テニプリ
□対極者の仁義無き駆け引き
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「謙也ー、早いよ謙也ー」
「早よないわ!自分が遅いっちゅー話や!」
「……そうかな?」
こてんと小首を傾げる生意気なちっこい後輩菜摘を振り返り、俺はいつもより遅めに差し出す足の指先を見つめた。どうして俺が、などと心底悪態を吐きながら進むスピードは俺の固有名詞であるスピードスターには程遠いものだ。
今日は練習が遅くなったからだとかで、白石が部長特権とか言って俺に菜摘を送れだのなんだの言い出して今に至る。
電話ぐらいせんか、どあほ。え、しないよ。
先ほどから繰り返し交わした会話は、夜の闇夜に溶け込む。
「謙也いつもより遅いね」
「……そらぁ、ドチビの歩幅に合わせなならんからな」
「ドチビだとぅ!?」
キーッとすぐ俺に噛みついてくる菜摘を片手伸ばし牽制する。ほんまドチビやんなぁ。呟いた言葉は菜摘の耳に届かず空回りする。
「……そういえば、菜摘。一つええか」
「うん?」
「お前、今日転んどったやろ」
廊下で見たんや。その言葉に菜摘は固まる。羞恥心からか、はたまた隠し事がバレたからか、顔は熟れたトマトのように赤みを帯びていた。
け、謙也それ白石先輩に言ってない?千歳先輩にも?アホな財前にも?金ちゃんにも?
……けったいなことを聞く。
言ったってメリットないやろ。そう意思表示を込め頷けば、菜摘は胸を撫で下ろす。なんや、そんな恥ずかしかったんか。俺の言葉に菜摘は視線を泳がせ、しばらくして俺を追い抜かん勢いで早足になる。
「謙也って脳みその回転だけはスピードスターじゃないんだ。ばぁーか」
「なんやと!」
「褒めてるの!……あ、売り言葉なら近所迷惑になるからなーにも言ってほしくないな」
ギリギリと歯ぎしりの音が聞こえるのではないかと疑問を抱くほど、俺は恨めしげに菜摘を後ろ姿を見つめる。
なぜに俺は後輩に貶されなきゃならんのや。大体何がいかんのか。見つめる小さな背中に違和感を抱いたのは、それから一分後。ああ、そういうことか。湧き上がる衝動は完全に呆れと苛立ちを孕ませた溜め息として現れた。
「おい、菜摘」
振り返る菜摘の肩をいつもより優しく掴み、空いている方の手で俺の背中を指差す。さすがの菜摘も俺の言いたいことがわかったのか、ちょっとだけ気まずげに俺の背中と顔を交互に見やる。
「謙也、」
「乗らんと、ちくるぞ」
「……鬼」
「鬼やないで。まあ、気づいたんが俺でよかったな」
俺は身体を屈ませ菜摘に背中を向ける。失礼しまーす…。しおらしく背中に乗る菜摘は、想像以上に軽かった。
「足捻ったんならそう言えや、どあほ」
「白石先輩に言ったら…、部活させてもらえないって思って……」
「当たり前や!」
だから今日は財前と対戦した際、いつもよりキレがなかったのか。
おかしいっスわ、なんて財前が言っていたが、対戦したんやろ、気付かなんだってこっちが可笑しいわ。
「これからは、心配さすなよ」
「うっ、謙也が先輩みたい……」
「先輩や!」
あーもういい。なんやお前のおとんになった気分や。家どこや、さっさと言わんと白石に言う。
菜摘はえっとと左右を見返し、とある一角を指差す。
「私の下宿先はね、あの曲がり角のアパートだよ」
「……下宿先?」
「あ、うん。大家のおばちゃんが大爺と知り合いで、中学生で女の子ってこともあるからタダで部屋を貸してもらって、」
「いや待ち。……つーことは、や」
「え?一人暮らしだけど」
ほんまおとんの気分や。白石、俺やっぱこいつのこと心配でたまらんわ。訝しげな眼差しは、灯りのない部屋へと導かれた。
――――
どうこう言いつつも後輩が心配な謙也ってよくないっすか。
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