dream story

□ちいさな世界
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この度は誠に御愁傷様です。
そんな言葉もない、ただ延々とお経だけが響く寂れた葬儀に父と二人、顔のない遺影の前で俯いていた。



「お祖母さんの家に行ってみるか」

口数の少ない父がそう零したのは参列者のない葬儀を終えて直ぐの事だった。常に仕事一筋である父が会社へ戻らず、その場に立ち止まったまま此方を一瞥することもなく告げるものだから俺は目を見張った。喪中の為、学校は休みとなっていたから後は帰宅するだけ。断る理由も道理もなく、俺は何も言わず車に乗り込んだ。

流れていく景色を横目に考えた。何故父は突然祖母の家に行こうと言い出したのか。祖母の葬儀を終えたばかりだ。当人に関わるものを見ておこうと感傷的になるのは分かる。けれど俺と父にはその必要性が欠片もない。何故なら父の言う祖母とはあくまで俺にとってだ。祖母は母方の人で、その母は十年前に亡くなっていて、それ以前に祖母とは俺が生まれる前から疎遠状態だった。聞いた話では母方の祖父母は随分昔に離婚しているらしい。つまり言ってしまえば祖母と俺はただ血が繋がってるだけの他人。父にしてみれば赤の他人も同然だ。

生憎母に兄弟はなく、祖父も既に故人であるから祖母の遺産とやらは必然的に全て孫である俺に流れてきた。まるで知らない人から意味もなく物を与えられた気分だ。お陰で持たなくても良い背徳感が拭えない。

「…父さんもな、お祖母さんには一度も会ったことがないんだ」

暫く高速道路の上を走っていた時、前触れもなく長く続いていた沈黙を破ったのは父の独り言に似たそれで。既に知っている事実に対して俺は素っ気なくも短く返す他なかった。

遺影に使う写真が一枚もないのだ。変わった人だったのだろう。現に今向かっている場所は町外れで田舎と呼ぶに相応しい…良く言えば長閑、悪く言えば何もない誰もいない山奥にある庭付きの小さな家だという。そんな周りに人も居ない場所で独り、祖母が最期まで暮らしたという場所には少しではあるが興味はあった。同時に勝手に踏み入れて良いものかとも。家主はもう、居ないのだけれど。


「(…本当に何もないんだな)」

舗装されていない道を半ば強引に車で進み、漸く辿り着いた場所には都心にあるもの全てが欠けていた。電気もガスも車も、何もない土地。家に入るまでの道の両端には小さな野菜畑があり、どれも一目で分かるほどよく手入れされていて枯れた花など一切ない。自分で食料を育て、水は井戸から汲んで飲む。此処は何もないけど、何でもある。まるで人目を避けるかのような暮らし。

車を停めてくる。そう言って祖母の家を後にした父に対し、生真面目だなと思わず苦笑が浮かぶ。この辺りに迷惑駐車などと訴えてくる人間など居ないだろうに。


「…本当に孤独死だったのかな」

祖母の死因は事故でも病気でもなかったらしい。寿命。人間にとって一番の死に方で祖母は亡くなったのだと。調べた人間が告げた孤独死という単語は本来の意味と同時に独り寂しくといった意味も含んだ言い方だった。自分もそうだと思っていた。たった今、此処に来るまでは。

家の中は庭同様に手入れされていては埃一つなく、つい昨日まで人が住んでいたかのように綺麗だ。ふと室内を見渡していたところ、ある戸棚に目が行く。

「これ…」

それは笑顔を浮かべた女性と共に写る幼児の写真で。写真立てに大切に飾られたその写真に見覚えがあった。否、写真ではない。そこに写る顔に覚えがあるのだ。

「…母さん、」
その写真は母と幼い頃の自分が映ったものだった。会ったことのない祖母は自分と母の写真をどんな思いで。そう考えて写真立てを持つ手に力が入った所で我に返る。腑に落ちない心境のまま写真をそっと元在った場所へ戻し、不意に視界へ映り込んだ白い封筒を何気なく手に取って裏返す。目を疑った。そこに書かれていたのは母の名前。では表に書いてあった名は祖母の…。そこまで考えてこれは母が祖母に向けて書いたものだと気づく。親が書いたものだとは言え、流石に人の手紙を盗み見るのは気が引ける。苦い表情を浮かべたまま他の物へと目を向けることで浮かぶ思考を払おうとした。

食卓には果物や編み物の道具、食器棚には数少ない食器や骨董品が飾られていて少しずつ知らなかった祖母の姿が見えてくるかのようで変な気分だ。祖母の部屋であろう一室に辿り着くと目に入ったのは窓から差し込む美しい橙色。それが照らす先には机の上に広げられた二枚の紙と万年筆が。



夕陽に照らされた庭を一望できるテラスに置かれた椅子に腰掛けた彼の瞳はどこか憂いを帯びた様な、はたまた何かを吹っ切ったように清々しくもあった。その姿を前に、戻ってきた父親は息子に声を掛けようとはせず、同じ様に夕暮れの空を仰いだ。


──会ったこともない祖母が俺に遺した箱庭には、穏やかな日々と小さな幸せがそこかしこに転がっていた。きっと祖母はこの景色を前に、眠るように一人そっと息を引き取ったのだろう。

彼の手元では、名だけが綴られた白紙の手紙が静かに微風に揺られていた。



ちいさな世界
(祖母の愛した世界はとても暖かく)
(無性に泣きたくなった)

20140210

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