四国四兄弟

□保健室と紅茶と恋。
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 別れた彼氏への愚痴を泣きながら言い続けるクラスメイトを見て、恋愛というのはそんなに呆気なく終わってしまうものなのか、と諦め半分に思っていた。
 以前の彼女はどう見ても幸せそうだった。それが今はこうだ。
 彼氏が浮気したとか、構ってくれなくなったとか、他人からしたら実に些細なことで別れてしまったらしい。

「ひどい彼氏やな」

 そう呟く大阪に、私は「そうやね」としか言えなかった。少しもそんなこと思ってないのに。



 浮ついた話が嫌いなわけじゃない。
 人並みに少女漫画や少女小説を読んで、憧れる気持ちだってある。でも理想と現実が交わることはなく、ただただ平凡な日々が過ぎていくだけだった。
 その平凡な日々は穏やかで、物足りなく思う日はあっても、とりたてて不満はなかった。
 言いかえれば、自分にとっての「平凡」は、「何も起こらない」ことと同義だったのかもしれない。
 良いことも悪いことも、強く心に残るほどのことはなく、移ろっていく。それが心地よかったから。


 日直の仕事で大量のノートを運ばされていた途中、ふとした拍子でつまずいて、軽く足をひねってしまったことがそもそもの始まりだった。
 保健室で手当てを受けようにも、新学期になってから保健室に行ったことは一度もなくて、正直気が進まなかった。
 去年とは違う新任の男の先生が来たせいか、初めのうちは保健室に興味本位で行く子が多かった。それが、一か月経った今では、少々の怪我では誰も保健室へ行きたがらない。
 なぜかはよくわからないけど、少し不気味だった。私もねんざでなければ、頼まれたって行きたくないと思う。
 でも、どんなに怖い鬼のような先生であったとしても、先生なんだから、頼る時は頼らざるを得ない。そんなものだ。

「失礼します」

 少しガタのきている引き戸を開けるとき、声が震えてしまったことを気にする余裕もなく、気持ちの勢いだけで保健室の中に足を踏み入れた。
 紅茶とか香水とか、いろんなものが混じった匂いがして、一瞬ここがどこなのかわからなくなる。
 気を取られてぼうっとしていると、奥の方から、髪の長い女の先輩(制服のネクタイの色でわかる)がゆっくりと私に近寄ってきた。

「どうしたの?」
「あ…ねんざで…」

 先生はいないらしく、その先輩にわけを話すと「じゃあ先生呼んでくるね」と優しく請け負ってくれた。あれ、先生いたんだ。
 彼女は迷わずベッドの手前のカーテンを全開にして、容赦なくベッドから布団を剥ぎ取った。そこから現れた白衣の男の人は―何と言うのか、先生らしくなかった。
 モデルとか俳優と言われても納得してしまいそうな外見で、確かにクラスの子が騒いでいたのも当然だろうなと思える。
 のそりとベッドから起き上がって、先輩を視界に入れることもなく、先生は私をまっすぐに見据えた。

「…誰だお前」
「2年A組の摂津です」

 私の自己紹介を聞いているのかいないのか、先生はじろじろと遠慮なく私を頭から爪先まで見てから、小声で「胸ねえな」と呟いた。大きなお世話だ。
 やっぱり帰ろうかな、と思っていたところに、先生を起こした先輩が何も言わずにさっさと帰ってしまった。
 完全に出ていくタイミングを失ったところに、「で、何の用だ」と聞かれたら、もう諦めるしかない。

「ねんざしたので、来ました」
「…見せてみろ。そこに座れ」

 思っていたよりあっさりと話が通じたので、案外普通の人なんだと思ったのもつかの間、気づきたくもなかったことに気づいてしまった。

「……あの」
「何だ」
「先生から、さっきの先輩と同じ香水の匂いがするんですけど」

 気のせいだとか言われたら、すぐに忘れて手当を受けることに専念できたかもしれない。
 でも、先生は動揺することもなく、黙っていた。肯定とも否定ともとれる沈黙に、私は居心地が悪くてたまらなくなった。
 そのまま包帯で応急手当を始める先生を直視することができなくて、先生が包帯を私の足に巻き終えるまでの数分が、何時間にも感じられた。

「摂津」

 応急手当が済んで、いきなり先生は私の名前を呼んだ。

「は、はいっ!」

 思わず背筋を伸ばして元気よく返事をしてしまった。
 案の定先生には「馬鹿かお前」と鼻で笑われるし、なんかもう恥ずかしすぎる。恥ずかしさで熱くなった頬に先生の冷たい手が触れて、その冷たさに文句を言う前にキスをされた。短くも長くもないそれは、ちょっと苦い紅茶の味がした。
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