四国四兄弟
□Turn out
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最初からいい人だなんて、思っていなかった。
いかにも若い教師ー端的に言えば軽そうな外見は好きになれなかったし、クラスのいわゆるリーダー格の女の子にやたらと人気だったり、愛媛姉さんとなぜか噂になっていたりするところも、気に障った。
要は第一印象だけで判断していたわけだ。どうせ直接関わることなんかないだろうと割り切っていたから、そんな風に思えたのかもしれない。
「お前が香川か?」
だから、初めて広島先生に話しかけられたときは、正直かなり驚いた。
少し前に赴任してきた保健医といい、私の通っている学校は若い教師(特に男)を優遇しているような気がする。
それに対する批判がなかったわけではないはずだが、それ以上に女子生徒の熱狂的な支持があった。
果たしてこの学校の偉いさんが何を目的にこうしたことをしているのか、私には推測することしかできない。
ただ、若い教師がいることで、必然的に女子生徒の勉強へのモチベーションが上がっているのは事実だった。
「アホらし」
クラスの目立つメンバーの一人である大阪さんは、一言で切って捨てていた。
「イケメン先生で学力上がるなら、生徒は苦労せんやろ」
それは正論だった。
男子生徒からも「イケメン爆発しろ」「イケメン教師がいるせいで彼女にフラれた」などの文句が出ていたし(大体は逆恨みとかだけど)、学校側もさすがにまずいと思ったのか、職員室にはまともな用事がない限り立ち入り禁止になった。
そんな経緯があって、教師も気軽に生徒へ何か頼むことができなくなったわけだ。
では、教師が本当に何かしら困ったときはどうするか?
それは、あまり効率的ではないが、学級委員などの委員に頼むしかない。
なんとなく引き受けた学級委員という役職が、こんなところで利用されるとは、もちろん私も予想だにしていなかった。
「すまん。ちょっと、プリント刷り間違ったんじゃ。間違った分を事務室まで運んでもらえんか?」
今まで手伝ってきた中でも、ダントツに面倒くさい部類のことを、広島先生は本当に申し訳なさそうに頼んできた。
「刷り間違い…?」
「200枚のつもりが500枚刷ってもうてのぉ」
刷り間違ったとかいうレベルじゃない気もするけど、そこは「そうですか」と流しておいた。
「他の委員には頼まないんですか?」
てっきり私以外の委員も呼んでいるのかと思ったら、そんなことはないらしく、「そこまで大した量でもないから」と言っていた。
それなら男子生徒とか、気心の知れた生徒に頼んだ方がいいように思える。
「それに、一回くらい話してみたかったけぇ」
「はい?」
「賢くて、手伝いもきっちりする優秀な生徒、って評判じゃから」
誉めすぎだ。勉強は努力と比例するから真面目にやるだけだし、頼みを聞くのも、好きでやっていることでしかない。
「…姉さんにいろいろ聞かされたんですね」
広島先生と仲がいい姉さんのことだ、聞かれてもいない身内話をこの先生に話したんだろう。
「確かに愛媛から聞いたけど、今日頼んだんはワシの個人的な興味じゃ」
「そう、……ですか」
意外といえば意外だった。
一度も話したこともなければ、授業を受けたこともないような先生が、私のことを知っていて、なおかつ直々に手伝いに指名してくるなんて。
男の先生と二人きりでも嫌な気持ちは全くなくて、不思議と居心地は良かった。
「疲れたのぅ。職員室でコーヒーでも飲まんか?」
事務室にプリントを運び終わってから、先生は何気なく提案してきた。
目の前に「用のない生徒の立ち入りを禁ずる」と書かれた大きい貼り紙は、残念ながら広島先生の視界には一切入らなかったらしい。
「生徒は入室禁止ですから、私は入れませんよ」
「あー…じゃあ、ちょっと待っててくれんか。30秒くらい」
そう言ってからすぐに職員室に入った先生は、宣言した30秒より早く戻ってきた。
私に缶コーヒーを渡して、「お礼じゃ」とにこにこ笑う姿は、今まで噂で聞いた「広島先生」とは、全然違った。
噂よりもずっと、優しい、先生。
「ありがとうございます」
何となく、飲むのがもったいないなあ、なんて思いつつ、先生から缶コーヒーを受け取った。
「お疲れさん」
「お疲れ様でした」
挨拶代わりに言葉を交わしてから、私は振り返らずに教室へと向かった。