書架
□蒼い瞳
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簡単に舗装された、砂利の敷かれている一本道を、馬車がゆっくりと走りぬける。騎手は一人で、籠の中には一人の少女。
変わり映えのしない景色の中、馬車の単調な音だけを聞いていたら眠くもなる。少女も同じ様で、その蒼い瞳には薄っすらと涙が溜まっていた。
ふと、彼女の耳に、馬の音に隠れるようにして『歌』が聞こえてきた。
「少し止めて下さる?」
産まれた時から使っている上流言葉で馬車を止めると、彼女は果てのない草原に足を踏み入れた。
土地は広大だが、都市までの距離は相当ある。農業を営んでいても、売りに出すまでに鮮度が落ちるため、ここら一帯には人は住んでいないはずだ。
――では、あの『歌』の主は誰?――
そんな疑問を胸に抱きながら、彼女はさらに奥へと入り込む。
人が居た。少女と同い年くらいの銀の髪をした女の子が草原に大の字で寝転がっている。周りには人は居ない。だとすれば、この子が歌の主なのだろう。
「誰?」
足音が聞こえたのか、その子がこちらを向き、尋ねた。
「シャルル・ベルヌーイ。あなたの名前は?」
「ミーナ…ミーナ・オイラー」
彼女はシャルルと同じ蒼い瞳で見つめ返してきた。
シャルルは彼女の隣に腰を下ろし、最初の疑問を口にした。
「さっきの歌は何ていうの?」
するとミーナは少し驚いた顔になり、聞こえたの?と呟いた。シャルルが小さく頷き返すと、彼女は少し恥ずかしそうに笑い、
「お父さん」
と誇らしそうに空を見上げて言った。
「お父さんに教えてもらったの」
「その人は、今どこに?」
7歳ほどの娘を持つ親なら、余程の事がない限りは、こんな場所に一人にしないはずだ。少なくとも、シャルルの両親は彼女を滅多に表に出さない。
「お空」
きっぱりと、初心な口調で彼女は言った。
その単語の意味は、考えるまでもなく理解できた。そして考える暇もなく言葉が零れた。
「ごめんなさい」
「何であなたが謝るの?」
シャルルが謝ったこと、それがミーナには不思議なようだ。
都では、故人の事を口にするのはタブーだ。その人の位が上になればなるほど、周囲からの視線が痛くなる。それが暗黙の了解だ。葬儀の時は泣き喚き、思い出を語るのに、その後は一切会話に登場することはない。なんとも矛盾したものだ。
郊外には、そのような風習がないようだ。いや、都にそんな習わしがあると言ったほうがいいのか。それはいいとして、養いの要である父親が居ないとすると……
「あなたはどこに住んでるの?」
あそこ、と言ってミーナが指差した場所には民家があった。が、その周辺には家は一軒もない。むしろシャルルにしてみれば、この近辺に家があるのが驚きだった。
「お母さんは?」
ミーナは、彼女の質問攻めを不思議とも思っていないような口調で答えた。
「知らない」
一瞬言葉が詰まった。
この場合の『知らない』には大抵二通りの意味がある。近くには居ないという意味と、存在を知らないという意味。
「私はお父さんと暮らしてたから」
後者の意味だったようだ。薄々分かっていたから特に驚きはしないが、親戚という存在はないのだろうか。
「お父さんの事好き?」
「大好きっ!――」
途端にミーナの顔が最上級の笑顔に変わる。
シャルルが彼女の頭に軽く手を乗せると話すのを止め、不思議そうな目で見上げてきた。
彼女の蒼い瞳に、自分の姿が見える。そしてその瞳も、彼女を不思議そうな目で見つめていた。
黙ったまま彼女の髪をなでる。
「ねぇ」
ミーナがシャルルの顔を覗き込みながら口を開けた。
「お姉ちゃんって呼んでもいい?」
最初の自己紹介は何だったのだろうと苦笑しながらシャルルは頷いた。彼女は末っ子だったので、内心嬉しかったりもする。
「お嬢様ーー」
しばらくそうしていると、彼女の従者の声が聞こえてきた。日が傾き始めている。そろそろ行かないと、屋敷に着く前に陽が落ちるだろう。
またね、と言って彼女は立ち上がる。ミーナは純粋な瞳でそれを追う。その行為だけで、彼女の心は罪悪感と名残惜しさで一杯になった。
少し逡巡した後、彼女はミーナに手を差し伸べた。
「?」
「一緒に行こう」
彼女はシャルルよりも長い間迷って、おずおずとその手を取った。
家族に見つからないように、ミーナを自分の部屋に連れ込む。彼女の家は色々と昔からの格式を重んじているので、部外者であるミーナが見つかると厄介なことになりかねないのだ。
「少しここで待っていてね」
そう言い残して、彼女が屋敷に戻ってきた理由――両親への定期報告――をしに、彼らの部屋を目指す。
彼女は現在、家族と離れて暮らしている。それ自体は他の家も同一で、爵位を持つ家系なら、子どもは必ず『学校』へ行かされている。学校は一つしかないため、国中から子息令嬢が集まってくる。そこでの交流が将来的に同盟に繋がるので、親としては何一つへまをしてほしくない場所だ。
そのせいで、シャルルの両親は週に一回、彼女を呼び戻して細かい指示を与えている。
「お待たせ」
その会談が終わって彼女が自分の部屋に戻ると、室内には誰も居なかった。
「…あれ?」
人が入れそうなところを人通り探しても、やはり誰も居ない。
彼女は自分の部屋の近くを警備している衛兵に、人の出入りがあったか聞いたが、返事はNOだった。
「ミーナ……?」
仮にも上級貴族の屋敷だ。そう簡単に賊は入れないはずだ。
そう考えて部屋を見回すと、いつもは無い物が目に飛び込んだ。
「嘘……でしょう――?」
床に落ちた、数本の短い銀色の髪の毛とそのそばに散っている数滴の赤いシミ――――――