短編集

□ボコ題
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弟:20 姉:22 兄:26 




 どうも喉の調子が悪い。
 そう思っていたら案の定次の日には頭が痛くなり咳は止まらず鼻まで詰まって、俺は身体を引きずりながら学校へ行く羽目になった。車の免許くらい取っておくべきだったと、あらためて思う。
 そのまた次の日になっても、体調は悪化する一方だった。マフラーを首元でぐるぐる巻きにして、俺はバイト先の喫茶店へ向かった。休日の昼下がりは混む。だから休むわけにはいかない。店長怖いし。
 事務所で盛大に鼻をかんでから、俺はカウンターへ戻った。その途中でパティシエからホールのケーキを渡され、ショーケースに入れるように頼まれた。言われた通りに俺はしゃがんでケースへと焼きたてのチーズケーキをしまい、立ち上がった。くらっとする。とっさにショーケースに寄りかかった。セーフ。
 その声で接客はねーよ、と笑っていた友人が休憩から帰ってきた。メニュー表とペンを俺に押し付け、テーブルの番号を俺に告げる。どうやら客からの『ご指名』らしい。誰だよ指名制度なんか取り入れた奴は。ああ、店長か。
 咳払いをしてあーあーと声がしっかり出るか確認してから、俺は注文を伺うために客席へと向かった。


「お待たせいたしま」


 おじぎの角度は十五度。顔を上げて、俺は固まった。窓際のテーブル席に座る二人の客の顔を見て、頭の痛みが増したような気がした。熱か。これは熱のせいなのか。


「ずいぶんハスキーな声のウエイターさんねぇ」


 紺のワンピースの裾を直しながら、姉が言った。ブーツのかかとで床をトントン叩く。


「もっとはっきりしゃべろ」


 なんて言ったかわからん、と姉の向いに座る兄が吐き捨てた。何故かスーツ姿だ。
幻覚か。これは幻覚なのか。俺はくらくらする頭を押さえた。


「お兄ちゃん、このフルーツロール一本買ってぇ」

「それだけでいいのか?」

「じゃあこれ、ホールのパンプキンパイも。あ、このアロエヨーグルトおいしそう」


 しかもそれは全部テイクアウトメニューだ。


「あの・・・ご注文の方、伺っても」


 この際幻覚だろうが幻聴だろうがどうでもいい。なんでここに二人して来たんだ迷惑だ頭が余計に痛くなるから帰れ、とか思ってもしょうがない。早く決めてくれ。そして事務所で鼻をかませてくれ。さっきから息が口でしかできなくて困ってるんだ。
 メニューから顔を上げた姉が俺を見上げて、口を開いた。


「まーちゃん」

「・・・何」

「だから、まーちゃん」

「は?」


 姉の目つきが鋭くなる。俺は反射的にのけぞってしまった。
 兄がやれやれとため息をついて、姉の言葉を翻訳してくれた。


「真琴、持ち帰りで」


 残念ながら翻訳されたその言葉は俺の日本語辞書には載っていなかったらしく、俺はしばらく手元のメニュー表を目で追った。
 ガタッと椅子の動く音二つがしたかと思うと、顔を上げる前に俺は首の後ろをつかまれていた。シャツの襟をつかんでいるのは兄だ。そしてそのまま俺は引きずられるようにしてレジの前へと連行される。
 ショーケースを指さしながら姉は呑気に注文をしていた。手に持っているのはもちろん兄の財布だ。
 レジを打っているのは店長だった。笑顔が通常時の三割増しで輝いているように見えるのは気のせいだろうか。
 俺の首根っこをつかんだまま、兄は店長に言った。


「こいつ、連れて帰ります」

「え?・・・あ?」

「あと、ケーキの保冷剤、多めにおねがいします」

「・・・ふざけんな放せ!」

「黙れ」

「ぐ」


 襟を引っ張り兄は暴れる俺の首を軽く締め上げた。
 俺はすがるように店長を見つめた。にっこりと笑って彼女はこう言った。別に帰ってもいい、具合悪そうだしそんな声で接客されても使い物にならないから。
 見放された俺はそのまま狭い駐車場へと引きずられていった。シルバーの乗用車の前まで連れて来られると、勢いよくドアのガラスに頭を押し付けられる。


「乗れ」


 そして、兄は俺を放り投げられるようにして後部座席に押し込めた。
 すぐさま隣に乗り込んできた姉が、何か固いものを次々と俺に向って投げた。保冷剤だった。悲鳴を上げる俺の胸倉をつかんで、服の中にまでかちかちに凍った保冷剤を突っ込んでくる。


「もー、なんで熱あるのにバイトなんか行くの。ダメじゃない寝てなきゃ」


 頬を膨らませて、姉が保冷剤攻撃を続けながら言った。
 背中や腹を直に伝う冷気に、暴れる俺の足がドアを蹴飛ばす。


「大人しくしてろ」


 兄が一喝し、カップ入りのアロエヨーグルトを運転席から俺に向って投げた。俺の横っ面に直撃し零れたヨーグルトを見てもったいない、と姉が声を上げた。そっちか。


「まーちゃんが出かけたって聞いて私、友達の約束キャンセルして急いで来たんだからね。お兄ちゃんもお仕事早めに切り上げてくれたんだからぁ」


 ああ。もう、あの職場には戻れない。恥だ。こんなきょうだい、一生の恥だ。



 いよいよ熱が高くなり、ぐったりとした俺はそのまま自宅まで車に乗せられ、兄に部屋まで荷物のように担いで運ばれて、姉に制服を脱がされて部屋着を着せられそして投げつけられなかった方のアロエヨーグルトを食べるように言われた。
 あーんして、と言われたときだけは、さすがに抵抗したけれど。
 



end.




09:抵抗する
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