【書庫】

□魂の還る場処
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使いモノにならねェかもしれねェな、と。
偉そうに鼻で笑い飛ばしたのは、誰だ。





てめェ相手じゃ使えるモンも使えねェかもしれねェが、その気にさせる自信はあるのかと。
嘲り混じりの笑みを浮かべながら、不遜な態度でほざいたのは一体何処のどいつだ。

咥え煙草で口角を吊り上げる男の挑発に乗って、己を買い被った尊大な台詞を吐いたのは。
本当に今は真面な意味を成す言葉すら発する事が出来ないでいる、荒い呼吸を繰り返すだけのこの口か。

だとしたら今すぐ時間を遡って先刻の自分の胸倉を掴み上げ、横っ面を渾身の力で以て思いっ切り殴り飛ばしてやりたいと。
沸騰しそうな頭の片隅に僅かに残る冷静な部分で、非現実的な願望だとは解っていながらゾロは本気でそう考えた。





「ハッ…」



忙しない吸気と呼気の合間に、あ、とか、う、とか単語にもならない母音ばかりを零していた男が、不意に自分の下で不敵に笑う。
中空を漂っていた意識をそれに引き戻されて、組み敷いた男に焦点を合わせれば、薄明かりの中で潤む碧眼に視線を奪われた。

「…何だ」

たった一言そう声を発しただけで、まるでその時初めて我に返った様に覚醒したかの様な感覚を覚えたゾロは、途端にはっきりと感じた下から上へと背筋を走り抜ける快感に身震いして、ゆっくりと瞬きをする。

「いや…べ、つに…?」

確かめる様に明確な意志と共に見下ろした、見事な金髪を床に散らして乱れる男は、初めて見る淫靡な姿で上気した顔に含み笑いを浮かべる、良く見知った仲間の一人だ。

「途中で急に、黙り込ん…だから、よ…」

何と無くふわふわと幾人にも拡散していた自分が、一気に一人に戻った様な実際には有り得ない錯覚に陥りながら、急激に集中し始めた全神経は否応無しに無駄口を叩くこの男へと向かう。

「喋る、余裕も…無ェっ…のかと、思ってな…」



いつの間にかお互いに言葉を交わす事も無く進めていた行為は、何処か現実味に欠けていて。
内容はどうであれ、唐突に生まれた会話で再び全てに実感を伴い始めたこの状況に。



「…随分余裕かましてんじゃねェか」



対抗する様に口端を上げて、しっかりと冴えた頭で逸れ気味だった意識を快楽を追求する事に研ぎ澄ませれば。
力強く穿つ度に激しく揺さぶられる男は、最早通じる言語を話す術を忘れたかの様に嬌声を迸らせた。





   *   *   *





芝生の甲板で昼日中から始まった馬鹿騒ぎの宴会が、漸くお開きになって仲間達も寝静まった、細波が耳に優しい深夜のサニー号で。
相も変わらずまだ一人細々と働いているのだろう男の元へ向かったゾロの目に映ったのは、案の定キッチンで水仕事をしているコックの俯いた黄色い頭だった。

此方に気付いたサンジは対面式カウンターの向こうから一瞬だけ視線を寄越し、後一本だけだからなと言って顎で指図する様にテーブルを示す。
その上に封の切られていない真新しい酒瓶と湯気の立ち上る自分の好物を見付けたゾロは、これが計って用意された物ならば本当に大した推察力と観察眼の持ち主だと胸の内で感心して、手にしていた空瓶をテーブルに下ろすと素直に席に付いた。

予め最後の一本だと言われていたからゆったりとしたペースでグラスを口に運び、ふと同じ様に一口一口噛み締めながらつまみを食している自分に気付いて内心で笑う。
近付く靴音に何気無く視線を上げれば、仕事を終えたらしく煙草に火を点けながらゾロの正面まで歩いて来たサンジが、まるで一挙手一投足を大切にするかの様に緩慢な動作で椅子に腰掛けた。

「美味ェか」
「ああ」
「そりゃ良かった」

自分でも不思議なくらいすんなりと肯定の言葉が出た事に多少なりとも驚いたが、そんなゾロの様子には全く構う事無く、穏やかな気配を纏ったサンジは何処か愛おしむ様に周囲を見回している。
その仕草を息を潜めて盗み見ている自分がらしくもなく感傷的になっているらしいのが嫌で、何気無い遣り取りから柔らかく慣れない空気が自分達の間に生まれるのが嫌で、それを誤魔化す様にゾロは自ら話を振った。

「準備は済んだのか」
「あ?あー…まァな。一応やっとける事は全部やっといたぜ。お前でもちょっと頑張れば直ぐに食える美味ェ保存食がたんまりだ」
「…そういう意味じゃねェよ」

周りに巡らせていた視線をゾロに向けて、まるで世間話でもするかの様な軽さで答えるサンジに、おれには無理だ、明日からもお前がやれば良いだろうと忌々しげに言い捨てそうになる。
けれど喉の奥まで出掛かって結局声にはならずに引っ込んだ言葉は、今思えば暴かれた自分の深層心理が言わせたがった本音だったのかもしれない。

「あ?じゃあ何だよ。荷物なんかちょろっとしか無ェし…」
「違うっつうの。コックじゃねェお前自身が此処で遣り残したと思う事は、もう何も無ェのかって訊いてんだ」
「…あー…」

怪訝そうな表情を浮かべていたコックは漸く合点が行った様に視線を宙に漂わせ、考える素振りを見せながら無ェ事も無ェけどなァと暢気に呟く。
なら聞くだけ聞いてやるから言ってみろと最後の一口になったつまみを咀嚼して言うと、じゃあ、と言って突然何かを企んでいる風に唇の端を持ち上げたサンジの変化に面食らって、思わず口内の物を噛みかけで嚥下してしまった自分の喉が矢鱈と大きな音を立てた。





「最初で最後の記念に、一回ヤっとくか」





──ゾロ。




 
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