薄桜鬼短編

□戀という字を分析すれば
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「労咳…なんでしょ?」

そうまことが呟いたのは少し時間ができたからと僕の部屋へとやってきて、堅く絞った手ぬぐいで僕の背中を拭いてくれているときだった。そんなの自分でやると断ったのに自分じゃ届かないでしょと半ば無理矢理着物をはがされ、なすがままにされていた僕の背中に向かって小さく呟かれた言葉に僕の頭にこの前の出来事がよぎる。

「誰から聞いたの?まさか千鶴ちゃんが、」
「やっぱり、そうなんだね。」

少しだけとり乱した僕に冷静にそう言ったまことを見てかまをかけられたのかと気づいたときにはもう遅い。松本先生と話していたのを千鶴ちゃんに聞かれたことを少し気にしすぎていたみたいだ。さっきの僕の発言はは自ら労咳であることを認めてしまったようなものだった。これはごまかしきれないと理解した僕に諦めにも似た感情が浮かぶ。

「…どうしてわかったの。」
「多少勉強してたからね。」

そう言ってまことは僕の背中を軽くたたく。

「はい、終わったよ。」
「…ありがと。」
「下もふいてあげよっか?」
「は?」
「あはは、冗談だよ!」

そうやって笑ったまことの声は明るく弾んでいてまるでいつも通りだったから僕は油断していたんだと思う。さすがに冗談がきついと文句を言おうと振り返ると、まことは僕が想像していたのと全く違う顔をしていた…簡単に言えば泣いていた。

「ちょ、どうしたの?」

まったく予想していなかった事態に慌てて聞くとまことは顔を僕の背中に押しつけてしまう。僕はどうしていいのかわからなくなって結局何もできず、しかし、寒くなって僕の意志とは関係なく身震いした。それに気づいたまことが小さく謝って僕の着物を着せなおしてくれる。そのまま僕を布団に寝かせると丁寧に掛け布団をかけて、額に一度冷水できれいに洗われた手ぬぐいを乗せた。そして布団のそばに座ったきり黙り込んでしまう。どれだけそうしていただろう。

「…あのさ。」
「なに?」

やっと言葉を発したまことの目に涙はもう浮かんでいなくて、答えた僕の声は少しかすれてしまっていた。

「もういいんじゃない?」
「何が?」
「きっと病気だったら土方さんも許してくれるだろうし、もういいでしょう?」
「どういう意味?」

まことが言いたいことを理解した僕の心は急速に冷えていく。

「新選組なんてやめて療養しろって意味。」
「僕はまだ戦えるよ。」

病人でないと言いたくて起きあがると咳が止まらなくなって結局背中をさすってもらうことになる。

「げほっ…ぐっ…ごほ…」

そんな自分が情けなくてその手を振り払うとまことの顔が歪んだ。また泣かせてしまうと、一瞬怯んだ僕の顔を覗き込んだまことのまっすぐな目が僕を射抜く。

「確かにあなたはまだ戦える。」

その唇から紡がれたのは僕を肯定する言葉。ならどうして療養を勧めたりするのかと口を開きかけた僕の言葉を遮って、まことはさらに言葉をつないだ。

「でも病気は確実に進行していくし、行き着く先には死しかない。」
「そんなのわかってる。でも僕は新選組の為に…近藤さんの為にこの命を使うって決めてるんだ。」

この言葉に嘘偽りは無い。死なんて怖くないのだ。僕が怖いのは近藤さんの役に立てなくなること、そして、

「…総司は本当に近藤さんが好きだね。」
「まあね。」

そして女のくせにこんな所までついてきたこの幼なじみを護れなくなることだ。それは一般的には愛だとか恋だとかそういった甘い言葉で表現されるものなのだという自覚はあった。そしてまことが少なからず僕と同じ気持ちを抱いてくれていることも知っていた。だけどこんな時代のこんな組織の中では何かまったく別のもののように思えて、僕はそれを心の奥底にしまうことに決めた。それでも時々こうやってふいに浮かび上がってくるこの感情を僕は結局殺すことができずにいる。

「僕は最期まで戦うよ。」

新選組の為に、近藤さんの為に、そして僕がいなくなった後も君が笑っていられる世界の為に。心の中でそう付け足す。最後のひとつは絶対誰にも言うつもりはないけど。

「そんなにぼろぼろなのに?」

そう呟いたまことはどこか遠い目をしていた。

「それでもまことより強い自信はあるよ。」
「平隊士の私より強くたって自慢にならないでしょ。」

そう言って目を伏せるまこと。

「私…少しでも長く総司といたいの。わがままだってわかってても総司がそんなの望んでないって知ってても、死なないで欲しい。残り少ない命を削る生き方じゃなくて必死につなぎ合わせて引き伸ばして、剣と散る道じゃなくて私と生きる道を選んで欲しいの。」

曖昧な距離を保ち続けてきた僕らの関係を壊すようなその言葉。うつむいたまま言いきったまことの目には涙ではなく決意に満ちた光がうかんでいて、僕の心は揺れた。だけど僕は首を横に振る。

「そんなこと…できないよ。」
「そっ…か、そうだよね。」

再びの沈黙。まことは黙ったまま僕の肩を軽く手で押して布団に戻るように言外に告げる。それに逆らわずに横になると、さっきと同じように丁寧に掛け布団をかけられ、起き上がった時に落としてしまった手ぬぐいが濯がれて額の上に乗せられた。

「またあとで夕飯持って来るね。」

そう言って立ちあがったまことの顔に表情はなくて。襖の向こうに消えた影を追いかけることすらできないほど衰弱していることが今はありがたく感じた。きっと身体が動くなら追いかけてしまうだろうから。追いかけて、捕まえて、みっともなく縋ってしまうと思うから。


戀という字を分析すれば
いとしいとしと言う心



ふいに病気とは全く関係なく胸のあたりが疼いた。ああそうか、心が痛んでいるんだと気づいたときにはもうまことが乗せてくれた額の手ぬぐいはぬるくなっていて、日がだいぶ傾いたのか部屋の中はすっかり薄暗くなっていた。こんな病気にかかっていなければ、そんな思考に僕は苦笑する。死病であろうと健康体であろうと僕は新選組の一番組組長。もとより色恋に割く時間などないしそのつもりもないのだ。

だからきっと肺が痛んだのを錯覚しただけなんだと、僕はこの先も新選組の剣であり続けるんだと自分に言い聞かせて、早く隊務に戻るためにもまずは体調を少しでもよくするために夕飯までのあと半刻、眠ることにする。閉じた瞼の裏に浮かんだまことの泣き顔にまた少しだけ胸が痛んだ。









2011.12.31
企画サイト艶歌提出作品

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