○小説置き場W○

□HOME
1ページ/1ページ

内心身構えて行った温泉旅行は意外にも何事もなく終わった。

帰りの車の中でタケは無口で、なんだか落ち着かなかった。

自分の髪からいつもと違うシャンプーのにおいがする。

旅先で買った真新しいTシャツが窓から射し込む光に白く照らされた。

「…タケ」

「ん?」

前を見つめたまま、タケが左手を差し出す。

その手をそっと握ると手のぬくもりが少し気持ちを楽にしてくれた。

「また、旅行連れてってくれる?」

「もちろん」

タケが優しく目を細めて繋いだ手に少し力を込めた。

「今度は海の近くにするか」

「いいね」

タケの提案に嬉しくなって俺は運転するタケに抱きついた。

引き締まった身体がかすかに強張る。

「…こら、びっくりするだろ」

「ふふ、ごめん」

謝りながら離れようとするとぽすんと頭に手が置かれた。

「いいよ、そのままで」

タケは、優しい。

笑ってしまう口元を隠すように俺はタケの胸に頬を預けた。




充が俺に甘えてくるたび、気が気じゃなかった。

あの旅行の夜、俺は充にキスをした。

それも充が眠っている間に。

だから充は俺の本心を知らない。

もしあのまま襲ってしまっていたら、と考えると自分がひどく卑しい存在に思えた。

充は、いいヤツだ。

無愛想で誤解されることの多い俺に懐いてくれた数少ない友人だ。

大切にするって、決めていた。

あいつを大切にしてくれる人間が、あまりにも少なすぎたから。

充の傷ついた顔はもう見たくない。

見たくないのに。

この手が今、あいつを傷つけようとしている。




「ん…」

夢に意識を奪われたままぼんやりと目を開く。

見慣れた天井、いつもと同じ朝。

「……タケ?」

だけど隣に居るはずのタケがいない。

昨夜はタケと飲んで、飲みすぎた俺をタケが介抱してくれた。

そのあと−…。

「いっ…」

鈍い痛みが頭を蝕む。

たしかに一緒に眠ったはずなのに。

タケの体温も、煙草のにおいも、こんなにはっきりと覚えている。

「っ…」

ふらつく脚で立ち上がるとテーブルの上のケータイを掴んだ。

メールの受信を知らせるライトがチカチカと点滅している。

なぜか不安になってケータイを開くと、ふっと気が遠のいた。

−しばらく実家に帰る。

無駄のないタケらしい短い文章。

しばらくっていったいどれくらいだろう。

自惚れかもしれないけど、急な帰省の理由が自分にある気がして落ち着かない。

「タケ…」

タケの大きな手に触れられると安心した。

どんなに最悪な日でも、いつもタケが俺を救ってくれた。

じゃあ俺は?

タケにとって、俺はどういう存在なんだろう。

なにか、タケの役に立つことができているのかな。

自信はない。

だって俺はどうしようもないヤツだ。

恋愛にルーズだし、タケには迷惑をかけてばかりだ。

それでもタケが離れていかないのは、少しくらい好かれていると思ってもいいのかな。

タケの声が聞きたい。

タケに、触れたい。




自分がこんなに行動力があるとは思わなかった。

「…着いたぁ」

タケの実家の最寄り駅で、夏でも少し涼しいその気温差に身を震わせた。

タケはびっくりするだろうか。

それとも迷惑だろうか。

そこで、はたとタケと連絡が取れなかったら会えないことに気付く。

「忘れてた…」

自分の無計画さを後悔しても後の祭りだ。

とりあえず連絡してみようとケータイの発信履歴を開く。

そういえば最近タケにばかり連絡している。

「…もしもし?」

数回のコール音のあと、懐かしいタケの声がした。

「タケ!」

出てくれたことが嬉しくてつい大きな声を出してしまう。

「どうした?」

いつもと同じ、穏やかな声。

「いまね、駅にいるんだ」

「どこの?」

「タケの実家のそばの」

「は…?」

受話器の向こうでタケが困っているのが分かる。

「あの…ごめんね、急に」

「いや、悪くはないけど…本当に?」

「…うん」

来てはいけなかっただろうかと不安になりながら、足元を見つめてタケの言葉を待った。

「…すぐ迎え行くから、待ってて」

「…うん!」

よかった。

やっぱり、いつものタケだ。

迎えに来たタケはいらっしゃいと言って笑った。

「びっくりしたよ、遠かったろ?」

タケの横顔を見つめる。

なんだかずっと会っていなかったような気がした。

「…会いたかった」

「充?」

「なんで…何も言わないでいなくなっちゃうんだよ」

言いながら感情が高ぶってしまって声が震える。

「…ごめん」

前を向いたまま、タケが左手を差し出す。

この間の旅行の帰りみたいに。

「一人に…しないでよ」

その手を両手で包み込んで、顔を寄せる。

「…しないよ」

タケが困ったように笑って肩を抱き寄せる。

「充」

「ん?」

「俺、お前が好きだ」

小さなボリュームで流れているラジオでは、夏のデートスポットが紹介されている。

窓の外は冴え冴えとした緑と綺麗な青空が広がっている。

肩に触れるタケの手が、少し湿っていて冷たい。




タケの手がゆっくりとシャツのボタンを外す。

それは本当にいいのかと確認するようで気恥ずかしい。

昼の明るさから逃れるように入った安っぽいラブホテル。

初めて見るタケの熱っぽい瞳が、俺を捕らえて離さない。

「っ…タケ、なんか…こわいよ」

普段とのギャップに怯んで顔を背けるとタケに顎を掴まれた。

「ちゃんと見て、充」

「ッ…」

タケの雄の顔が、薄暗い部屋でこちらを見つめる。

慣れてるはずなのに、心臓の音がうるさい。

「ぁ…」

見慣れたタケの顔が近付く。

戸惑いながらも目を閉じると、タケがそっと唇を重ねて抱きしめた。

毛布に包まれるような安心感が胸に広がっていく。

あぁ、やっと分かった。

「充…?」

溢れ出した涙をタケの指が拭う。

「タケ…好きだよ」

「充…」

初めて見る、照れたような感極まったようなタケの表情。

ずっと近くにいたのに気付かなかった。

タケ、ごめんね。

俺、バカだから。

こんなに時間がかかってしまったけど、やっと分かったよ。

いつも俺を待っていてくれた。

煙草のにおいのする広い胸。

タケの腕の中こそが、俺の、帰る場所。

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ