▽白黒英国誌

□7
1ページ/1ページ


「季節関係無くこの屋敷は賑やかね。普通のお屋敷より大分人数は少ない筈なのに」

「それこそ退屈とは無縁でしょう、わざわざ余所に暇を潰しに行く必要が無いのは良い事です」

「そうは言っても「社交期‐シーズン‐」だもの、私の意思とは関係無く招待状を寄越すのよ?もうウンザリだわ」



今日も今日とて騒ぎを起こす使用人達の叫び声をバックに、ユリウスを連れ廊下を歩いていたティフィリアが溜め息を吐く。
現在拠点をファントムハイヴ伯爵邸に移しているとはいえ、彼女宛の舞踏会への招待状が届いていると実家から連絡があるのだ。それも尋常ではない数が。
貴族達は毎年こぞって、巷で麗しいと評判のミッドフォード侯爵家の長女を招待したがっている。

しかしそんな事になどまるで興味が無さそうなティフィリアの手には、とある一通の手紙が有った。それを持って今彼女が向かっているのは、屋敷の主の執務室。
そこで自分と同じ事に頭を悩ませているであろう彼に、ある事をお願いしに行くところである。



「もう社交期も終わると言うのに暇人共め、くだらない舞踏会に夜遊びの相手捜し…ロンドンはロクなことがない」



部屋の前で聞こえて来たうんざりとした声に、ティフィリアは嬉々とした。丁度良いタイミングだ。
数度ノックをして入室すると、送り主だけで封も開けず招待状を選抜しているシエルと、それをリストに纏めあげているセバスチャンが顔を上げる。机上に束になった物と足元に投げ捨てられた物、それ等を合わせても相当な量になるだろう。



「シエルも大変そうね」

「姉さん程ではありませんよ」



選別すら面倒だと言う表情を隠す事無く適当に指で手紙の束を弄っていたシエルは、ふとその中から一枚の手紙を見付け手を止めた。



「これは…」

「あぁやっぱり、シエルの所にも来ていたのね」



それを見てティフィリアは手に持っていた物を掲げて見せる。
自分が手にした物と同じ印の捺された物が彼女の元にもある事を知って、シエルは驚いた。



「それでねシエル、お願いがあるんだけど、」



彼女のその台詞にシエルはまたしても嫌な予感がする。彼女のこの言葉はお願いなどではない、何時だって強制なのだ――…。



































――…英国の夏は短い。

最も気候の良い5〜8月は「社交期」と呼ばれ、地方の屋敷から貴族達はこぞってロンドンの町屋敷へ社交に精を出す。毎夜何処かの屋敷で盛大な舞踏会が開かれ、暇を持て余す者達が己の欲を満たす為にせっせと足を運ぶのだ。

そして今、馬車が一件の町屋敷の門の前に停められた。ドアが開き、中から執事が二人降り立つ。



「坊ちゃんが町屋敷へいらっしゃるのは久しぶりですね」

「お嬢様、足元にお気を付け下さい」



自分の付き従う主を気遣いながら降車を促すと、先に降りたシエルはいかにも不機嫌顔だった。眉間のシワが深い。



「“あの手紙”さえなければ誰が…人が多すぎて満足に歩けもしない」

「本当ね。だから嫌なのよ、こっちは毎回息が詰まるわ」



それに続いて馬車を降りたティフィリアもまた、同意とばかりに溜め息を吐いた。

一時的に誰かの暇を紛らわせるだけの虚しい行為の相手になど更々なる気の無い二人は、気鬱になりながら建物の中に足を踏み入れる。傍らの執事二人は顔を見合わせて同様に肩を竦めたものの、直ぐに二人を宥め始めた。



「たまにはお屋敷を離れるのもいい気分転換かもしれませんよ。あの4人もいないことですし、静かに過ごせそうじゃありませんか」



「まったくこの家はドコにお茶しまってんのかしら」

「見あたらないねぇー」



奥の談話室の扉を開いた瞬間、その先に広がっていた光景にセバスチャンは笑顔のまま、シエルは愕然とした顔で硬直する。
見覚えのある顔触れが、部屋の中を荒らしていたのだ。どうやら紅茶を探しているようだが、普通に考えれば談話室などに紅茶をしまっておく筈が無いだろうに…。
数ヵ月前、郊外の屋敷が突如訪問したティフィリアの妹君の手に掛かりファンシーな仕上がりになったという一件があったが、不在中の激変という意味ではアレに次ぐ衝撃かもしれない。

取り敢えず、先程セバスチャンが言っていた「静かに過ごせる」という予想は見事に崩れ去ったのだった。



「マダム・レッド!?劉!?何故ここに…」

「あらっ、早かったじゃない。可愛い甥っ子達がロンドンに来るっていうから顔を見に来てあげたのよ」



マダム・レッド―元バーネット男爵夫人アンジェリーナ・ダレスは、その通称に相応しく帽子から髪、靴やルージュに至るまで深紅に身を包んだ見るからに勝ち気そうな女性で、シエルの母君の妹…つまり彼の叔母にあたる人物だ。
彼女は王立ロンドン病院に勤務する名医でもある。



「やぁ伯爵、我は何か面白そうなことがあると風の噂で聞いたものでね」



中国人である劉は彼の大国を思わせる独特の作りの服に身を包み、見た目は優男ながら若くして中国貿易会社「崑崙‐コンロン‐」の英国支店長を任される程のなかなかのキレ者である。
知人ではあってもそんな二人が何の連絡も無く突然、しかも屋敷の人間が誰も居ないというのに勝手に上がり込んでいれば驚くのは当然だ。



「これはこれはお客様をお迎えもせず申し分けありません。すぐお茶‐イレブンジーズ‐の用意を致しますので少々お待ちください」



固まった笑顔から直ぐにいつもの調子へ切り替えたセバスチャンは、ユリウスに目配せしお茶の用意を頼んだ。片付けを任せても良かったのたが、此処へやって来るのが初めての彼では元の場所も解らないだろうという彼なりの配慮がある。一礼してキッチンへと向かった彼を、劉が切れ長の目で見遣った。



「そう言えば彼、この間伯爵の屋敷に遊びに行った時にも居たけど、一体何者なんだい?」

「あいつは屋敷の新しい執事だ。姉さんの紹介でうちにいる」

「あら、ティファの?じゃあ前はミッドフォードに?」

「いいえ叔母様、彼は私の大事な友人の執事なんですの。今はちょっとした事情で、シエルの元に置いて貰っているのですわ」



ニコリと笑うティフィリアだが肝心の説明はやはり何処かぼやけている。しかし深追いして尋ねたところで、彼女はやはり答える気が無かった。その内ユリウスが戻って来て、お茶の時間となる。

彼が淹れた紅茶やお手製のお茶菓子は、セバスチャンの物同様彼等に良い評価を得た。マダムに付き従うグレル・サトクリフと言う気の弱そうな執事が、彼等を見習う様彼女に軽く責められて弱々しく返事をする。
自分の執事と違い随分と出来も見目も良いファントムハイヴの執事二人に、マダムが自分の屋敷に来ないかとセクハラ紛いな事をしてシエルに咎められた。



「ここからが本題だが…数日前ホワイトチャペルで娼婦の殺人事件があった」

「何日か前から新聞で騒いでるヤツよね?知ってるわ。だけど…“あんた”が動くってことは何かあるんでしょう」



気を取り直したところでシエルが話題に挙げたのは、彼が今回煩わしくも此処ロンドンへ足を運んだ理由となる一件だった。
高々殺人事件ならばわざわざ彼が出向かずとも警察に任せておけば良い話だが、今回の騒ぎは猟奇を超え最早異常という判断が下った故に彼にお呼びが掛かった。

娼婦であった被害者は、何か特殊な刃物で原形も留めない程滅茶苦茶に切り裂かれていたらしい。そこから付けられた犯人の通称は“切り裂きジャック‐ジャック・ザ・リッパー‐”。

そして彼は、“彼女”の悩みを晴らさんと急ぎやって来たのだ。



「女王の番犬が何を嗅ぎつけるのか、我もとても興味深いな…だけど、君にあの現場を見る勇気があるのかい?」

「…どういう意味だ」



しかしそこで余計な挑発を挟んで来た劉に、シエルの眼に鋭さが増す。深意を窺う様に冷静に返すシエルに、彼は静かにソファーから立ち上がり彼に近付いた。

それを横目に、ティフィリアとユリウスはお互いに視線を合わせて肩を竦めた。今から語られる彼の口上は、実に面倒臭く意味の無い前振りだ。知ったかぶりでこれ程上手く口裏を会わせられるものなのかと、逆に尊敬してしまえるくらいに巧妙な。
そんなモノにも一々騙されるのだから、シエルは案外弄りがいがあるのだろうが…。
それよりも今のティフィリアは、もっと別の事への期待でそわそわしているようだった。そんな彼女の様子と理由に気付いているユリウスが、傍らで苦笑を溢している。



「アンタ今まで知らないでしゃべってたワケ!?」



不意にマダムの怒鳴り声が響く。どうやら劉の知ったかぶりが発覚したらしい。
シエルは先程の意味の無い遣り取りに長い溜め息を吐き出して、ぎゃいぎゃいと言い合いを始めてしまった二人を宥める。

どうやら現場に行く訳では無いらしい。
実際今頃その場所に野次馬が群がっている事は明白で、現場を調べているであろう警察はシエルが行くと良い顔をしない。



「じゃあどーすんのよ」

「伯爵…まさか…」

「その“まさか”だ」



何か手があって別の方向から探りを入れる様だが、シエルは溜め息を吐きながらあからさまに嫌そうな顔をした。



「僕もできるなら避けたい道だがやむをえん。こういう事件に“奴”ほど確かな情報を持ってる奴はいないからな」

「では、馬車の準備をして参ります」



一礼して踵を返したユリウスは、誰にも知られずに一人口の端を吊り上げた…。



NEXT

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ