長編夢

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「杏里、大丈夫?」

後日、姫香は一人で杏里の見舞いに来ていた。帝人や正臣と一緒に来ようかとも思ったが、杏里に言っておかなければならない事があった。

「はい、すぐに退院できるそうです。お見舞いに来て下さってありがとうございます」
「ごめんね」

頭を下げた。杏里は驚いて目をぱちくりさせている。

「私、臨也が何を企んでるのか知ってたのに、結局杏里に怪我させた」
「え…」
「黒幕が臨也って、分かってるんだよね…」
「…はい」

顔を上げた。杏里はしばし俯いていたが、姫香の目を見て微笑んだ。

「姫香さんは、私が罪歌だって知っていたんですよね」
「…うん」
「知ってたのに、避けないでいてくれて、嬉しいです。ありがとうございます」
「そんな…避けるわけないじゃん!友達、だから…」

続きが出てこない。助けてあげられなかったのに『友達』だなんて言っていいのだろうか。

「友達、ですか…」

杏里が急に真面目な表情になった。

「親友に、なって下さい。」
「え…?」

聞き間違いではないかと自分の耳を疑った。原作の中で、いつも画面越しに景色を見ているような態度をとっているとあれほど強調されて書かれていた杏里が、自分から言う言葉だとはとうてい思えなかったのだ。

「ごめんなさい…困りますよね」

そう言って慌てる杏里。呆然としていた姫香だがどうやら聞き間違いではないらしいとわかって目を輝かせた。

「そんなことないよ!ありがとう。嬉しい。」

勢い余ってベッドで上半身を起こしている杏里に抱き付いた。杏里は当然おろおろしている。

「ごめん…今度は絶対怪我なんてさせないから!」

本気でそう思った。守りたいと思った。
臨也のことは好きだが今回の件に関しては許せそうにない。ずっと世話になり続けるわけにもいかないのでどうやってけりをつければいいかそろそろ考え始めなければならないだろう。

「あの、その手ってもしかして罪歌に…」

物思いにふけっていると、杏里に泣きそうな顔で聞かれてハッとした。美人の前でぼうっとしていたのでは時間がもったいない。

「え!?あ、まあそうなんだけど、ありがとうって言ってたら声が消えちゃったの。私も罪歌の力が使えるようになってれば便利だなって思ったんだけど、どういう仕組みなのかよくわかんないんだよね。聞こえないってことはフラれたのかな」

杏里はキョトンとしてから、笑顔になった。

「平和島さんみたいですね」
「え?」
「姫香さんは罪歌の声を跳ね返してしまうくらいに強いんですよ」
「そ、そういうことなのかな」

急に静雄の名前が出てきて動揺した。事件のあと、まだ会っていない。恥ずかしいというのも少しはあるが、それよりも家出をしていることを知られたくなかった。情けなくて、言えたものではない。
確かに臨也を許せないとは思うが、謝りたいとも思っていた。酷いことを言ったのは自覚している。心配してくれているのに、『その気持ちが私を傷付けてる』と言ってしまい、そうやって大口をたたいて結局怪我をしたのだから恥ずかしくてあわせる顔もない。
事件からずっと家出をしていたのだが、実はそのことが、罪歌に斬られてふんぎりがついたはずなのに姫香の胸の中にいまだにくすぶり続けている不安をかきたてる一因でもある。
今までも何度か姫香が帰らないことはありその時は臨也から頻繁に連絡があったのだが、今回はなぜかメールの一通も来ていないのだ。波江から時々左手の怪我を心配するメールが届くくらいで、本当に何も言ってこない。なにか裏があるに違いないと考えつつも、もしかしたら自分は用済みなのかもしれないという不安もある。

――用済みなら用済みでいいんだけど…それだけだったら諦めもつくし…

一体何を諦めようというのか、何におびえているのか自分でもよくわかっていないまま不安だけがつのる。罪歌に愛されたのは嬉しいが、依然として自分の存在の証明には何かが足りない気がしていて、静雄と思いが通じたのにもかかわらず得体のしれない何かが襲い掛かってきそうな気配を感じるのだ。

「私は、杏里が言うほど強くないよ」
「…でも、傍にいてくださいね」

三年程前に臨也に言われたことを思い出した。

――隣にいてほしいから…かな。

「…ありがとう」

それしか言葉が出なかった。

***

病院の廊下を歩いていると、帝人が歩いているのが見えた。

「あれ、帝人くん?」
「あ、姫香さん!どうして一人で来ちゃったんですか?言ってくれれば僕も一緒に来たのに」
「ごめんごめん。杏里のことを思っていると胸が張り裂けそうで猛ダッシュで勝手に来ちゃった」

帝人が訝しげに姫香の顔を見つめた。

「甘楽さん…臨也さんと、喧嘩でもしたんですか?」
「え、四六時中喧嘩してるけど」
「そうじゃなくて。っていうかそんなに普段喧嘩してるんですか!?」
「晩御飯のメニューとか洗顔石鹸の種類とかで」
「仲良いんですね」

呆れたように笑う帝人。普段言うほど喧嘩をしているわけではないが、今回は喧嘩を通り越して事件だ。

「チャットで臨也さんが言ってましたけど、家出してるんですよね」
「うん。」
「心配してましたよ。左手怪我してますし」
「新羅に診てもらったから心配無用」

本当に心配してくれているならメールの一通くらいくれてもいいはずだろう。
臨也が帝人を利用しようとしているのはもう分かっているので、何か変な事を吹き込まれてはいないか気になった。

「帝人くんは、臨也のことどう思ってる?」
「え…変ですけど、良い人だと思いますよ。」

最悪だ。

「折原臨也を、絶対に信用しちゃいけない。」

帝人は持っていた缶ジュースを落としそうになった。驚くのは当たり前で、臨也と同居している姫香に『信用するな』と言われたところで説得力のかけらもない。だが、同居しているからこそ言える事でもあるのだ。

「臨也に話しかけられたら叫ぶか逃げるかした方がいい。あ、逃げてもすぐに追いつかれるか…。とにかく、情報は私が売るから。臨也に関わると酷い目にあうよ」

そして帝人は少しの間考え込んでからゆっくりと頷いた。

「肝に命じておきます」

大切なこの日常を守りたい。そう強く思った姫香は、帝人の返答に力強く頷いた。

「そういえば、紀田君は?」

ナースに話しかけ回っているのかと思ったが、帝人の答えはそれほど芳しいものではなかった。

「病院の近くまで一緒に来てたんですけど、途中で『昔の仲間に呼ばれた』って言ってどこかに行ってしまいました」
「…そっか」

姫香が思うより速く事は進んでいた。
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