ふわり、時折ぴしゃり。

□寝ていて転んだ例はないのです。
1ページ/2ページ





回廊を歩いていく黄崋は山のような巻子を抱えていた。これらは、全て司馬昭の元に届ける巻子である。

先日、いつものように雑務が溜まった司馬昭に泣きつかれた為に山のような仕事を片付ける羽目になった黄崋。しかし元々仕事が好きな黄崋は嫌な顔一つせずに笑顔で応じた。今回はその仕事を終えたので、届けようとしている最中なのである。

長い回廊を進み、階段を登り始めた黄崋は、ふと立ち止まる。笛の音が聞こえた気がしたからだ。耳を澄ませると聞き覚えのある音だった。


(…これは、元姫様の音)


最近おしえてもらっている為か、分かるらしい。元姫の音だと理解した彼女は、自分も早く笛を吹きたいと強く思う。…が、仕事を終わらせなければ出来ない。今日はこの後も写しがあるから、難しいかもしれない。少々残念に思いながらも、今日やると決めたことは今日中に終わらせようと考え、彼女はまた一歩足を踏み出した。


途端、彼女の身体がぐらりと傾く。踏み外した、と分かった時には、彼女の身体は後ろによろけてしまっていた。


「―…あ、」


落ちる、と黄崋が理解した時だった。何者かが後ろから手を差し出し、抱きとめる。おや、と彼女が振り向くとそこには仮面を付けた男―司馬師がいた。

黄崋はぱちぱちと瞬きをすると、有難うございます、と穏やかに微笑んだ。司馬師は眉間に皺を寄せる。無言のまま、彼女を階段にしっかり立たせてやると、足元に転がっている巻子を拾う。黄崋もひとまず巻子を拾い集めると、ようやく彼は口を開いた。


「…文鴦の義姉だな?確か、黄崋と言ったか」

「はい。司馬師様、有難うございます」

「礼など良い。物を持っている時は足元をよく見るよう心掛けろ」

「申し訳ありません、気をつけます」

「…何故、立ち止まった?」

「え?」

「途中、何処かを見ていただろう。何か気になることでもあったのか」


司馬師が尋ねると、彼女はにこにこと笑う。


「元姫様の笛の音が聞こえましたから…ほら、今も」

「ほう…。笛の音で誰の者かが分かるのか」

「元姫様は私の笛の先生です。よく耳にしていますから、あの方の音だけはよく覚えています」


笛の音が聞こえる方を眺めている黄崋は楽しそうだ。司馬師の前だというのに、和やかな雰囲気を崩すことはない。城内の者は司馬師が真面目で厳しい人柄と心得ている為、彼と接する時も緊張することが多い。だが彼女は違うようだ。司馬師はなるほど、と思う。司馬昭や賈充から聞いた話の通り、黄崋は誰に対してもおっとりしているらしい。

だが。


「…笛の音に惹かれるのは結構だが、それで怪我をしたらどうするつもりだ」


司馬師は黄崋を軽く睨みつける。まったくもって不注意極まりない、と彼は娘を叱った





次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ