吉継と童姫

□大谷吉継、童姫を守る
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その日、伊古奈は兄と共に登城していた。
何故、彼女が城にやって来ることになったのか。それは秀吉とねねが勝成の妹を見たがったからである。主の前でも恐縮することなく妹の話をする勝成はいつも愉快そうだった。そんなに溺愛する妹ならば一目見てみたい。そういうわけで、伊古奈は城に連れてこられた。

薄化粧をさせ、失礼でない程度に着飾らせた伊古奈は常よりも大人っぽい。しかし持ち前の童振りは健在で、丁寧な言葉を遣いながらもそれが滲み出ていた。
叱られるかと思えば、秀吉夫妻はまったく気にしなかった。寧ろ、素直で可愛い娘だと微笑んだ。そしてそんな夫妻に、伊古奈も嬉しそうに笑うのだった。

その後、伊古奈は勝成の用事が終わるまで城内で待つことになった。庭を見たいと申し出た伊古奈に頷いたねねは、彼女を庭まで連れてきた。茶と菓子を傍に置き、さあ話をしようと思ったところ、ねねはやってきた侍女に何事かを告げられ、眉を吊り上げた。聞けば、子飼いの三成、清正、正則が喧嘩を始めたのだという。

「もう、仕方のない子達だね!…伊古奈、ごめんね。此処でちょっとだけ待ってて」

お菓子は食べてていいからね。ねねはそれだけ言うと風のように駆けて行ってしまった。まるで忍びの如く速い動きに伊古奈は目を丸くするが、暫くして我に返り、とりあえず差し出された茶を手に取った。


−−−−

吉継は溜息を吐いていた。彼は今、城内の廊下に立っている。目の前にはお馴染みの子飼いである三成、清正、正則の三人がいる。彼らは先程までただの会話をしていた。それなのに、どういうわけか喧嘩に発展してしまった。大抵、こういう時は吉継が間に入る羽目になる。いつものことだから構わないといえばそうだが、白熱している言い合いに割り込むのが少々億劫に思えた。

(いっそ采配で頭を叩いてやろうか)

面倒に思った彼が采配を軽く持ち直す。その時、一陣の風が吹いた。
ああ、と吉継は思う。成程、やはり自分は止めずにいられる流れだったか。

「こら!三人とも何やってんの!!」

怒号が聞こえた。良く通る声に三人はぴたりと言い合いを止める。眉を吊り上げているのはねねだった。ねねはつかつかと歩み寄り、三人を叱り始める。すると、誰が悪いとか悪くないとか、そんな話になりまた再燃しそうになった。だが、ねねはそんなことを許しはしない。再び、こら!と言うなり、お馴染みの言葉を言い放つ。

「そんなに喧嘩ばっかりしてるならお説教だよ!三人ともいらっしゃい!」

「げえっ!おねね様それは勘弁…」

「おねね様、生憎仕事が溜まっています。お説教は後にしていただきたい」

「おいお前ら、おねね様に向かって何を…!」

「問答無用!皆まとめて来なさい!…あ、吉継はいいよ。また巻き込まれちゃったんでしょう?」

「…そのようです」

「うんうん。そうだ、ついでだけど伊古奈の相手を頼んでもいい?」

にっこり笑うねねに吉継は、はた、と首を傾げた。ここは城内。屋敷か町にしかいない伊古奈が此処にいるわけがないのでは。名が聞こえたのだろう。ねねの向こうで三成が目を見開いているのが見える。
何故あいつが、と言いたげにしている様子に吉継は同感した。彼はねねと静かに目を合わせる。

「何故、伊古奈が城へ?」

「勝成の妹だっていうから一度会ってみたくて。ほら、あの子ったら妹のこと大好きでしょう?だからあたしもうちの人も気になっちゃって」

実際に会ってみたら本当に可愛くていい子だったよ、とねねは楽しそうに言った。
吉継は、勝成の満面の笑みが脳裏に浮かんだ。内心で仕方のない男だなと思いながら、ねねに相槌を打つ。ねねは頷き返すと、脱走を試みようとしている三成と正則の袖を引っ掴んでこう言った。

「それでね、勝成の仕事が終わるまであたしが相手しようと思ってたんだけど、こんなことになっちゃってるでしょう。庭にいるから、暫く相手をしてあげてよ」

仲良しなんでしょ?

にっこり笑ったねねはそのまま三人を捕まえて廊下をずんずん歩いていった。一人残された吉継はわいわい騒いでいる四人を見送ると、ひとまず庭に行こうと足を向けた。

城に伊古奈がいるなど、なんだか妙な気分になる。無邪気で素直な彼女がこんな威厳のある場所に来て大丈夫なのだろうか。吉継はそう考えて、いや、と思い直す。威厳があろうがなかろうが、伊古奈はそんなことで恐縮する人ではない筈だ。そんなに気にしいなら、もっと大人しいだろうから。吉継は内心苦笑すると庭に足を踏み入れる。

「勝成殿の妹君だとか。童姫と呼ばれているが、いやはや愛らしい…!」

ふいに話声が聞こえた。吉継が顔を向けると、庭先の真ん中に伊古奈と男が立っていた。男の方は顔に覚えがない。きっと豊臣方の人間ではないのだろう、と思い様子を窺っていると、男は伊古奈の手を取ってしきりに話しかけていた。きょとんとしている彼女の仕草からは、男の意図をまるで汲み取っていないことが伝わって来る。それなのに、男はそんな仕草すら愛らしいと言う始末である。
吉継は思わず眉を寄せた。あれは確実に伊古奈を口説きにかかっている。だが、伊古奈は状況をよく分かっていないから逃げる素振りすら見せていない。



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