ゴミ箱。

□カルマの坂
1ページ/4ページ


 昔、昔のお話です。
 ある時代、ある場所。
 乱れた世の片隅でのこと。



 世界中で、戦争が絶えない時代でした。
 そんな国々の中でもまだ平和な部類に入る、この大きな城下町。
 そこに、ひとりの少年がいました。
 少年の両親はまだ彼が幼い頃、流行り病で亡くなっていました。
 両親が死んでから五年。その五年間、少年はたったひとり、この大きな街で生き抜いてきました。
 孤児院はすでに定員いっぱい、少年には身寄りもありません。
 盗みを働き、なんとか食いつないでいくしか生きる方法が無かったのです。
 誰もが自分のことだけで精一杯の時代。そんな時代に、この少年は生まれ着いてしまったのでした。

 少年の名前は、エトワルといいました。先月十二歳になったばかりです。
 エトワルの朝はまず、走ることから始まります。
 広場の朝市の人ごみに紛れ込み、そっとパン売り場の裏側へと回りこみます。
 そしてパン売りの目を盗み、かごにさっと手を伸ばして白パンを一つ引っつかむと、エトワルは一目散に走り出しました。

 今日はついてる。誰も僕を追ってこない。

 エトワルはそっと微笑み、スラムへ続く大通りの下り坂を駆け下りました。
 エトワルはとてもすばしこい子供でした。彼はスラムの子供たちの中で一番速く走ることができました。
 市場での盗みはめずらしいことではありません。盗みでつかまった者は丘の上の城へ連れて行かれ、ひどい罰を受けることになります。
 しかしこれまで何度も盗みを働いてきたエトワルでしたが、逃げる彼に追いつけた者は誰一人としていませんでした。
 くすんだ金髪をなびかせて、風のように軽やかに、走るというより吹き抜けるかのように、エトワルは盗みを繰り返しました。
 彼にとって、盗みを働くことは罪ではありません。
 彼らスラムの住民は、第一に空腹を満たすことがすべてなのです。
 生きるためにすべての生き物が呼吸をするのと同じように、生きるために盗むのです。
 スラムに着いたエトワルは、集まってきた友人たちとパンを分け合いました。
 野菜を盗んできた者。果物を盗んできた者。ビスケットを盗んできた者。
 みんなの品物を分け合えば、立派な朝食になります。
 エトワルたちはいつものように顔を見合わせ、笑い合ってから食事を始めました。

 エトワルが食事を共にする子供たちにはみんな、両親がいません。
 みなしごのスラムでの生活はそれはそれはひどいものでした。
 彼らは毎日、生きるために盗みを重ねます。
 清らかなその心は穢れもせず、毎日罪を重ねます。
 そして彼らは毎日、こう思うのです。

 天国も、なんなら地獄さえも、ここよりましなら喜んで行こう!

 それでも彼らは、ただ生きることしかできなかったのです。
 水を汲もうとエトワルがスラムのはずれの井戸まで行くと、綺麗な衣をまとった二人の修道士が聖書を持って、布教活動を行っていました。
 信じるものは救われる。
 神は虐げられるものに、いつか必ず救いの手を伸ばしてくださる。
 盗みや殺しを行うものは、地獄の業火に焼かれる。
 厳かな声を聞きながらエトワルは井戸からくみ上げた水を、コップに入れずにそのまま修道士たちに勢いよく浴びせました。


「・・・『人はみんな平等』だなんて、いったいどこのペテン師の台詞だ?」


 吐き捨てるように呟くと、ぽかんとしている水浸しの修道士たちに背を向け、エトワルは風のように逃げ去りました。
 ・・・貧乏人に授ける言葉があるくらいだったら、食べ物を授けてくれたほうが何倍もためになるのに。
 足元に転がる小石を蹴飛ばし、エトワルは仲間の元へと戻っていきました。
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ