【書庫】

□余韻嫋々
3ページ/7ページ


「何だ。何かあったのか?」
「…おめェはあんだけの騒ぎが全然聞こえなかったのか?」

唯一人まだ状況が呑み込めていないゾロの恍けた発言に、いっそ驚愕に近い口調でフランキーが言葉を返す。

「言うだけ無駄よフランキー。ゾロだもの」
「ンだとコラ…」
「面倒臭いから一回しか言わないからね。アレね、ルフィがやったの」
「…こりゃまた随分派手にやらかしたな」

航海士の指差した箇所を的確に捉えた剣士が零したその呟きが、つい先刻何処かの誰かが口にした台詞と酷似している様に感じたのはロビンの気の所為だろうか。

「ウソッチョは一緒に逃げた共犯者」
「おい、混ぜてやるなよ」
「だから今日はおやつ抜きの刑にしたの」
「おいおい、食に関する事を決める権利が何でおめェにあるんだよ?」
「何言ってんのよバカねフランキー、サンジ君が私に逆らう訳無いじゃないの。ね?サンジ君」
「勿論だぜナミさん!」
「…あーそうだな訊いたおれがバカだったよ」
「…アホだな」
「ンだとコラてめェもっぺん言ってみろこのマリモ!!」
「もう忘れた」
「で?当のこいつらは何やってんだ?」

ロビンの足元で一塊になり、捨てられた子犬の如く視線を送り続けている三人を示してフランキーが尋ねる。

「ああ…それ。情に訴え掛けてんのよ。私もサンジ君も駄目だから、ロビンから刑を撤回する様に言ってくれって頼んでるの」
「へえ…」

バカでしょ?無駄なのにと嘆息しながら答えたナミの言葉を受けて、その場に居る全員の視線が何と無くロビンの下に集まる。

「残念だけど…私にはナミに逆らう勇気なんて無いわ」

その一言で最後の砦を攻め落とすのが失敗に終わったと悟った彼らは、絶望感を漂わせながら静かに芝生の上へと崩れ落ちた。

「…という訳だからこいつらの分、私とロビンにうんとサービスしてねサンジ君」
「任せといて〜!もう直ぐフワッフワのシフォンケーキが焼き上がるから、ナミさんとロビンちゃんにはスペシャルデコレーションでお届けするからね〜!」
「あ、サンジさん、私にも多目でお願いします」
「てめェの分はそのままだ!!どさくさに紛れて便乗しようとしてんじゃねェ!!」

愛嬌を振り撒いて来るコックに笑顔を返し、ロビンはブルックとサンジの遣り取りを呆れ混じりに吐息しながら眺めているナミへと目を向けた。



ロビンの言葉を受けて自ら発言するまでの間にナミがほんの一瞬だけ見せた表情を、気に留めた者は恐らく誰も居ないだろう。
自分がこの聡明な航海士の名を呼ぶと、彼女はいつも少しだけ照れた様に僅かばかり顔を綻ばせるのだ。
それはもう次の瞬間には直ぐに消えてしまうものだったけれど、目にする度にロビンを擽ったい様なこそばゆい様な温かくて柔らかい気持ちにさせて、自分自身の表情をも和らげてくれる不思議な力を持っていた。

ただそれも彼女が名を呼ばれる事に慣れてしまえばもう見れなくなるものなのだと、もしかしたら明日か明後日か明々後日にはもう現れなくなるかもしれないものなのだという事もちゃんと解っている。
だからこそ可能な限りは出来るだけ長くこの目に触れさせ続けて欲しいのだと、彼女の名前を口にする度にそう願っている自分が居る事をロビンは知っていた。



「さてと…一服終わりっ。おい、其処のおやつ抜きトリオ」

最後の一吸いを細く長く空中に吐き出しながら、ダイニングから持参していたらしい愛用の灰皿に煙草を押し潰してコックが口火を切る。
生ける屍の如く甲板に転がって打ち拉がれていた船長以下三名は、その呼び掛けに答える様にのろのろと身を起こした。

「今から晩飯までの間に、一番でけェ魚釣った奴におかず一品増やしてやる」
「えっ…マジか…!」
「本当かサンジ…!」
「おう」

救いの手を差し伸べた途端に瞳を輝かせ始めた彼らの様子に、サンジは普段同性相手には滅多に見せない類の微かな笑みを浮かべる。

「つうか、暢気に話してる間にもう先越されてんぞ?お前ら」
「えっ!?あっ、ルフィが居ねェ!」
「やべっ…悪ィチョッパー!お先!」
「あっ!待ってくれよウソップ〜!」
「頑張れよ〜。働かざる者食うべからずだぞ〜」

我先にと男部屋に向かって釣竿を取りに走り出した後ろ姿に一声掛けてから、コックは階下に居る航海士に視線を合わせ眉尻を下げてへらりと笑った。

「ごめんね、ナミさん」
「もう…結局甘いんだからサンジ君は!」

拗ねた様な口振りで怒った風を装ってはいるけれど、これはナミのポーズなのだという事を此処に居る全員が知っている。
その証拠にあっさりと切り替えて、まァ良いわ、次!と宣言した彼女は、己の側に立ち尽くしている剣士に向き直った。

「丁度良かったわゾロ。一瞬だけその無駄な筋肉、女部屋の為に貸してくんない?」
「…てめェ、それが人に物を頼む態度か」
「うん、何か問題ある?サンジ君、ちょっとだけ旦那借りるわね」
「どうぞ幾らでもこき使ってやって〜」
「コックてめェ!後で覚えてやがれ!」
「もう忘れた」

三人の遣り取りに口を挟まずフランキーと共にただ聞いていたロビンは、本人達には届かない程度の声量で近くに立つ船大工にそっと呟く。

「労働者本人に拒否権は無いのね」
「あー…其処は多分もう今更なんじゃねェか?」
「そして二人共当たり前の様に『旦那』は否定しないのね」
「…それこそもう今更だろ」

乾き笑いに近い笑い方でフランキーが力無く発したその言葉に、それもそうねと返した所で扉が開け放たれたままだったダイニングの中からチンッという高い音がした。

「おっ、焼けたな」

それを受けたサンジが嬉しそうに振り返った所から察するに、恐らくはキッチンのオーブンが彼を呼んだのだろう。

「じゃあナミさんロビンちゃん、もう少しだけ待っててね」
「うん、宜しく」
「期待してるわ」

いつも惜しみなく与えられる笑顔に此方も笑って応えると、コックは手を振りながらダイニングへと戻って行った。

「それでは私も…ナミさんロビンさん、また後程ティータイムに御一緒致しましょう」
「ええ」
「呉々も先に食べんじゃないわよあんた」

ナミの鋭い牽制に、おやおや手厳しい〜!とおどけながら楽しそうに笑って、サンジの後を追う様にしてブルックも再び中へと消えた。

「それじゃ後はお願いねフランキー。行くわよゾロ」
「あ、ちょっと待てナミ。ロビン!」

航海士に女部屋へと促されて向かおうとした剣士が、何かを思い出した様に呼んだ自分の名にロビンは彼を顧みる。
受け取れという言葉に続いて放物線を描きながら手中に落ちて来たのは、彼が甲板に現れた時からずっとその手にあった紫色のジャケットだった。

「上にあった。お前んだろ」
「ええ、昨日から探してたの。そう言えば一度登ったんだったわ。有難う」
「序でだ」

軽く片手を挙げてそう言うと、ゾロはナミと共に女部屋に向かって歩き出した。
その二人と入れ違いになる様にして、それぞれ釣竿を手にバタバタとルフィ・ウソップ・チョッパーの三名が男部屋から飛び出して来る。
そのままの勢いでワイワイと滑り台側の船縁に仲良く並んで座った三人が、思い思いに海面へと釣糸を投げ入れたのを最後に甲板は一気に静かになった。
 
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ