○小説置き場V○

□閃光
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タケに抱きしめられてから、何かが変わった。

話す内容や関係なんかは前のままだけど決定的な何かが違っていた。

それが何なのか自分にも分からなくて、時々とてももどかしい。

「充、今週末ひまか?」

それは突然、缶ビールを飲みながら二人でDVDを見ているときにタケが言った。

「ん?今週…は、何もないはず」

「じゃあちょっと俺につきあえ」

相変わらずタケはいい飲みっぷりで二本目の缶ビールもからりと飲み干した。

「いいけど、どこに?」

何か大きな買い物とか、臨時のバイトとかだろうと思って訊いた。

「温泉だ」

「……温泉?」

たっぷり間があって、意外なその単語を俺はリピートした。




「タケと温泉なんて初めてだね」

「あぁ」

タケの運転で目的地へと向かいながら適当に曲をかけて窓を開けた。

「デートみたいだねー」

冗談めかして言うとがしがしと頭を撫でられた。

「充なら彼女でも通用するかもな」

「えー、誉めてんのかそれ?」

二人でふざけあいながら流れていく景色を見つめる。

なんて平和なんだろう。

タケのそばにいると世界が少しだけいいものに思えた。

運転するタケの横顔も心なしか楽しそうに見える。

「…」

肘掛けに置かれたタケの左手にこっそり自分の右手を重ねる。

タケも黙ったままだったけど、軽く手を握り返して笑ってくれた。




温泉と言っても日帰りなんだろうと思っていたら、タケはちゃんと宿泊の予約をしてくれていた。

「言ってくれたら用意してきたのに」

着替えまでは持ってきていなかったのでそう言うと、タケはあっさりと近くで買えばいいと言った。

タケと温泉も初めてだけど、旅行なんてもっと初めてだ。

家にタケが泊まったことや逆もあるけど、それとは違う感じがした。

いい加減な付き合いしかしてこなかった俺は恋人とすら旅行に行ったことはない。

タケは恋人じゃなくて友達、だけど。

「あれ?」

部屋に着いてまず目に入った光景に首を傾げる。

景色もいいし、部屋も綺麗だ。

ただ。

「なんでベッド一つしかないの?」

「カップルプランにしたから」

「カップル!?」

さらりとすごいことを言われて変な声を出してしまう。

「えっ、それって男同士でも大丈夫なの?」

「いや、充を彼女だと思ったんじゃないか?」

「あぁ、そう…」

止められても困るけど、それもなんだか複雑だ。

「まぁ温泉もあるし、料理も口コミ見たら結構よさそうだしいいだろ」

「…うん」

タケと初めての旅行。

ベッドは一つ。

なんだか何かが起こる予感がした。




充にちゃんと説明もせずに連れ出したのには訳があった。

長いこと友達でいたせいでお互い照れや遠慮もあって。

関係を変えたくても簡単にはいかなかった。

充が心配だからそばにいる。

最初はもちろんそうだった。

だけど傷つく度に俺を頼ってくる充を、いつしか友達としてじゃない目で見るようになった。

それでも充は相変わらず無防備で、何度理性と本能の狭間で葛藤したか分からない。

だからきっかけが欲しかった。

この旅行で何かが変わればいいと、そう願って。




「広っ」

開口一番に充がそう言うのも無理はない。

「…広いな」

広い露天風呂が売りだとは書いてあったが、想像以上の規模だった。

俺たちの他にも客はいるもののあまり混んではいないようだ。

「ん?どうかした?」

「いや…」

無意識に充の身体を見つめてしまっていて慌てて目をそらした。

そういえば充が動けなくなってやむを得ず裸を見ることはあったけど、こんなふうに明るいところで目にするのは初めてだった。

−綺麗な身体。

同じ男の身体なのに、肌質も骨格も全然俺とは違っていた。

ほどよく筋肉のついた脇腹、色素の薄い肌、華奢な肩。

意識がそちらに向いてしまうのを誤魔化すように熱い湯に身体を沈めた。

「ふー…」

湯加減もちょうどよく運転で疲れた肩がじわりと温まる。

「待ってよ、タケ」

充がぺたぺたとこちらに向かってくる。

「っわ…!」

そして温泉に入る直前、段差のないところで足が滑る。

ある程度予想はしていたがまさか本当に転ぶとは。

湯の中に落ちる充を俺が抱き留める形で支える。

なんとか膝をぶつけたりはせずに済んだようだ。

「…ありがとう」

「いいえ」

照れくさそうに笑って充が肩に額を乗せる。

「タケと俺ってこんなに体格差あったっけ?」

「…あぁ」

抱きしめると充がいかに華奢か改めて感じた。

−細い腰。

こんなに華奢な身体でいったい何人の男を受け入れてきたのだろう。

そっと腰を掴むと向き合っていた充が困ったように俯いた。

「タケ…ひとが、見てる」

「あぁ、悪い…」

ゆっくりと充を下ろしてやると重みを失った膝が少し寂しかった。




一人先に部屋に戻ってからも手を見つめては充の身体を思い出していた。

もしも充が会って間もない知人とか、誰かの恋人とかだったらもっと簡単に手を出せたかもしれない。

でもあいつは俺の大切な友人で、目を離したらどこかへ行ってしまいそうで放っておけなくて、何より充も俺を信頼してくれている。

だからもし俺が充を恋愛対象として見てしまったら、あいつには帰る場所がなくなってしまう。

なにがあっても迎えてくれる場所が、あいつには必要なのだ。

「いつからこんなに好きになっちまったのかな」

煙草の煙をゆっくりと吐き出しながら窓の外を眺めた。

眼下には川が流れていて荒っぽい岩肌や緑が清々しい。

やっと実感する非日常な空間。

ここに充と二人で来られただけでも十分かもしれないと思えた。

煙草を灰皿に押し付けて目を閉じて椅子に凭れかかったとき。

「タケ」

視界が少し暗くなってすぐそばで充の気配がした。

「出たのか」

目は開けずに返事をすると膝の上に温もりが伝わる。

「…充?」

うっすらと目を開くと膝の上に充が頭を乗せてこちらを見ていた。

「タケ、浴衣似合うね」

ふわりと笑う充の上気した頬が浴衣越しにもあたたかい。

「そんなとこ座ってたら風邪引くぞ」

カーペットの上とはいえ窓際に座り込む充の身体を気遣って呟いた。

「じゃあタケもあっち行こう?」

軽く浴衣の裾を引っ張られて充が部屋の方を指差す。

「わかったよ」

起きあがると背もたれの大きな窓際の椅子がぎしりと軋んだ。

浴衣を着た充の後ろ姿に、見慣れないせいか胸が高鳴った。

畳の上にあぐらをかいて座ると充は自然な様子で俺の膝に頭を乗せて寝転んだ。

これが計算じゃなく無意識なんだから厄介だ。

仕方なくコンビニで買った旅雑誌をパラパラと捲る。

明日も1日予定はない。

「なにしような、明日」

「うーん…」

充が頬を太腿に擦り寄せて穏やかな呼吸を繰り返す。

「眠いのか?」

髪を撫でて顔を覗き込むと充が小さく頷いた。

ゆっくりと瞬きをしながらこちらを見つめる瞳が少し潤んでいる。

「ベッドまで連れてってやるから、ほら」

目の前に手を差し出すと充が軽く握った。

けれどその手に力は入っておらず、一つ息を吐いて肩と膝の裏に腕を回して抱き上げた。

「ぅー…タケぇ」

充が首にしがみついて俺の名を呼ぶ。

寝ぼけている様子がかわいくてそっと頬を寄せる。

「んぅー…」

ゆっくりとベッドに下ろすと上質なスプリングが充の身体を優しく受け止めた。

「充…」

頬を指先で撫でるとぬくもりがじわりと伝わった。

無防備に開いた唇が、小さく動く。

「なんだ?」

口元に耳を近づけて耳を澄ます。

「…タケ、もっと…さわって」

頬を撫でられるのが心地いいのか、充が指を軽く握った。

こんなふうに甘えてくるのは安心している証拠なのだと思うと愛しかった。

充の淡い桃色の頬を撫でながらそっと隣に横たわる。

「…充、ごめんな」

本当はずっと充の帰る場所でいてやるつもりだった。

無償の愛なんてものが自分のなかにもあるならば、それはすべて充に与えようと決めていた。

はずなのに。

いま、目の前にいる充が欲しくて堪らない。

「っ…」

口の中に溜まった唾液を嚥下して充の浴衣の襟を左右に開く。

華奢な肩や鎖骨が露わになり充が身をよじる。

ゆっくりと顔を寄せ、二人の距離が近付く。

決して踏み込むことのなかった、近くて遠い、この距離。

唇が触れる刹那、眠っているはずの充が俺を呼ぶ声が聞こえた。

−タケ。

それは俺を咎めるような、懇願するような響きを持っていた。

頭の中でもう一人の自分が叫ぶ。

−それ以上はダメだ。

分かってるよ。

だからこうして何年も隠し通してきた。

−充を失うかもしれない。

それも、分かってる。

頭の左側が鈍く痛む。

柄にもなくかすかに震える唇を、そっと、充の唇に押し当てる。

ずっと触れられなかった。

本当に大切に想っているから。

ずっと触れたかった。

守りたいと思うのと同じくらいの強さで。

充、どうか俺から離れないで。

もしお前が今まで通りの俺を望むなら、そう接するよう努力する。

だからどうか、またいつか傷ついてしまったとして、一人で泣いたりしないで俺を頼ってくれ。

好きなんだ。

お前の笑った顔が。

傷ついた顔は見たくない。

軽く触れるだけの短いキスは、身体に電流が流れるほど甘美で。

全身を殴られるよりも切なくて痛かった。

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