ゴミ箱。
□カルマの坂
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昔、昔のお話です。
ある時代、ある場所。
乱れた世の片隅でのこと。
世界中で、戦争が絶えない時代でした。
そんな国々の中でもまだ平和な部類に入る、この大きな城下町。
そこに、ひとりの少年がいました。
少年の両親はまだ彼が幼い頃、流行り病で亡くなっていました。
両親が死んでから五年。その五年間、少年はたったひとり、この大きな街で生き抜いてきました。
孤児院はすでに定員いっぱい、少年には身寄りもありません。
盗みを働き、なんとか食いつないでいくしか生きる方法が無かったのです。
誰もが自分のことだけで精一杯の時代。そんな時代に、この少年は生まれ着いてしまったのでした。
少年の名前は、エトワルといいました。先月十二歳になったばかりです。
エトワルの朝はまず、走ることから始まります。
広場の朝市の人ごみに紛れ込み、そっとパン売り場の裏側へと回りこみます。
そしてパン売りの目を盗み、かごにさっと手を伸ばして白パンを一つ引っつかむと、エトワルは一目散に走り出しました。
今日はついてる。誰も僕を追ってこない。
エトワルはそっと微笑み、スラムへ続く大通りの下り坂を駆け下りました。
エトワルはとてもすばしこい子供でした。彼はスラムの子供たちの中で一番速く走ることができました。
市場での盗みはめずらしいことではありません。盗みでつかまった者は丘の上の城へ連れて行かれ、ひどい罰を受けることになります。
しかしこれまで何度も盗みを働いてきたエトワルでしたが、逃げる彼に追いつけた者は誰一人としていませんでした。
くすんだ金髪をなびかせて、風のように軽やかに、走るというより吹き抜けるかのように、エトワルは盗みを繰り返しました。
彼にとって、盗みを働くことは罪ではありません。
彼らスラムの住民は、第一に空腹を満たすことがすべてなのです。
生きるためにすべての生き物が呼吸をするのと同じように、生きるために盗むのです。
スラムに着いたエトワルは、集まってきた友人たちとパンを分け合いました。
野菜を盗んできた者。果物を盗んできた者。ビスケットを盗んできた者。
みんなの品物を分け合えば、立派な朝食になります。
エトワルたちはいつものように顔を見合わせ、笑い合ってから食事を始めました。
エトワルが食事を共にする子供たちにはみんな、両親がいません。
みなしごのスラムでの生活はそれはそれはひどいものでした。
彼らは毎日、生きるために盗みを重ねます。
清らかなその心は穢れもせず、毎日罪を重ねます。
そして彼らは毎日、こう思うのです。
天国も、なんなら地獄さえも、ここよりましなら喜んで行こう!
それでも彼らは、ただ生きることしかできなかったのです。
水を汲もうとエトワルがスラムのはずれの井戸まで行くと、綺麗な衣をまとった二人の修道士が聖書を持って、布教活動を行っていました。
信じるものは救われる。
神は虐げられるものに、いつか必ず救いの手を伸ばしてくださる。
盗みや殺しを行うものは、地獄の業火に焼かれる。
厳かな声を聞きながらエトワルは井戸からくみ上げた水を、コップに入れずにそのまま修道士たちに勢いよく浴びせました。
「・・・『人はみんな平等』だなんて、いったいどこのペテン師の台詞だ?」
吐き捨てるように呟くと、ぽかんとしている水浸しの修道士たちに背を向け、エトワルは風のように逃げ去りました。
・・・貧乏人に授ける言葉があるくらいだったら、食べ物を授けてくれたほうが何倍もためになるのに。
足元に転がる小石を蹴飛ばし、エトワルは仲間の元へと戻っていきました。