくも不利益な存在なのか。それとも俺だけなのか。


「ほんとに高校の同級生なの?ただの?」

「・・・大学も、同じ」

「あーやしーい」

「怪しくない」

「だってまーちゃん、好きな子わざといじめてるようにしか見えなかったんだもん」

「小学生か俺は」

「別にお母さんとかにばらしたりしないからぁ」

「なんでそこで母さんが出てくんだよ」

「ほんとに付き合ってないの?」

「あー、なんか・・・あーもーマジで・・・」

「じゃあまだ友達なんだ」

「あーもー!俺とまともに会話する女はみんな俺の彼女なのかよ!」


 姉が急に黙り込んだので、俺はびくっとした。やばい。
 無駄とはわかっていても俺はベッドの上でずるずる後ずさった。背中に壁が当たりすぐ動けなくなる。俺は目を閉じた。救急箱のマキロンと湿布、まだ予備あったっけ。


「あーあ」


 姉がふいに大きな声を上げる。すたすたとこちらに近づいてベッドにぽすっと腰を下ろし、ふうと一息つく気配がした。そしておもむろに俺を羽交締めにした。
 羽交締めを決められて動けない俺を彼女はその細い腕でいともたやすくうつ伏せにし、背中に片膝を乗せたかと思うとそこに一気に全体重をかけ、蛙のつぶれたような声を上げる俺なんか気にも留めずに両腕をまとめ上げて、と、そこまでの構図がありありと俺の脳内で駆け巡っていたわけなのだけれど、横倒しにされた他は何も起こらなかった。
 抵抗すればそれ以上の力で抑えつけられねじ伏せられることは十分身をもって知っていたし、反撃なんてもっての外だ。だから俺はベッドに倒されたまま、動けないでいた。背中では姉が黙ったまま羽交締めを続けている。
 違和感と同時に、ゆるゆると拘束が弱まっていくのがわかった。組んだ両手を姉がほどいたのだろう。でも俺は動けないでいた。姉も俺の両脇に腕を差し入れたまま、動かない。
 こつ、と頭を俺の背中に当てたかと思うと、そのままぐりぐりと押し付けてきた。姉の吐く息が俺の背中を生温かく湿らせる。


「さみしい」


 しばらくしてから姉が呟いた。彼女はとても素直な人間だった。思ったことをしっかりはっきり口にするし態度に出すし行動にも移す。だからおれはこういうとき、困ってしまうのだ。抵抗できないし反撃なんてもっての外。逃げるか、逃げ切れなかったそのときは、されるがままになるしかない。


「お兄ちゃんもまーちゃんも男の子だから」


 さっきまで俺の首の後ろで組まれていた小さな手が、今は俺の胸で交差していた。


「全然わかってない」


 語尾が震えていたのを、俺は聞かなかったことにした。そうしないと余計にどうしたらいいかわからなくなる。そう、姉の言うとおり、俺は全然わかってないのだ。
姉はもう一度俺に頭を押し付けると、それきり黙ってしまった。俺は横になったまま動かずに、胸で組まれた小さな手を見つめた。オレンジに塗られた爪が蛍光灯の光を反射した。
 解放されたら、コンビニで消毒液と湿布買ってこよう。
 ついでに、目を冷やす冷えピタも。




end.





08:泣きわめく
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