おおきく振りかぶって
□もしも、タイムマシンがあったなら。
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今日は卒業式だった。
三年間通った西浦高校の。
皆、それぞれに新しい道を歩くんだ。私も、もちろん阿部も。
制服を着替えもしないで、ベッドに倒れこんだ。
この感情を今更どうしたらいいのだろう。あの人に対する想いを育てるわけでも、伝えるわけでもなく、ただぼんやり眺めていただけで、ずっと放置したままだった。この感情がもう要らないものとは分かっていた。消してしまえばいいのか、心の隅にしまえばいいのか。私はこの感情を持って漠然と立ち尽くす。迷子の子供のように。それが重くて私はここから動けずにいる。
あの日から、野球をしているときの表情が、ボールを追うあの目が。頭に焼き付いてしまった。焼き付いてそのまま、少しも消えずに残っている。目を瞑れば、今でも色鮮やかに思い出せてしまうんだ。
『恋をすると綺麗になる』なんて無責任なこと、いったい誰が言い出したの?私のなかには黒い何かが渦巻いていて、お世辞にも綺麗なんてとても言えない。醜いだけだ。恋なんて楽しくともなんともない。少しもいいことが無いじゃない。あぁ、面倒くさい。好きになんてならなければよかった。
タイムマシンがあったならいいのに。そしたら、私はきっと過去の自分のところへ行く。そして私は私に忠告するだろう。好きになんて、ならないほうがいい。と。そんな感情芽生えそうになったら、根っこごと抜いてしまって。根が残ってたら、そこからまた芽生え出しかねない。根付いてしまう前に、全部抜いて。
卒業式の後、誰かが阿部に告白したらしい。どうなったかは知らない。知りたくもない。それを思い出して、また心がざわめく。ベッドから起き上がって、机に向かった。便箋を一枚取り出して、ペンを滑らせた。滑らせた。というには、あまりにゆっくりした動作だった。書き出しに躊躇したから、最初の文字の一画が滲んで、黒 い丸をつくっていた。それでも、私は気にしないで、ペンをゆっくりと滑らせた。
たった一言。
「好きでした。」
他には宛名も何も書かずに。その便箋を丁寧に半分に折って、封筒に入れた。立ち上がって、机の横にある、引き出しの一番上を開ける。その手紙を一番奥底に仕舞った。こうすれば、封印したみたいで、少しは心の黒い何かがましになるかもしれない。そして、またそのままベッドに仰向けになった。窓から射し込む夕焼けの色を 視界から追い出すように、目を瞑った。
もしも、この感情にしっかり向き合っていれば、何か違っていただろうか。
もしも、この想いをちゃんと伝えていたら、今とは違って、少しはましな未来だっただろうか。
でも、今更『もしも』なんて考えたって仕方ない。
どんなに悔やんだところで、過去は変わらないんだから。
今も、私の目の前で、止まることも知らずに、時間は通り過ぎてゆく。
もしも、タイムマシンがあったなら。