◆NOVEL◆

□【甘い罠】
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いつもの日常に現れた非日常


胸をざわつく感情に名前をつけることはできない


そんな感情、俺はまだ知らない

「なぁ、飲みに行かねえ?」
「…あ?一人で行きゃ良いだろ」

夕方には辿り着くはずだったこの街で、やっと宿に着いたのは既に月が低い位置に出始めた頃だった。
刺客の多さに多少手こずった結果だ。
街に着いたのが遅い時間ということもあって、取れた部屋は二つ。
「無難に喫煙組で分けましょうか」と有無を言わせない目で言い放った八戒に逆らう強者はいない。


荷物をベッドサイドに置けば鏡を見ながら髪の毛を一つに結い軽く身支度を整える。

「…疲れてんだ。休ませろ」
「つれねーヤツー…。昨日の街で儲けたから俺の奢りよ?」

ちらり、横目で三蔵を伺う。
唇からフィルターを離してぎゅっと灰皿に押し付ける表情はやっぱり不機嫌そうだけど…。

返ってきた声色はほんの少し優しくて。

「…不味かったらすぐに帰る」
「…リョーカイ」

騒がしい通りを一本中に入れば安っぽい居酒屋から高級感あふれるバーが建ち並ぶ。
そんな中、間接照明で看板が照らされた木造のバーを見つけた。

「三蔵、ここで良い?」
「…好きにしろ」

ドアを開けると店内にベルが鳴り響き、客の数も少なく落ち着いた雰囲気。
店内は薄暗いながらもオレンジ色の暖かい照明で照らされていて控え目な音でジャズなんかが流れてたりして。
ここならゆっくり飲めそうだ。

カウンターの一番奥の席に腰を降ろしまずは煙草に火を着け一息吐くとグラスを拭きながらマスターが近くに歩み寄って来るのが視界の端に見えた。

「ウィスキーと…三蔵なににする?」
「同じで構わん」
「ん。マスター、ウィスキーのロックふたつね」

かりこまりました、と一礼すれば早速後ろの棚からボトルを手に取りグラスに氷を入れて琥珀色の液体が注がれる。
マドラーで混ぜればコースターの上に静かに置かれた。

「んじゃ、カンパイ」

一方的に三蔵のグラスにぶつけ乾杯をし口に含む。
三蔵もグラスに口をつける。

「ど?」
「…不味くはねぇよ」
「素直じゃねー」

三蔵なりの表現なんだろう。
素直すぎても嫌だけど。
こうして煙草を吸ってくだらねえ話をしながら飲むのも悪くねえ。
寧ろぎゃあぎゃあ五月蝿い悟空や毒舌の八戒が居ないだけ随分とリラックスできるもんだ。

もうどれくらいの時間飲んだだろう…。
金色の睫毛に縁取られた三蔵の瞳は伏せ目がちにグラスの溶けかけた氷を見詰め、頬はほんのり紅く染まっている。



「も、帰る?」
「…これ飲んだら…帰る…」
「大丈夫?」
「…ああ」

コイツ絶対大丈夫じゃねえ。
明日二日酔いで朝出発できねぇぞとか、まだ風呂入ってねぇから帰ったらまず風呂だなとか、でも三蔵を先に入れてやろうとか、三蔵はまだ煙草あるのだろうかとか…。
…なんだろう、俺がなにかおかしい。


最後の一口を喉に流し込んで会計をしドアを開けて外に出る、はずが。

グイッ…!!

「ぅわっ!三蔵っ!?」

僅かな段差に躓いて俺の上着を咄嗟に掴んだらしい三蔵がフラフラになりながら凭れかかってくる。

「おい、大丈夫かよ…?」


ゆっくりと上げた顔を見れば酔って潤んだ瞳とぶつかり


「…すまん、飲み過ぎたみてぇだ…」


微かに吐く吐息は艶っぽくて


「…肩、貸せ」


肩に回った腕は熱くて、皮膚の薄いところから伝わる鼓動は激しくて







――なんだ

この気持ちは一体なんだ

胸の中をぎゅっと掴まれたような感覚になるのはなんだ

ただ見ているだけじゃ何かが足りねえの

目が離せなくなって…



それから

それから…



触れた三蔵の体温が甘く痺れるように脳内を刺激する




俺は戸惑いながら三蔵を支えて宿まで戻った。
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