薄桜鬼短編

□I love you.
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※切










それは私がこの時代にいわゆるタイムトリップをしてしまってから半年ほどたったある日の夜中。

隊士に出くわすことがないようにと特別に夜遅くにお風呂を使わせてもらった私は、これまた特別に用意してもらっている自分の部屋に早足で向かっていた。

女人禁制のこの屯所内に女の私がいることを知っているのは新選組の幹部の数人しかいない。それを隠すための様々な特別措置は平隊士には幹部に取り入って贔屓してもらっているという印象しか与えず、その為私はひどく不自由で窮屈な生活を強いられていた。

今早足なのも平隊士に見つかって言いがかりをつけられるのを避ける為だ。後角を一つ曲がれば部屋に着く。そう思って足をさらに早めると、曲がった角の先で、私が女でありさらに未来から来たことを知っている数少ない人である原田さんが縁側に座ってお酒を飲んでいた。

「あ、原田さん…!」
「まことか…?」
「はい。」
「そうか、入浴の時間なんだったな。」
「はい。」

私に気づいてこちらを向いた原田さんは言葉少なに答える私に少しだけ表情を緩めて微笑とも苦笑ともつかない笑みをこぼした。とたんに自分の心臓が早鐘を打ち始めるのがわかって、それを悟られないようにと私も顔に同じように曖昧な笑みを浮かべる。

「どうだ、一杯で良いからつきあってくれねぇか?」

そう言って自分の隣の空間の床をとんとんと指でたたくその仕草と、月に照らされた端正な顔立ちに見惚れてしまいそうになりながら、私は小さく肯定の返事をして静かにそこに腰を下ろした。

すぐに差し出された杯を断って、何をするわけでもなく私はただ目の前の庭に視線をやったまま、気を抜けばこぼれてしまいそうな思考を自らの内に留める作業に全力を尽くす。

「巡察にでてたら新八と平助に置いてかれちまってさ。」

私が断ったお酒をそのまま口元に運びながらそう言った原田さんはこちらを向いてにやりと笑った。

「でもおかげでこんなかわいい子と酒が飲めるんだから、あいつらには感謝しなきゃな。」

ぽんぽんと頭をなでられて、さらに自分の鼓動が早くなるのを感じる。タイムトリップをしてしまったと気づいた初めの頃は不安や恐怖しか抱かなかったのにこの状況にすっかり自分が順応しているのを、さらにはこの生まれた時代すら違う相手に恋慕の気持ちまで抱いていることに私は内心苦笑した。

「おだてたって何もでませんよ。」
「おだててる?まさか、本心だよ。」
「またまたー。」

彼は私の気持ちなんてこれっぽっちも気づいてないのだろう。社交辞令のつもりのその一言に私の心臓がどれだけ高鳴るのかも、それに気づいた私がどれだけむなしい気持ちになるのかも知らないはずだ。

だけど私はこの気持ちを伝えるつもりはない。拒絶されるのが怖いというのが一番の理由なのだと思う。しかし平成生まれの私が江戸時代に存在しているという非現実的なこの現状や、これから彼らがたどるであろう未来を考えてしまえばこの恋は初めから叶うはずのないものなのだ。

「お前は本当にひねくれ者だな。」
「なんでですか?」
「ほめ言葉ぐらい素直に受けとりゃいいのに。」
「私が本当ににかわいかったらそうしますけどね。」
「ったく…未来の女ってのはみんなそんななのか?」
「いいえ、今も昔も同じですよ。ひねくれ者もいれば素直な子もいます。」
「そうか…確かにそうだな。」

そう言って遠くを見つめた原田さんの、月明かりだけが照らしだす横顔はまるで一枚の絵のように美しくて私は思わず目を伏せた。

カメラがあったら絶対写真を撮ってたのに。そう思ってもう一度だけその顔を見たくてちらりと原田さんの方を向くといつの間にかこっちを向いていた原田さんと目があって。あわてて顔をさらに上げて空に視線を移すと、都会に住んでいた私には想像もつかなかったくらいたくさんの星が夜空を彩っているのが見えた。

あまりのきれいさに私が小さく声をもらすと、原田さんも私の視線の先にあるものに気づいて同じように空を見上げる。

「今日は満月か。」

しかし同じように空を見上げた彼の目に映ったのはひときわ大きくて、特別に存在感のあるまん丸な月だった。この時代の人にとってこの星空は特別なものではないのだ。そんな小さな価値観の違いに自分の異質さを改めて気づかされる。

「きれいですね。」

そう言った私の脳裏にふと明治の文豪の有名な言葉が浮かんだ。

「月が、きれいですね。」

浮かんだまま口から吐き出してしまうと、心がいたずらが成功したときのような達成感とどうしようもなくあふれてくる慕情でいっぱいになって。

「…そうだな。」

少し戸惑ったような間があいて返ってきた原田さんの同意の言葉にほっとしたような寂しいような気持ちになった。これから何十年か後に活躍する文豪のことなど彼は知っているはずはない。そして知ることもできずに散っていくのだ。

「今日の月は特別きれいだ。」

しかしそんな私の思考は原田さんのその言葉と、たしかに月をほめているはずなのになぜかこちらに向けられている視線に気づいた瞬間に全て真っ白になってしまった。

「なっ…なんですか。」
「いや、なんでも。」
「…私、もう寝ますね。」

そう言って私が立ち上がると原田さんも飲みかけだったお酒を飲み干すと立ち上がった。

「俺もそろそろ寝るかな…酒つきあってくれてありがとな、おやすみ。」

ぽんと頭の上に置かれた手は私の小さな決意を簡単に壊してしまいそうなくらい温かくて、優しかった。本当はその手にすがりついて、離したくないのに。できることなら一生側にいて人生を共にしたいとまで思うのに。

彼らは彼らの未来について私に聞くことはない。それは私が未来から来たという私の話を信用していないからではなくて、たとえどんな未来であろうと自らで切り開くのだから聞いても仕方がないという強い意志であることを私は最近知った。

だから私も何も言わないと決めた。いつかまた私の生きていた時代に帰れるとしても、帰れずにこの時代で朽ちていくとしても、どちらにせよこの場所にいる間は私は歴史の授業で習ったうろ覚えの知識は封印することに決めたのだ。

だからこの慕情も一緒に封印することにする。万が一にも想いが叶ってしまったらきっと私は未来をねじ曲げてでもこの人と一緒にいられる道を探してしまうから。全てを受け入れた上で前を向けるほど私は強くないから。

そしてこれからもこの屯所に軟禁されたまま時代の移り変わりを、映画を見ている時みたいにストーリーに干渉することなくただ鑑賞する。そしてきっとこのままこの時代で彼らと一緒に散るのだろうと、何故か根拠もなくそう思った。

「おやすみなさい。」

私がそう言うと、原田さんは私の頭をもう一度軽く叩くと私が来た方向へと歩いていく。

「月が、きれいですね…。」

その背中か向こうの角に消えたのを見て私はもう一度だけつぶやいた。










→あとがき
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