猫とつばめとアートルーム

□(6・完)
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 美術室は静かだった。いつもなら東ファンの女子たちがたむろしているはずなのに、おかしいなあと思いながら部屋に足を踏み入れる。
 東翔太郎は腕組みをしてイーゼルに立てかけられた絵を眺めていた。
「あ、それ!」
 私は息を呑んだ。
 最初に描いた、黒猫の絵だった。
 東は私に背を向けたまま、ひとり言のように話し始めた。
「この絵──デッサンも狂ってるし構図も変だし、色もよくない。まるでなってねえけど……」
「東、あんたな」
「……でも、不思議といい絵なんだよな。これを描いたやつの心が、こっちに伝わってくる。ぬくもりのある絵だ」
 私は言葉を失った。東の表情は見えなかったが、声は今までに聞いたことがないほど弱々しかった。
「俺はこういう絵が描きたかったんだ。技巧より何より、描きたい気持ちが表現されてる絵がいちばん評価される。でも、俺はいつの間にか『描きたい気持ち』っていうのを失ってた」
 わずかに東の肩が震えていた。
「中学ん時に個展開いて『天才少年』って持ち上げられてよ、調子に乗って描いてたら俺の絵は個性のカケラもなくなってた。周りの大人が俺を見放していく中、絶対見返してやるってひたすら描いたけど……絵を描く、ってそういうことじゃねえんだよな」
「東……」
「この学校に転校してきて真っ先に美術室を見学させてもらった。その中でこの黒猫の絵を見つけて、俺は興奮したんだ。こんな絵を描けるやつはどんな『描きたい気持ち』を持ってるんだろうなって」
 東はようやくこちらに振り向く。泣いているような笑っているような、変な顔だった。クールぶった目元涼しい美形とはかけ離れていた。

 そうか。
 私は悟った。
 東もひーちゃんも私も。
 みんな、迷子だったんた。

「私、美術室が好きってことを思い出したんだよ。東のおかげで」
「つばめ……」
 あ、ちゃんと私の名前を呼んだ。いつもは馬鹿にしたような『部長』なのに。
「ありがとう、東。前はひどいこと言ってごめんね」
「…………」
「その絵、描きたい時に描いたんだ。描きたい気持ちって、血眼になって探すものじゃないと思うよ。いつの間にか描きたいって思ってるんだ。苦しいなら、その苦しい気持ちを表現してみたら?」
「──ばかめ」
 東は今までの表情を一瞬のうちに消し去って、にやりと笑った。
「ようやく気づいたか、あほ。遅いんだよ」
 驚くべき変わり身の早さだ。皮肉か罵声しか出ないその口を縫いつけてやりたい。応酬しようとしたら、東はさっとケータイを私の前に突き出した。
「メアド教えろ」
「は?」
「心配……すんだろ、昨日みたいに休まれたら。いつでも連絡つくようにしとくんだよ。お前は一応美術部の部長だからな」

 こいつは本当に皮肉屋だ。私は笑ってしまった。


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