short

□呪歌
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 暫く歩くと、一段と高い木に囲まれた場所にある、深い青に染まった一つの泉が見えてきた。
 ルックの口許に思わず笑みが浮かぶ。
 澄んだ泉の水面に、目を閉じ、仰向けの状態で浮かぶ誰か。ふわふわと白い薄布が漂い、その間から白い肌が覗き、流れるような黒い長髪が円を描くように流れている。

「やぁ、リト。」
「やはり、君だったか。」

 ルックは今自分が出来る一番美しい微笑みを浮かべて彼の名を呼んだ。
 それに彼、解放軍軍主であるリト・マクドールその人はゆっくりと目を開け、全身を泉に沈めルックの方へ体を向けた。
 浮かぶために必要な動作が見られないあたり、泉の深さは足が着く程度のようだ。

「既に気付いていたくせに何云ってんのさ。…だから、やめたんだろ?」
「ああ、君の声が聞こえた。だからやめた。」

 リトはゆっくりと音を立てないように歩いて陸の方へ向かって行く。一歩踏み出すたびに白い薄布と長い髪がゆらゆらと揺れ、リトの後をついて流れる。
 惜しげもなく晒された白い肌は日の光を受けて輝き、濡れた長い黒髪はその白い肌張り付き、白と黒のコントラストが異様なほど美しい。
 それを見るたびにルックは、彼を人というカテゴリーに留めておくのは惜しいと思ってしまう。人であるからこその彼だということは理解しているし、人以外のものに彼を渡す気など更々ないが、それでも、人にしておくのは惜しいと思ってしまうのだ。周りの緑も水の青さも、花々の色彩も、彼の美しさの前にはただの付属品にしかならないのだろう。

「随分と美しいものだね。」
「君がそういうことを云うのは、珍しい。」
「君相手だからね。」
「そうか。」
「そうさ。」

 ルックは近くにおいてあったリトの服、というには心許ない黒い薄布の塊を、ちょうど泉から上がったリトに手渡す。
 リトはそれを受け取り、それまで纏っていた薄布をはらりと取り払ってその場で着替え始める。

「少しは隠そうとかいう気はないのかい?」
「君相手に? 今更だろう。」
「確かに。ならばさっさと着替えるんだね。」
「直ぐに済む。」

 リトはお世辞にも服とは云い難い黒い薄布を幾重にも重ねていき、終いとばかりに上から深紅の法衣を纏い、金の刺繍が施している黒い帯を締める。

「何故、気付いた?」

 着替えの終わったリトが、髪を一つに括りながら、呟くようにルックに問う。

「何がだい?」
「歌。」

 何について問われているのか一瞬分からなかったが、その一言でルックは合点がいった。
 リトは感情の伺えない表情で静かにルックを見つめる。

「あれのことか…そうだね、あれはやっぱり歌だったのか。で、一体なんなんだい?」
「貴方は既に知っている。」

 そう云うとリトはすっと目を閉じて、音を立てないように両手を広げ、前へ掲げる。
 何をするのか、と問うルックの視線を無視し、口を開く。

音。

音、音、音、音、音。

溢れんばかりの音。

否、これは、 歌  だ。

自然に。
満ちていく。
呑み込まれる。
狂わされる。
侵蝕される。

音の、奔流。


「…呪いか。」

 リトはルックが呟いた言葉を切っ掛けに、くるくると、くるくると、纏っている服を舞わせるように踊り始めた。
 片足を踏み出して体を捻るように飛び上がり、纏う薄布が波打つように両手を広げる。円を描くように動き、時折空を見上げる動作をしては満ち足りたような表情を浮かべて微笑む。
 リトが前と違う動作をする度に大気が振動したかのように景色が揺らぐ。
 けれど音は何もない。ステップを踏む音も、布の擦れる音も聞こえない、己の息づかいさえも聞こえない、全くの無音世界。

「これは呪歌。古よりこの血に流れる音の奔流。」

 リトはとん、と両足を地に着け舞い終え、何処か嬉しそうに目を細めて云った。
 目の前にいるルックでもなく、ただ呟くように。

「血が音を生み、音が歌を生み、歌は世界の言葉を代弁する。これはそう云うものだ。」
「君にしては珍しい表現をするじゃない。けど、それは僕が求める答えじゃないね。」
「そうか。」

 憮然とした態度のルックを見て、リトは少しばかり口許をつり上げて応え、その場に座り込んだ。
 ルックにそれに習いその場に座る。
 リトは何処から取り出したのか、手にしていた紋章球をころんと2人の間に転がした。

「我々は紋章という媒体を通し、個体の内に集まる魔力という力を様々な属性に変質させ、形を成して放出させることが出来る。」
「ああ、そうだね。しかし、それは全ての人間が行えるわけじゃない。魔力自体はこの世界に溢れていると云っても過言じゃないが、素質のないものが無理に発動させようとすれば拒否反応が起きる。素質、といっても何が理由でその有無が決まるのか知ったことじゃないけど。」
「そう、正確にはわからない。呪歌の力自体は魔力と同じように当たり前としてそこにあるが、使用できる人間は紋章以上に限られている。血から血へと流れるものだが、術者の選定理由は私にもわからない。呪歌はある意味で紋章と同一のものなのだと云えよう。その存在意義も行使する目的も異なるが。」
「存在意義と行使する目的の違いとは?」

 ルックは紋章球を拾い上げ、それを目の高さに掲げ、空にかざし、少し魔力を込めてみる。差し込む光と魔力の流れが上手い具合に混ざり合い、紋章球がゆらゆらと光を放つ。
 リトはそれを見て目を細めた。

「…母が、一度だけ私に云ったことがある。自分の血族は古の理を継承するもので、私はその力と遺志を継がねばならないのだと。」
「古の理を継承する血族、ね。それについて詳しくは?」
「知らん。その母より伝えられた言葉によれば、この身に流れる血は我々にしか認識できない音であり、歌であり、言葉でもあり、遥か昔より存在し、未来永劫続かなければならないものである。神の声を聴き、それを全てに伝えるために儀式を行い、祈続ける者。母自身、数多の命を糧に多くの奇跡を起こしてきたと聞いている。自身が真の紋章を宿し、宿星に関わるまでは全くの眉唾だと思っていたんだけどもね。」
「同感。しかし、祈り、ね…だから呪と云う文字を付けたのか。」
「この力がいつから呪歌と呼ばれるようになったのかは分からないが、おそらく呪とは、神に祝詞を告げて祈ることを示し、祈りの文句そのもの。闇を祓い清めるという意味もあったのだろう。」

 ルックは苦々しそうに顔を歪めたあと、どこか諦めたように微笑み、手にしていた紋章球をリトに向かって投げた。
 リトはそれを両手で受け止め、不思議そうにルックを見返した。

「にしても、随分と皮肉なものだ。渾沌として産まれ闇を纏う者が、神のために祈り闇を祓うか。いや、だからこそ君は天魁星の宿星を負ったのかな?聞くところによると、君は芸術にも造詣が深いらしいね。それも一因なんだろう。」
「…それを考えたところで意味はないだろう。私という存在自体が矛盾しているのだ。今更どんな齟齬が出ようと何も変わらない。だからこそ、と云うならそうなのかもしれないけれど。」
「確かにね。君が云ったとおり紋章と同一であり、当たり前としてそこにあるものならば、考えるだけ時間の無駄だろうね。君には正確な答えは出せないのだから。」
「ああ。これは当たり前として私の中にある音の奔流。古くから絶えることのない言葉だ。と、そう結論付けておいたほうが楽だ。」

 リトはそう云うと同時に紋章球を空に向かって放り投げた。
 それは高くまで上り一瞬太陽とかぶり、落ちてくることなく消えてしまった。同時に軽く右手を挙げたことから、紋章の力を使った物質テレポートだということは確かだ。
 ルックは小さくお見事、と云い、その言葉にリトは小さく礼をして返した。

「…願わくは、その音が我等の未来の闇を祓い清めてくれることを。」

 少しの沈黙の後、ルックは風に乗せてそうぽつりと呟いた。
 彼の言葉を切っ掛けに、風が森の奥から2人のいる空間へと吹き込み、枯葉を巻き上げて上空へと消えていった。
 リトは目を見開き、その後しまったとでもいうようにばっと俯いた。

「じゃあ先に帰ってるよ。」

 ルックはそんなリトを見止めると申し訳なさそうな苦笑を浮かべ、一言声をかけた後テレポートを発動させた。
 1人その場に残されたリトは、目を伏せて痛みに耐えるように唇を固く閉じ俯いた格好のまま座っていた。

「…ならば奏でよう。私はそうであることを望みはしないから。」

 リトの歌に呼応するように吹き抜けた風は、皮肉なほど優しかった。













リト坊とルックはTの時点では不即不離気味。
ただ、なんとなく特別だとは思っています。
呪歌については、特に文献等を引いて考えたわけではないのでめっちゃ適当です。






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