お医者様と魏軍の皆様。
□六、お医者様と隻眼その2
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夏候惇と共に裏山へ登った翆榔は、到着するなり薬草を探して回った。せっせとお目当ての物を探しあて、背負った駕籠に入れていく彼女の後を、夏候惇もまたついていく。端から見れば、翆榔のお守をしているようにも捉えられるだろう。夏候淵がこの光景を見たら、さぞかし面白がった筈だ、と夏候惇は思う。
(……よくもまぁ、あんなに手際よく見つけられるものだ)
翆榔の手元を見下ろしながら、彼は思った。医者だから、薬草に詳しいと言ってしまえばそれまでだが、こんなに簡単に見つかるものだろうか。様々な草が入っている駕籠を覗きこみながら、彼は思う。
翆榔は後ろにいる夏候惇をちらっと見遣った。視線を向けられたことに、彼は少し眉を上げてみせる。
「なんだ」
「面倒じゃありませんか?こんな小娘の手伝いなんて」
くるりと振り向いて後ろ向きに歩きながら、翆榔は尋ねた。きょとんとした表情から、皮肉などではなく、ただの疑問なのだと理解した夏候惇は、フッと鼻で笑う。
「面倒ならば始めから同行せん」
「そうですか、ならいいんですけど……あいて。」
「……何をしている」
「…枝が頭に……あれ、髪の毛に絡まった?」
後ろ向きに歩いていたことが原因で、後頭部にぶつかった木の枝が翆榔の髪に絡まる。ムッとした顔で手を伸ばし、枝と格闘する彼女は、まるで子供のようだった。一生懸命手を動かして解こうとするが上手くいかないらしい。益々苛々しだした翆榔に、夏候惇は溜息をついて歩み寄る。
「取れない、なんでだろ」
「分かったから落ち着け」
「嫌です。悔しいから頑張ります」
「諦めの悪い娘だなお前は」
「まだです、まだ負けていません!」
「うるさいから黙れ」
負けず嫌いなのはいいことだ、相手が木の枝でなければ。
悔しいのか、唸りながらひたすら手を動かしている彼女に構わず、夏候惇はさっさと枝と髪を放すことに成功した。自分では出来なかったのに、夏候惇が出来たことに翆榔は、ムッとした表情で、御礼を言った。
(……そんなに悔しいことか?)
このまま絡まっていたら痛かっただろうに。自分の力で出来ないことがそんなに悔しいのだろうか。例えば、相手と剣技を競い、負けたのなら悔しいのも分かる。でも、今のは別に助けてもらっても良いのではないだろうか。内心呆れながら翆榔を見つめていると、彼女は不機嫌そうなまま、溜息をついた。
「…もう一度引っ掛けてみようかな…」
「やめんか馬鹿者!」
「えー…」
つまんない、とぼやいた小娘に、夏候惇は額に手を当てて項垂れた。
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その後も順調に薬草採集をすすめた二人は、駕籠も丁度良い重さになったので帰ることにした。荷物持ちにされることをよく思っていなかった夏候惇だったが、やはり女に大きな駕籠を持たせることは気が引けたのだろう。結局彼が担ぐことになった。
手ぶらなのが嬉しいのか、翆榔はご満悦だった。両手をぶらぶらさせながら軽い足取りで空を見上げている。
「虎も賊もいませんねぇ…残念」
「阿呆。いなくて良かっただろう。出会ったらお前のような女はひとたまりもない」
「そうなんですけどねぇ…夏候惇殿の雄姿が見られたら面白いのになぁって」
「俺を見せものにするな」
「見せものなんて言ってないのに…」
ムッとした様子でぶつぶつ言う娘に夏候惇は何度目かの溜息を吐く。彼女は見るからに普通の娘だった。ただ人より医の知識があって、心のままに振る舞っている。そんな娘だ。
(……間者というのは考え過ぎか?)
足取り軽い翆榔の後ろ姿を見ながら、彼は考える。夏候惇にも勘というものがある。会話をしてみれば、案外その人間が嘘を付いているのかそうでないのかが分かるのだ。彼女の話は嘘偽りは感じられない。正直過ぎるほど、己の心のままに生きている。そんな印象だった。