長編夢

□エピローグ
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数時間後
もう夜中だというのに、とある路地に姫香は佇んでいた。彼女が見下ろしているのは段ボールに入れられた一匹の子犬。捨てられたらしい。クゥ…と小さく鼻をならしている。

「ごめん、私は貴方を飼ってあげられない。」

乾いた声だった。表情からは何を思って孤独な犬に話しかけているのかわからない。

「大切な人と二度も別れるのは辛いでしょう。それは私も同じ」

捨てられたのなら、前に誰か飼い主がいたはずだ。大好きな主人(だったかどうかはわからないが)に、おそらく何か事情があって捨てられてしまったのだ。悲しく、寂しいだろう。しかし、姫香の目からは哀れみの情を一切感じ取ることができない。

「もうじき私は消えてしまうから、無責任に貴方を飼ってしまって、すぐにまた捨てるなんてことになったら申し訳ない。」

しゃがむことなく常に見下ろしている。犬の頭を撫でてやることもしない。無駄な期待をされては困るから。そのまま立ち去ろうとしたが、後ろから足音が聞こえた。一般人か敵か。どちらかわからないので上着の内ポケットに忍ばせた銃に手をやった。足音は近付いて来て、姫香の真後ろで止まった。
警戒心が一気に強くなると同時に、銃を引き抜きながら振り返ったが、その人物が味方であることを理解するほうが早く、銃は瞬時にしまった。

「静雄さん、お久しぶりです」

ニッコリと笑ってみせるが、静雄は何か腑に落ちないような表情をしていた。

「あ、ああ。お前、怪我でもしてたのか?電話も繋がんねぇしメールも返信ねぇし、心配してたんだぞ!また危ねぇことしてたのか!?」

言葉が次第に力強くなっていく。ああ、心配してくれていたのか、と安心しながら警戒したことを申し訳なく思った。

「連絡できなくてごめんなさい。仕事で埼玉に行っていたら携帯電話が使えなくなってしまったんです。すぐ帰る予定だったんですけど…」

どう説明しようか。銃で撃たれました!と言ってしまうとその後が面倒だ。犯人コロスと言い出して止まらなくなりそうで。

「そうか…仕事なら…しょうがねぇな。で、怪我はねぇのか?」
「大したことはないです」
「…誰にやられた?」

怪我をしたとはまだ一言も言っていないのにこれだ。

「私のちょっとした不注意ですよ。心配してくれてありがとうございます」
「そうか…」

姫香はいつも通りの笑顔だが、静雄の様子がおかしい。

「せっかく久しぶりに会えたのに、そんなにテンション低いとこっちが困りますよ。何かあったんですか?」
「いや…お前の方こそ、何かあったのか?」「え?」

おかしい。なぜそんな事を聞かれるのかわからない。何かあったと言えば、火事の現場を見て撃たれて気絶して匿ってもらったことくらいだ。それだけ。それだけしかこの短期間に変わったことは起きていない。大したことではない。
いつも通りの笑顔だと思っているのは姫香だけで、実際は不自然だった。今にも壊れてしまいそうな、脆い笑顔。

「消えるって、何だ…?」

どうやら犬に向けた言葉を聞かれていたらしい。こうなっては仕方がないので、一番不安に思っていることを全て聞いてしまおうと決心した。

「私には、帰らなくちゃいけない所があるんです」

変なことを言っているのはよくわかっている。

「でも、そこに一度帰ったらたぶんもうここには戻って来られないんです」

それ以上に、自分の存在が異常であることを自覚している。

「帰るべきでしょうか。普通の日常に戻るべきなんでしょうか」
「どういうことなんだ?」
「私は危険な立ち位置にいるんです。無意味な綱渡りをして、リタイアしてしまえば安全なのにずっと続けようとしているんです。ゴールなんて何処にもない。歩くか落ちるか、それだけ。やめれば普通の日常に、裏の世界とは一切関係ない、そんな世界に戻れるんです」
「なら…」

命を狙われたり、銃やナイフを持ち歩いたり…。この世界にいる限り危険な出来事には必ず巻き込まれる。周りの人を危険にさらしてしまう。

そういう物語だから。

「でも、そこに戻ってしまえば、もう貴方に会えなくなります」
「ッ…!」

自分勝手だ。怖くて選べないから、好きな人を苦しめて選ばせる。最低だ。自分のことなのに押し付けることを選んだ自分が。

「どうすればいいんですか?」

ずっと不安だった。いつか戻る時がくるのは、変わらない現実だ。もう、悩むのに疲れた。

――私がここにいる理由は

ずっと探して、見つけ出した答えは簡単なものだった。すぐそばにあるのに気が付かなかった。

――誰かに必要とされる限り、その人の側にいたいから

沈黙は続く。心の底で願った。俺の側にいろ、と一言だけ言ってほしい。そして、優しく抱きしめてほしい。
静雄は答えた。

「…お前が幸せになれるなら、その生き方のほうがいいかもしれねぇな」

「…」

静雄も静雄で、姫香に必要とされていたかっただけだが、その気持ちは届かない。お互いが試すようなことをしてすれ違う。もしこの数日間離れ離れになっていなければこうはならなかったかもしれないが、もう過去には戻れない。

――いつからこんなに我が儘になっちゃったんだろうな。

「そうですね。もう少し考えてみます。」

――誰かを好きになっちゃいけなかったのに。

「ごめんなさい、急に変なことを言って。」

――いつの間にか、大好きになってた。

「相談に乗ってくれて、ありがとうございました」

タイミングは選べない。誰かの気まぐれでトリップして、またその誰かの気まぐれで元に戻る。その誰かは自分か神か。
静雄はまだ、自分の間違いに気付かない。

「礼を言われることなんかしてねぇよ」

大事な相談だった。

「もう夜中だし、家まで送る」
「いいえ、すぐそこなので大丈夫です」
「そうか、気をつけろよ」
「はい。本当に、ありがとうございました」

グズグズしていたが、ようやく決心が付いた。

「静雄さんも、お気をつけて」

もう、非日常には疲れた。

「ああ、またな」
「はい、また」

これが最後になるかもしれない別れ。ニッコリと笑ってから静雄に背を向け、歩き出した。
角をまがると大粒の涙がこぼれて止まらなくなり姫香は路地にしゃがみ込んだが、その寂しげな姿に気づいたものは誰一人として存在しなかった。

――もういいよ……セルティ…
 

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