四国四兄弟

□邂逅
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 完全な偶然というものは存在しない。
 物事が起こる原因は必ずどこかにある。それに個人の意思が絡んでいたかどうかは断定できなくても、外的要因ならいくらでも挙げることができる、と俺は思う。

 例えば食堂の日替わりメニューが俺の好物だった場合―これを偶然と片付けるのは、あまりにも単純すぎる。
 なぜ今日の日替わりメニューは俺の好物なのか? そう考えると答えづらい点が多いが、逆に考えてみればいい。
 なぜ俺の好物は今日の日替わりメニューなのか、と。
 名前の響きが好きだからなのか、本当にその味が好きだからなのか、それともただ単に好きだと錯覚していただけだったのか。

 もし錯覚していたのだとしたら、それは一体何の影響を受けたのか。
そのネーミング、食堂からただよってくる香り、さりげなく置かれているメニューのサンプル。
 それらのどれかかもしれないし、そうではない別のものかもしれない。つまりはそういうことだ。

 物事の要因には実に様々なものがあり、さらにそれの要因が無限に存在する。考え始めたらきりがないほどに。俺と彼女の出会いに関しても、同じことが言えるはずだ。



 音楽室に足を運んだのは、聞こえてきたピアノの音に興味がわいたから。そこまで複雑な曲ではないのに、なぜか耳に残る曲だった。
 流れるように、軽やかに。その旋律は美しかった。「聞く」と言うよりは、「追いかける」と言った方が正しい。
 ふわふわと、どこかへ消えてしまいそうな音を、無意識に俺はつかまえようとしていた。

 扉を開けた瞬間、演奏は止んだ。他者を拒み、圧倒する沈黙。構わずピアノの方に近づくと、演奏していたらしい女子生徒が突然席を立った。

「な、何なん…ですか」

 どうやら、俺が演奏を注意しに来たと勘違いされたらしい。誤解だが、それを一から説明するのも面倒だった。鍵盤に触れると、澄んだ音が鳴る。
 でも、それは俺の求めていた音ではなかった。

「…さっきの演奏」
「!」

 びくりと身構える彼女に、できる限り優しい声音で言う。

「続き、聞かせてくれんか」

 彼女は、何を言われたのかわからないとでも言いたげに俺を見返した。
 それ以上の言葉を伝える気にもならずに、ただ右手で単調に鍵盤を叩く。ド、レ、ミ。虚しく響いては消えていく音に、じれったくなったのは彼女の方らしい。
 あきらめたように再び椅子に座って、ゆっくりと細い指を鍵盤に近づける。俺はその様子を、息すら止まりそうな沈黙の中で見ていた。ひかえめに鳴らされた音は、さっきとは違うものだった。
 彼女はそれに気づいているのかいないのか、一心にピアノと向き合っている。

 ためらいがちに鳴る音が、次第に速く、強くなっていく。

「どうして、」

 音と音の合間、小さく彼女が呟いた声が耳に残った。自分に言い聞かせるように何度も何度も、どうして、どうして、どうして。
 その声さえ旋律の中へ綺麗に入っているのだから、もはや俺が答える隙間はどこにもない。彼女の指先が迷うことはなく、永遠を錯覚させる。
 ここが放課後の音楽室だということも、教師に見つかったら怒られるのは確実なことも、何もかもを忘れるようなその瞬間、俺は一つ悟る。

 完全な偶然というものは存在しない。

 俺がここに来たことにも、俺の興味をひいたピアノの弾き手が目の前の女子生徒だったことも、きっと何か必ず外的要因がある。
 それなら、彼女の名前も知らないのに、こうしてずっとこの音を聞いていたいと、ピアノを弾き続ける彼女の姿を見ていたいと、そう思う感情も、偶然の産物ではないということになる。
 一体何が原因で、そう思うようになったのだろうか。あの音を聞いて数分しか経っていない、今までに。


 彼女が不意に俺を見た。演奏し続ける手を止めず、何かを見透かすような、まっすぐした目で。急かされたような気がした。彼女の「どうして」に、答えることを。
 それは小さな予感でしかなかった。なのに、頭から離れることはない。いつだったか、広島にからかわれたことがある。
 「『 』してる山口は想像できんのう」と。俺自身もそう思っていた。つい数分前までは。

「恋、か」

 既に俺から視線を外して演奏に集中している彼女は、その感情を知っているのだろうか。
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