【書庫】

□一日千秋
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開け放した展望室の窓から、時折入り込む潮風が髪を撫でる心地良い晴天の午後。
暑くもなく寒くもなく快適と言える秋の気候は、仲間達におやつという娯楽を提供した後の充実感を伴った一服タイムを、殊更至福の時間だと感じさせてくれる優しさに満ちていた。

外に向かい吸い込んだ紫煙を一息に吐き出して、碧空にたゆたう雲を意味も無く追い掛け続けていた視線を部屋の中へと流す。
その先には此方の存在などまるで無いものと判断しているかの様に一瞥も寄越さない男が、自分にしてみれば訳の解らない道具を用いて一心不乱に、え?何それ一体どういう効果があるトレーニング?とツッコみたくなる様な訳の解らない鍛錬に勤しんでいる姿があった。

本当は、自分がもうこの場に居続ける必要も理由も無い事をおれは知っている。
だって、心の声が届いたのか何なのか次のトレーニング方法へと移行した剣士にサーブした彼の分のデザートプレートは、疾うに空になっていた。
おれはこの男なんかよりよっぽど毎日忙しいのだから、ソファに腰掛けている自分の横に置かれたその皿と空いたグラスの乗っている盆を持って、じゃあ晩飯に遅れんなよとか何とかいつもの如く軽く一声掛けたらそのままさっさと下に降りれば良い。
そう解っているのに、そして普段なら間違い無くそうやって立ち去っている筈なのに、今日の自分は何故だかそうする気にはなれなかった。

まあ、忙しいとは言っても今日は夕飯の支度を始めるまでにはまだ時間があるし。
天気も良いし海風も気持ち良いし、渾身の出来だった今日のロールケーキがデコレーションから味まで大絶賛を博したお陰で、此処に腰を下ろして咥えた最初の一本がまた格別の美味さだったりしたものだから、きっとただ何となく離れ難い気分になってしまっただけなのだ。
只でさえ日に何度か出来る隙間の時間を縫って取る貴重な小休憩だから、気分良く過ごせる場所で費やしたいと望むのは持って至極当然の欲求だと思う。
なんて、そんなのは全部言い訳だ。
自分の本心に対する、苦しい言い訳。

嗚呼、何故自分は今好き好んでこんな緑の癖に何の癒やし効果も齎さない暑苦しい光景を眺めているのだろうと思いながら、何も纏っていない上半身に余す所無く綺麗に付いた筋肉が一定のリズムで隆起を繰り返す様に目を留める。
何と言うか、以前と比べて明らかに厚みが増したよなあとぼんやり考えていたら、剥き出しの肌の上を滑り落ちる汗と浅く荒い息遣いに脳がうっかり昨夜の此処での出来事を連想してしまい、おれは慌てて頭を左右に振った。

短くなった煙草を携帯灰皿に押し潰し、直ぐ様また新しい一本に火を点けて思い切り吸い込む。
肺を満たしたその煙を今度は天井に向けて一気に吐き出すと、少しは急な動悸も鎮まった様に感じられた。
ふとその原因を作った存在の方を何気無く見遣れば、此方の動揺などまるで知る由も無い男は相変わらず淡々と規則正しい間隔を保って鍛錬を続けている。
それが何と無く腹立たしく思えて八つ当たり以外の何物でもない意趣返しをしてやろうと思い付いたのは、本当に完全な気紛れからだった。



「なあ」
「あ?」

一回の呼び掛けで返事があった事に少しだけ気を良くして、自分の方を向いていない男に言葉の続きを投げ掛ける。

「ゾロ」
「何だ」
「だりィ」
「…あ?」
「腰が」

お前の所為で、とは敢えて言わなかった。
けれどゾロはピタリと動きを止めた。
言外に含んだ意味を正しく汲み取ったらしい。

別に嘘は言っていない。
今日は朝から特に下半身がとにかく怠くて仕方無かった。
そもそも男である自分の体は、元々受け身には作られていない。
その上、更に二年ものブランクがあった。
それがあんな風に、自分は今から文字通り食われるのではないだろうかと思った程の勢いでがっつかれたのでは、幾ら人より頑丈に出来ているといえども多少調子を崩したとて無理もない話というものだろう。

一体どういうリアクションが返ってくるのかなあと咥え煙草で口を噤んで待っていると、ゾロはゆっくりと此方に向き直った。
真っ直ぐに見詰めて来る瞳の射抜く強さは片方だけになっても相変わらずで、けれどばつの悪そうな面持ちに、おや?と思う。

「…悪ィ」

其処に丁度そのタイミングで落とされた彼の声が紡いだのはまさかの殊勝な一言で、思い掛け無い謝罪の言葉におれはつい調子に乗った。

「お前、手加減無さ過ぎ。そんなに余裕無かったのかよ」

あくまでも平坦に聞こえる様に、少なくとも揶揄う様な口調にはならない様にと声音に注意して軽口を叩く。
それに対してほんの一瞬だけ心持ちムッとした表情を浮かべたゾロは、けれど直ぐ次の瞬間には明らかに開き直った態度を見せて両腕を組んだ。

「しょうがねェだろ」
「何が」
「これまでの人生であんなに我慢させられた経験なんて、一回もした事無かったんだからよ」
「何を」
「お前」
「──」



何だ、それ。



「おれはな、今まで生きて来て二年もお前の事我慢したのは、今回が初めてだったんだよ」



いや、臆面もなく何言ってんだこいつ。



「だから一気に箍が外れた。抑えが効かなくて行き過ぎちまった自覚は確かに自分でもある。無理させて悪かったな」



だって、そんなの当たり前じゃねェか。
出逢ってからバラバラになるまでに過ごした時間よりも、バラバラになってから再会するまでの間に経過した時間の方が長かったんだ。
生まれてこの方まだ二年以上一緒に居た事も無ェのに、我慢すんのが初めてもクソも無ェだろうが。

つうか、ふざけんなよてめェ。
何だよ、まるで自分一人だけが耐えて来たみてェなその言い方は。
大体、誰がいつ何処で無理させられたなんて言った。
二年だぞ、二年。
ずっと我慢して来たのも、久々過ぎて余裕が無かったのも。
触れた途端に箍が外れたのも、次の日辛ェって解ってて自制が効かなかったのも。

おれだって同じだ。
てめェと同じだ。



あの瞬間を待ち焦がれてたのは、てめェだけじゃねェ。


 
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