三國短編

□于禁と人見知り姫君と李典
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年端もいかない曹操の娘は大層な人見知りである。加えて、感受性が強いために嬉しくても緊張しても怖くても涙が出てしまう。初対面の相手と話す時はそれが顕著に表れ、曹操は愛娘のことをとても案じていた。
しかしながらいつまでも人見知りのままではいくまい。心を鬼にした曹操はある日姫に、諸将に竹簡を届けるように言った。父の言葉は絶対である。拒否することが出来ない姫は泣く泣く了承した。そして、初対面である于禁を前に大泣きしながらも、于禁の宥めもあり、なんとか心を落ち着かせて自室を出たのであった。

于禁は自分の後ろをついてくる姫をちらと見遣る。姫は于禁と違い、何も持っていない。しかし歩幅が違うからか、些か足が遅い。こういう時、部下や同期ならばすぐさま遅いと口にするが、相手は主君の愛娘である。真正面から物言うもわけにはいかない。本来ならば仕えるべき自分が姫の後ろに控えるべきなのだ。それを考えると尚のこと言葉は出てこないし、第一、姫は女性なのだ。こういう場合、男が気遣ってやらねばならないだろう。
于禁は足を遅める。すると、姫はようやく速足をやめても追いつけるようになった。姫は辺りを怖々覗いつつも于禁に視線を戻す。すると、目が合うなり思わず俯いた。

(やはりまだ怖がられているな…)

先程話をしたとはいえ、まだまだ慣れるまでには時が必要なようだ。内心で頭を抱えた于禁だったが、それを億尾にも出さずに持っていた小さな竹簡を一つ、姫に手渡す。彼女は戸惑うように于禁と、竹簡とを見ていたが、やがておずおずと手を出し、竹簡を持った。

「あ、あの…この竹簡は…」

小さな声で尋ねる姫に、于禁は出来るだけ怯えさせないような声色を作る。

「今から向かうのは、李典という将のところです。彼は気安い性格をしております故、ご安心を」

「り、李典様…ですか?」

「はい。ご存じでおられますか」

「…父から、よく聞きます。」

緊張しつつもこくりと頷いたので、于禁はそうですかと頷き返す。李典を最初に選んだのは姫に慣れてもらうためである。李典は厳しい物言いをしないし面倒見も良い。親しみやすい性格故、姫も少しは落ち着くだろうと考えたからだ。最初から挫折されても困る。曹操から頼まれた以上、なんとしてでも姫に人見知りを克服、あるいは緩和してもらわねばならない。忠義溢れる于禁は早歩きになりそうな自分に注意しながら、姫を李典の元へと連れて行った。

「李典」

李典は鍛錬場にいた。配下の者達と鍛錬に勤しんでいた彼は于禁に呼ばれるなり、ぎくりとした様子をみせた。厳しい于禁に何か叱られると思ったからだろう。彼は苦笑いを浮かべるなり、後ろ髪を掻きながらやってきた。

「于禁殿…えーと、俺、何かやらかしました?」

「別に何もない。用があったから呼んだまでだ」

于禁は一つ頷くと、後ろを振り返る。そして、姫の姿がないことに気がついた。
もしや、知らぬ間に置いてきたのか。
しまった、と内心思った彼だったが、注意深く周囲を探ると、少し離れた柱の影に隠れて様子を窺っている姫を発見する。やはり初対面故、李典を怖がっているらしい。眉を下げて柱にへばりついている彼女に、于禁は小さく溜息を吐いた。


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