Novel3

□月の手
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 カオルさんの手にかかれば、どんな形状の素材もまるで可愛らしいオモチャのような姿に変わる。


「ちょっとヒロアキ!もうそろそろ焼けると思うから、オーブンの中、確かめて!」

「はーい。中、ミルフィーユのパイ生地だよね。作っとこうか?」

「頼むわー。ちょうど今、手、離せないの」


 彼女が現在真剣な表情で取り組んでいるのは、飴細工。
 金属板の上に細く、時には薄く、そして大胆に。
 色とりどりの粘ついた液体は、彼女の指先ひとつで、甘い甘い宝石に昇華する。
 それを初めて見たとき僕は思わず、彼女が魔法を使っているのではないかと疑った。
 今はもう見慣れてしまった光景だが、今でも僕はその魔法に感嘆することがある。ちょうど、今みたいに。


「消しゴムみたいだね、このオーナメント」

「うるさい黙りなさい。ちなみにそれ、消しゴムじゃなくてハート形。それより、パイ生地焼けた?」

「あと三分でーす」


 『魔法使い』から一気に『厳しい上司』の顔へと表情を変化させる、カオルさん。
 僕が先程消しゴムと評した真っ赤なハートのオーナメントも、もちろんカオルさんのお手製。
 つい一月ほど前にハロウィンのかぼちゃ菓子特集が終わったばかりだというのに、今度は今年最大にして最後のイベント、クリスマスが僕ら菓子職人を待ち受けていた。


 僕だって一応、年季が浅いとは言え一人前のパティシエだ。それなりに修行だって積んできた。
 でも、カオルさんにはまだまだ及ばない。彼女みたいな魔法は、未だに使えていない。


 あれは確か去年のバレンタインフェアの際。僕はケーキの装飾用のチョコレートを相手に、悪戦苦闘していたことがある。
 チョコレートを薄く削ってバラを作れと言われたのだが、僕ができたのは、両手をチョコレートまみれにすることだけ。
 触った途端に、極薄のチョコレートが溶け崩れてしまうのだ。
 カオルさんがやると、そんなふうにならないのに。
 ほら今だって、素手てあんなに薄い飴をつまんで、宝石箱を飾っている。


「何見てんのよ」


 冷ましたパイで作った小さな箱、その中へと真剣に宝石たちを詰めながら、カオルさんが言った。


「いや。カオルさんの手って、不思議だなぁって」

「不思議?」


 魔法使いみたいだから。そんなことを本人に直接言えるはずも無く、僕は黙ってパイの箱の組み立てを再開した。アイシングでパイのふち同士をくっつけ、壊れてしまわないようそっとバットに置く。悲しいくらいに単純な作業。


「月の手」


 目線を飴細工に向けたまま、カオルさんが呟いた。
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