短編集

□ボコ題
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弟:20 姉:22 




 姉の部屋、特にベッドの上は混沌とした世界が広がっている。正に動物の森。大小様々なぬいぐるみが転がり、彼女は毎夜それらに囲まれて、というよりうずもれて眠っているのだ。いい歳して全く悪趣味としか言いようがない。
 只今の時刻は深夜一時半。この時間帯、普段なら姉はとっくにこのベッドという名の巣窟で眠りについているはずなのに。


「まーぁちゃーん。うーふーふー」


 姉は酔っぱらっていた。確か今夜は、サークルの飲み会だとか言っていたような気がする。
 帰ってくるなり俺の部屋に乱入し、眠りに就こうとしていた俺をベッドから引きずり出して自分の部屋へと連れて来たのだ。
 そして俺をクマやらブタやらカピパラやらが転がる巣窟へと放り出すと、がばっとワンピースを脱ぎ始めた。そこでやっと俺は完全に目が覚めた。


「・・・風呂場でやれよ」

「見せパンはいてるから大丈夫だよぉー。スカートお腹冷えるもん」


 たしかに下半身はガードされているが、上半身はというと。俺は姉から目をそらした。
 姉は真っ赤な顔で笑いながら、ふらふらとタンスを探っている。こんな状態でよく階段を上ってこれたものだ。妙に甘い匂いのするぬいぐるみをかき分けて、俺は巣窟から抜け出した。


「ほら、風呂入るなら早く行けよ」

「んんんー。まーちゃん、久しぶりに一緒に入るぅ?」

「遠慮しときます」


 姉は酒癖が良くない。酔うと必ずしつこく他人に絡む。笑い上戸で、スキンシップ過多になる。だから俺は意味もなく無理矢理布団を引きはがされて姉の部屋に連れてこられたのだ。このまま放っておけば朝までに俺の身体には痣やこぶがいくつもできているに違いない。酔った姉の相手をするのは骨が折れる。そのままの意味で。
 シャワーを浴びれば少しは酔いも覚めるだろうと思って、俺はやっと着替えを取り出した姉の腕を掴んだ。


「湯船には浸かるなよ」

「えぇぇぇぇ一緒に入ろぉよぉぉぉぉ」

「俺もう入ったから、ほら、ちゃんと立てって」


 俺は姉の腕を引っ張った。その途端、俺の顎に姉の頭突きがクリーンヒットした。姉がいきなり立ち上がったのだ。故意なのか偶然なのかはわからない。しかし問題はそこではない。しゃべっている最中にやられたので、俺は思いっきり上唇の端を噛んでしまったのだ。ごりっ、と、嫌な音が頭蓋の中で響いた。
 口を押さえて涙目で撃沈した俺に姉が喚く。


「やぁーあー!泣くくらい嫌なのぉぉぉ?姉さんと一緒にお風呂入るのぉ。ひどぉぉぉいぃぃぃぃぃぃ。ねーえー、まーちゃーん、そんなに泣かないでよぉ。姉さんまで悲しくなっちゃうよぉ。あ、やだぁ!まーちゃん口どーしたの?血ぃ出てるよぉ?うぅわぁぁぁ、くちびる腫れてるー痛そー」


 この酔っぱらいに何を言っても通用しないということはわかっている。それに口が動かせないほど痛い。うめきも悲鳴も上げられないくらい痛い。思いっきり噛み切ったので、口の中は大惨事だった。血まみれだ。鉄の味しかしない。
 俺は黙ったまま姉の腕をつかみ直した。一刻も早く姉を風呂場に突っ込まなければ俺が危ない。


「うーむむむ。うー」


 姉はうつむいて唸っている。
 そして、ぱっと顔を上げたかと思うと、ぐいーっと俺に顔を近づけてきた。


「姉さんが舐めてぇ、治してあげよう!」


 宣言すると、べろーんと俺の口を舐めた。
 今度こそ俺は大きな悲鳴を上げた。
 直後に隣の部屋から兄がやってきて、無言で俺を蹴っ飛ばした。そして駄々をこね始めた姉を風呂場まで運んでいった。
 ぬいぐるみの山の上に蹴っ飛ばされた俺は、少しの間呆然としてから、顔だけ横に向けた。背中にファスナーの付いたクマと白黒のブタともこもこしたカピパラが、笑っているような気がした。




end.




05:口の端が切れた
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