【書庫】

□不変の道標
3ページ/5ページ


どうせ不穏な気配でも察知しない限り、あの快適な空間でただ寝こけているだけに違い無い大酒飲みの穀潰しと。
下船当日白さを一層増した顔色のお陰で、目の下に出来た酷い隈が隠しようも無い程目立っていたコックとの間に。
出航前夜何かがあったのだろう事は、結構悲惨だった顔付きとは裏腹に何処か満たされている様な印象を抱かせた笑顔で職務を全うし、米粒大になるまで自分達を見送ってくれたサンジの姿と。
船を出してからの丸一日を、普段の生活態度からは到底考えられないがまるで睡眠不足を補うかの様に眠り倒して過ごしたゾロの様子を見ていれば、何と無くでも想像するのは実に容易かった。

静よりも動で、言葉よりも行動で全てを示し表す生き方を本能でしている男に、最初から無駄だと解っていて根掘り葉掘り事の顛末を問い質す様な野暮な真似をしようとは思わない。
けれど当人達しか知り得ない真相が例えどんな貌をしたものであれ、これまで必要以上に纏っていた感が否めない剣士のオーラの中にある刺々しさが、あの日以降悪い意味では無く緩和され始めたのは紛れも無い事実だ。
そしてその変化を齎したのが今此処には居ないあのコックである事もまた恐らくは確実で、実際に見て解る事は残念ながら自分には出来ないけれど、彼にもまた同じ様にあの男に変えられた部分があるのだろうと思う。
そういう存在を己に作る事で人間に表れるプラスの作用が妙に達観したあの剣士にも見て取れた事で、普段滅多な事では動じない男にも年相応に可愛らしい所があったのだと思ったら、少なからずナミは不思議な安堵感の様なものを覚えたのだ。

だから彼という人間を表す一つの特徴だった左耳の三連ピアスが、いつの間にか二連になっていた事に実は気付いている事だとか。
どう考えても彼に要り用だとは思えない見覚えのあるジッポを、誤って落としたのか拾い上げている姿を甲板で見掛けていた事だとか。
偶にキッチンカウンターの内側でぼんやりと心を飛ばしている様子を、この二週間の内に何度か目撃していた事だとかは、それに免じて言わないでおいてやろうと思う。
例え幾ら揺るがない決意を抱えて真っ直ぐに前を向いていたとしても、時折ふと後ろに想いを馳せてしまうのが感情を持って生まれて来た人間という生き物なのだから。





「何でだ。アイツはおれが見つけたおれのコックだぞ」

何が言いたいのか良く解らないと言わんばかりの声色に意識を引き戻されて、不満顔で自分を見ているルフィに再び向き直ったナミは穏やかな表情で笑い掛ける。

「その通りよ。今だってサンジ君は私達の仲間だし、アンタが見つけたアンタのコックでそれはこれからも変わらないわ」
「……」
「でもね、ただのサンジ君はアンタのものじゃないの。ただのサンジ君っていう人間なのよ」

その言葉に目を丸くして意表を突かれた様子を見せたルフィに、ナミは立ち上がって歩み寄ると先程彼が自分にしたのと同じ方法で麦藁帽子を返した。

「ただのサンジ君はサンジ君自身のものかもしれないし、やっと捕まえた彼の夢のものかもしれないし、別の誰かのものかもしれないわ」
「……」
「幾らアンタが彼のたった一人の船長だからって、その領域まで自由に出来るとは限らないのよ」

そう言いながらルフィが座り込んでいる蜜柑の木陰に自らも一緒に入り込み、改めて彼の真っ正面にしゃがんだナミは近くなった瞳に視線を合わせる。

「ただのサンジ君がコックになって、コックにとっての夢の海に憧れを抱く様になって、それを見つける為にあのレストランから一歩を踏み出したの」
「……」
「オールブルーがサンジ君の夢だって知ってて、彼を彼処から連れ出したのはアンタでしょう?そのアンタが誰よりも一番それを尊重出来なくて、どうするのよキャプテン」

言葉尻に重ねて人差し指の先で後ろに押す様に軽く額を突けば、思案顔で黙り込んでしまったルフィの頭は逆らわずに傾いた。

「サンジ君だけじゃないわ。アンタにだって他の皆にだって、勿論私にだって居るんだから。アンタの航海士じゃない、ただの自分が」
「…そうなのか?」
「そうよ。大丈夫、サンジ君いつでも来いって言ってたじゃない。また皆で一緒に彼の美味しい御飯食べに…」
「ナミ」

上向いたままになっていた頭を勢い良く戻して自分の名を呼んだルフィの声が、先刻までとは別人の様にいきなり力強くなった事にナミは若干面喰らう。

「何…」
「お前にも居んのか。ただのナミが」
「え?」
「今自分でそう言ったじゃねェか」

急に本来の姿を取り戻した様子のしおらしさ等欠片も見当たらないルフィの言葉に、ナミは早鐘を打ち始めた自分の鼓動を自覚して僅かに狼狽えた。

「言ったけど今はそんな話じゃなくて…」
「おれそれが良い」
「…は?」
「何かくれるって言っただろ。誕生日に」



まるで欲しいものを強請って親に詰め寄る子供の様に、前のめりになって来る船長の迫力に負けて。



「おれが船長だからって、絶対貰えるモンとは限んねェなら」



思わず後ろに手を着いたナミの目に映ったのは、今日見た中で一番真剣な表情をしているルフィの瞳に宿った本気の光だった。





「お前のそれを、おれにくれよ」




 
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ