▽白黒英国誌

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その日、ファントムハイヴ伯爵邸内は普段以上の賑やかしさだった。ロンドンで大量発生している鼠が郊外にまで足を伸ばして来たらしく、電線をかじられ頻繁に停電の起こる現状を加味し、退治しようとする使用人達の姿が見られる。

そんな中、屋敷の主人とその客人方が、遊技場に集まってビリヤードに興じていた。わざと部屋全体を照らす事の無い薄明かりの照明が、和やかさとは程遠い物々しい雰囲気を醸し出している。



「随分と騒がしいな、どうやら“ココ”にも鼠がいるようだ」



誰が言ったか、扉の向こう側の事を言っている筈がそれはまるで自分達の中に招かれざる客が居るかの様な物言いだった。しかし彼等は意味深な視線を投げ合うだけで、その言葉事態に反応はしない。



「食料を食い漁り疫病ばかりふりまく害獣をいつまでのさばらせておく気だ?」

「“のさばらせる”?彼は“泳がせている”のでは?」



軍服の様な格好をしたいかにも肥満の男が、サンドイッチを頬張りながら不機嫌そうに言った言葉に、中国服を着た長身の優男が口角を吊り上げて答える。それに吊られる様に口許を緩めるのは、深紅で全身を包んだ女。



「そう、彼はいつだって一撃必殺‐ナインボール‐狙い。次もパスなの?

ファントムハイヴ伯爵」



彼は、その小さな体格よりも余程大きな椅子に優雅に足を組んで腰掛け、膝掛けに頬杖を突き彼等を眺めていた。



「パスだ、打っても仕方ない球は打たない主義でね」



そう言って口許を緩める彼にクスクスと笑う声が傍で聞こえる。



「さすがは伯爵、余程腕に自信がおありなのね」

「まさか!僕の腕など高が知れていますよ」

「ふふ、随分な謙遜だこと」



シエルが腕を置いている方とは逆の肘掛けに軽く腰を下ろした彼女が、優雅に笑みを浮かべながら彼を見下ろせばシエルは首を竦めて見せる。その返答にティフィリアはまたクスクスと笑った。



「御託はいい、鼠の駆除はいつになる?」

「すぐにでも。すでに材料はクラウスに揃えてもらった」



眼鏡を掛けた鋭い目付きの男とシエルが話している間に、葉巻をくわえた顔に傷のある男が打ち、次いで先程の長身の優男が打つ。話に出て来たクラウスという男は、部屋の壁に背を預けグラスを傾けていた。



「巣を見つけて鼠を根絶やしにするには少々骨が折れる。それなりの報酬は覚悟して頂こうか」

「……ハゲタカめ…っ」



どうやらシエルに依頼された“鼠退治”について、早く仕事をしろと催促しているらしいが、その報酬について逆にシエルが催促をすると男は苦い顔で悪態を吐く。ソレを聞いて、シエルの纏う雰囲気が一気に冷めきった。鋭い瞳が男を見据える。



「貴殿に“我が紋”を侮辱する権利が?鼠一匹しとめられない猟犬‐ブラッド・ハウンド‐ばかりに大枚をはたいている貴殿に」



その言葉に、男は口を閉ざす。



「残念、ファールだ。ビリヤードは難しいな」

「次は伯爵か、どうする?」

「……ねぇ伯爵、私コレももう見飽きてしまったわ」

「そうですね…ではそろそろこの下らないゲームも終わりにするか」



ティフィリアに同意とばかりに立ち上がったシエルが、擦れ違い様に男に問い掛けた。



「それで?報酬はいつ用意できる?」

「…こ…今晩には」

「いいだろう、後で迎えの馬車を送る。ハイティーを用意してお待ちしよう、

サー」



テーブルに付いたシエルが余裕の表情でキューを構える。逆に男は、悔しげに歯を噛み締めた。



「残り3球から9番を狙うのかい?」

「当然だ」

「“ゲームの天才”のお手並み拝見といこうじゃないか」



「「強欲」は身を滅ぼすぞ、

シエル!」



その言葉を鼻で笑うと、シエルの腕が動いた。キューで弾かれた球は7番ボールを弾き、7番は8番を、そして9番ボールは8番に弾かれ、ゴトンッと独特の音を立て真っ直ぐにポケットへ落ちる。



「強欲ねぇ…」



宣言通り、シエルの勝利でゲーム終了。










「……何をしているんですか貴方達は」



呆れ顔のセバスチャンの目の前で繰り広げられる光景はどこから指摘すれば良いのやら、鼠取りをしているらしい彼等に最早それすら面倒なのか彼は敢えて深く追求はしない様だった。



「セバスチャン!」



後ろから凛とした声が掛かり振り返れば、シエルとティフィリアが居た。シエルは何やら手元の書類に視線を落としている。
二人共、セバスチャンの後ろの喧騒などまるで無い事の様に無視だ。この屋敷内で使用人達が騒がない日は無いので、今更気に留める必要も無いのだろうが。



「ユリウスを見掛けなかったかしら?」

「ユリウスさんでしたら只今キッチンに。アフタヌーンティー用のパイの仕度を手伝って頂いております」

「そう、じゃあちょっと覗いて来ようかしら」

「は?いえ、レディが立ち入る様な場所では…」

「ふふ、気にしないで。セバスチャンはシエルと話があるのでしょう?」

「は、はぁ…」



相変わらずのマイペースさで彼女はさっさとキッチンの方へ足を向けた。余程信頼しているのかお気に入りなのか、彼女は出来得る限り彼を手元に置いておこうとしている様にも見える。
しかし余計な詮索はするものでは無い。何が主人の立場を悪くするやも知れないのだから。

シエルも大きな溜め息を一つ吐き出すものの、彼女を止める事は無く己の用件の為に口を開いた…。










「ん〜良い匂い」

「…おやおや、このような場所に足を踏み入れたと母君がお知りになれば、お叱りは目に見えておりますよ?お嬢様」

「ふふ、バレなければ良いのよ」



悪戯っぽく笑い掛ける姿は嫌に様になっていて、おおよそ淑女らしくないその振る舞いもどこか板に付いている様に感じる。

パイの焼ける香ばしい匂いと高い紅茶の香りに誘われる様に現れたティフィリアに苦笑を溢しつつ、彼はたった今焼けたパイをオーブンから取り出して具合を見る。その出来に満足そうに僅かに口許を緩め、紅茶と共にシエルの元へ運ぶ仕度を着実に整えていく。カップや取り分ける皿、フォーク等は全て二組ずつ用意されている。シエルとティフィリアの分なのだろう。
それを嬉しそうに眺めながら、さも今思い出したかの様に彼女は切り出した。



「シエルったら、鼠退治をするそうよ?」

「おやおやそれはまた、随分と面倒なお仕事ですね」

「シエルの邪魔は出来無いから、ちょっとだけ気を利かせてあげたの」



そう言って笑う顔は何処と無く幼く見える。純粋な笑み…けれどそれを見るユリウスの目には違って見えるのだろう。彼は口許を吊り上げて笑みを深めた。



「ね、セバスチャン」

「はいレディ」



唐突な投げ掛けに気配無く現れた彼は至極普通に返答した。まるで、居た事がバレていたのを承知していたかの様に返事に躊躇いも戸惑いも無い。



「あぁセバスチャンさん、丁度今しがたディープパイが焼き上がったところですよ。それも、中々の出来に仕上がりました」

「ありがとうございますユリウスさん。あぁ紅茶の準備まで…貴方は本当に手際が良くて助かります」

「いえいえこちらこそ色々とレシピを教えて頂いておりますし、お世話になっている身ですからこれくらいなんの事は」



通常当たり障りの無い台詞だが、セバスチャンは内心少しばかり感動していた。それ程に、こういう事に関して此処の使用人は全く使えないのだ。

ふと、思い出した様に壁掛け時計に目をやったセバスチャンが眉を眇めた。



「おや、少々ゆっくりし過ぎてしまった様ですね。午後の紅茶‐アフタヌーンティー‐に遅れてしまう」

「おやつには煩いものね、あの子」

「ではお嬢様、参りましょうか」

「えぇ」



三人でキッチンからシエルが居る筈の執務室へと向かう中、ティフィリアはやけに楽しげな笑みを浮かべている。そんな彼女に、その後ろに付いて歩くユリウスは目を細めて口許を緩めた。
セバスチャンが二人の様子を敢えて指摘する事も無く、一行は執務室の扉の前に到着する。



「坊っちゃん、アフタヌーンティーをお持ち致しました」



セバスチャンがノックの後に問い掛けるが、扉の向こうからの返事は無い。不思議に思った彼がゆっくりとそこを開けて、けれど一瞬の後に驚愕の表情を浮かべる。

開け放たれた窓、吹き込む風で無惨に散らばった書類、普段主人が座って居る筈の椅子はもぬけの殻…一体、何があったと言うのか。

消えた主人に仕える執事の後ろで、視線を合わせた二人が口許をニヤリと歪めながら声に出さずに呟いた。





《――ゲームスタート――》

と…。



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