【書庫】

□不変の道標
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ねえ、ルフィ。
貴方はきっと、知らないのでしょう。
本当は多分、他の誰よりもそれを言ってはいけないのかもしれない船長である貴方が。
さっきみたいにああやって欲しいものは欲しいのだと、寂しいものは寂しいのだと一番最初に口にしてみせる事で。
同じ気持ちを我慢し続けていた自分達クルーの心が、どれ程救われどれ程楽になっているのかという事実を。

コックと云う仕事の範囲を超えて、自分達にとって生活面でも精神面でも必要不可欠な存在となっていたあの金髪の料理人の。
念願の成就と云う姿で訪れた別離が生み出した、未だに慣れる事が出来ない長年を共に過ごして来た人物の大き過ぎる不在を。
解っていても何処か受け止め切れなくて、半月を過ぎた今もまだもどかしく足掻き続けているのは何もルフィ、貴方一人だけじゃない。
ただ誰も言葉という形にしないだけで、皆それぞれ船の至る所に彼の面影を見つけてはそっと振り返り、遥か遠くの蒼へと想いを馳せているのだ。



あの笑顔を、優しさを、幸せな味を。
恋しいと思わない日なんて、無い。



時が経てば経つ程心が欲するその存在を、口にすればする程寂しさが募るその名前を、明るい話題の中ですら余り聞かなくなったのはそう言えば。
今思うとルフィ、貴方が普段の貴方らしさを何処かに仕舞い込んでしまった頃からだった様な気がする。
もしかしたら皆その事に気付いていて、こうして堪え切れなくなった貴方が本心を曝け出す瞬間を息を潜めながら待っていたのかもしれない。
だって誰か一人でもたった一言それを口走ってしまったら、後はもう人の力が及ばない自然の脅威の様に自分達では為す術すら無くなる事を、きっとこの船の全員が知っていたのだから。



自覚が無くとも、その先陣を切れるのが。
言葉よりも行動で、雄弁に語る貴方の強さ。



欲しいものを欲しいと、譲らずに言える根性。
寂しい事を寂しいと、素直に認める勇気。
時としてありのままの心を晒す事に臆病になる人間にとって、予め持って生まれたそれは失くしても忘れてもいけない大切な財産だ。
けれど上手く生きて行こうとする内にいつの間にか疎かにしてしまうそれを、余計な感情に惑わされない貴方は初めから躊躇いもせずに突き付けて見せる。
常に己が動く事で心根に眠った大事な真実を思い出させてくれる唯一人の船長が、貴方と云う人だからいつだって自分達は信じて此処まで着いて来れたのだ。

そういう『ただのルフィ』という人間に、貴方がくれと言った『ただのナミ』はもうずっと前から惹かれて止まずにいる。
夜に迷って空を見上げれば其処に輝く不動の北極星が道行きに灯りを点す様に、今までもこれからも変わらずに自分達を照らし続ける貴方は絶対で確実な唯一の指針。
だから今更欲しがらなくとも貴方が望んだものはとっくの昔にその手の中にあるのだと、あっさり差し出してしまうのも何だか悔しくてまだ正直には告げられそうにもないけれど。
求める相手から求めて貰える存在になるという奇跡に近い体験を、その身を以てさせてくれた貴方に心の底から感謝したいと素直にそう思える。



でも今は、後もう少しだけこの幸福に。
浸ったままで、居させて欲しいから。



「高いわよ」



直ぐには貴方の生き方を、真似して見せられないこの弱さも。
全て含めてこれが自分なのだと、丸ごと受け止めて欲しいのだ。



「えーっ!?金取んのかよー!?」

すっかりいつもの調子を取り戻した様子のルフィが返す当然の猛抗議に、柔らかく暖かいもので満たされた心が自然と顔を綻ばせるのを止められない。

「ううん、お金は要らないわ」

けれど無理矢理その顔を引き締めて傾いた体勢を持ち直したナミは、先程一瞬にして鼓動を跳ね上げられたお返しとばかりに不敵な笑みを浮かべて見せた。



「アンタの、それを頂戴」



言いながら目前の男を生かしている命の源が、今も音を刻み続けている左胸に突き立てる様にして右人差し指の先端を押し当てる。

「私のそれと交換で、アンタの同じものを私に頂戴。そしたらあげる」

言葉の終わりと共に指を離してルフィの表情を窺えば、ポカンとした幼顔が目に入って今度こそ本当にナミは笑った。

別に曖昧で抽象的なこの表現で、明確な意味を掴んでくれる事を望んだ訳じゃない。
ただそれでも思考を重ねた末に彼が導き出した答えを、聞きたいと思っただけだ。

だから今自分の目の前で真面目に考えているルフィの姿そのものが、もう充分にそれをくれている様な気がした。



「何だ、そんなモンで良いのか」



不意に随分と気の抜けた声が間近で上がり、拍子抜けする程楽観的な顔をしたルフィに今度はナミが目を瞠る。

「そんなモンってアンタね、ちゃんと…」

意味解ってんの?と続けようとして、何だか久しぶりに見た様に感じる全開の笑顔に思わず言葉を奪われた。



「ナミ」



要らない事をごちゃごちゃと考えるのが人間で、詰まる所それは自己防衛の為だったりする。



「…何よ」



それなのに事も無げに手の内を明かして見せる事を、欠片たりとも厭わない貴方の強さには。





「それならとっくにお前のだぞ」





いっそ清々しい程の完全降伏で、やっぱり敵わないなあと思った。






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